三夜
公園の丸時計が五時十五分を指す。夕方ではない。午前五時。いつもなら、まだ夢の世界の住人の時刻。
天気はくもり。かろうじて雨が降り出していないという様相だが、日の出はとっくに過ぎており、行動するには困らないほどには明るい。
先日の夜にナナヨを見かけた公園で、ユウヤは十五分前から待っていた。
はたして、天野ナナヨが並木道を歩いてきた。白いブラウスと両脇の木々と同じ深緑色のプリーツスカートという、やはり古めかしい服装で。
「おはよう」
「……おはよう」
朗らかに挨拶すれば、ナナヨはむっつりとではあるが一応返事をしてくれた。
じゃあ始めようかと手を差し出すと、ナナヨはわずかに戸惑いの表情を浮かべた後、観念したかのような溜息を落としてから、手提げに入っていたビニル袋に包まれた色とりどりの紙束――短冊を取り出した。
皺が寄っていたり、セロハンテープがあちこち貼り付けてあって見栄えは悪いが丁寧に補修されている。
ユウヤはその中から一枚取り出し、持参していたこよりで手近な笹に結びつけた。
しばしの間ユウヤを眺めていたナナヨだが――餌を差し出されたが、食べても良いものか警戒している猫そっくりに――、やがて同じく笹に短冊を結びつけ始めた。
電子音が響き、ナナヨがびくりと肩を震わせて短冊を取り落とした。地面に落ちて泥にまみれる寸前、ユウヤはなんとかキャッチする。
「これだよ。そろそろ帰ろう」
短冊を反対の手に持ち替え、ユウヤは点滅する右手の指先を振ってみせた。作業開始から四十五分を計測していたのだ。タイムアウト、もう帰らなければ家族が起き出してしまう。ユウヤはナナヨの返答を待たず、短冊をビニル袋に戻して帰り支度を始めた。
「……どうして私が短冊を戻しているって思ったの?」
ナナヨが今更な質問をのぼらせたのは、並木道が終わり、公園の出口に差し掛かった頃だった。公園を出れば二人の家路は分かれ道となる。
傘を届けに行ったあの晩、ユウヤはナナヨに短冊を笹に戻す手伝いを申し出た。夜に一人で出歩くのは危険だ、いっそ早朝のほうが人気も無いし、明るくて作業効率が良い、朝なら自分も手伝えるがどうだろう、と。
いきなり自室に踏み込んできたまともに会話すらしていないクラスメイトからそう言われ、一体誰がまあありがとう助かるわと喜べるだろう。後ろめたくあればなおさら。
正直なところ、あの夜の公園のシーンからでは、ナナヨが短冊を盗もうとしていたのか、結ぼうとしていたのか、断定できなかった。
短冊にはこよりを結ぶために穴が開いているが、落ちていた短冊はその穴が引きちぎられたように破れた後、セロハンテープで補修してある跡があった。
そこから導かれるのは、もともと補修してあったのか、あるいはナナヨの手で補修されていたのか、そのどちらかということ。
部屋の広がっていたセロハンテープとこよりと何枚もの短冊からは後者であることが導かれる。まさか補修されている短冊ばかりを選んで盗んでいたということは考えにくい。同時にそれは、なんらかの理由でナナヨ自身が以前に短冊を引きちぎっていたことを暗示していた。
だからこそ、ユウヤは『戻す』という表現をあえて使ったのだ。
ユウヤがナナヨへ示したいのは不信ではなく、友愛だ。この半年――正確に言えば、彼女が昨年の秋に転校してきた時から九か月余り、ずっと機会を窺っていた。これは星が与えてくれたチャンスであり、有効に活用せねばならなかった。
君は悪事をしでかしたかもしれない、けど僕は味方だよ。
ユウヤはナナヨにそう伝えたつもりだった。しかしどれほどナナヨが理解してくれたか、今日の今日ではさすがにわからないし、焦るつもりもなかった。
「事実、そうなんでしょ? 七夕の夜までに全部戻さないと」
ビニル袋の中には、まだまだ短冊は残っており、今日吊るすことができたのはほんの二割程度だろう。七月七日まであと一週間。あまり激しく雨が降る日は難しいだろうし、もしかしたら早朝散歩の人がやってくる場合も考えると、あまり猶予のある日程ではない。
明日もこの時間に集合しよう、そう言ってユウヤは軽く手を振り、家路へと着いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます