文が美しかったり、語りが上手な方の小説を見ると「なに食ったらこんな小説かけるんやろ」といつも思う。初めて坂水さんの小説を読んだときにも思った。「この人、なに食ってるんやろ」と。
この疑問に、見事に答えてくれるエッセイだった。
坂水さんの艶のある文や巧みな物語の源泉が、まさかホットクックにあったとは驚きだ。(たぶん違う)
本作を読むと「小説だけじゃなくて、エッセイまで面白いとか、なにそれズルい」とうらやましく思ってしまう。エッセイを書くのは、小説を書くのとはまた別の難しさがあるように思う。面白いエッセイを書こうと思えば、なおのことだ。
それはきっと、自身を俯瞰する視点だったり、私生活を切り売りする覚悟だったり、自虐のさじ加減だったり……小説とはまた、別の能力が求められるからだろう。
とはいえ、坂水さんはきっとそんな事なんて意識することもなく、この楽しいエッセイを書き綴ったのではないかと思う。しかも楽しみながら、こともなげに……。
くそ! これが才能の違いってヤツか!(失礼)
実は一年ほど前、煮込み料理で楽をしようと電気鍋を物色したことがある。その時、ホットクックも選択肢の一つとして挙がっていた。けれども、けっきょく選んだのはアイリス○ーヤマの電気圧力鍋だった。
あの時ホットクックを選んでいれば、もっと艶のある文章が俺にも……。(だから違う)
ちなみに電気圧力鍋は、加圧機能を使うことなく何度か肉を煮込んだ後、ホコリをかぶりながら次の出番を待ち続けている。そういうトコロやぞ、俺。
著者さま、渾身の一品とはなんだろう……?
さて、このエッセイでは、ほぼ使われていない『調理』という言葉。なぜか多用されている『錬成』という文字。できあがりのアナウンスと共に漂ってくるのは、ただならぬ驚愕。底知れずの想定外。
こんなはずではなかったはず……? な、完全おまかせ調理風景は、読んでいて思わず笑えてしまう。
さらに、おまかせ調理なのにもかかわらず、その、悪戦苦闘ぶりをしっかりと伝える、小気味よく綴られた文章、表現、疑問、愚痴? さらには実験、そして後悔?
もう、どのページを捲ってもおもしろい……、イヤイヤ、どの調理器の蓋を開けてもおもしろいのです。
このエッセイ、けっして料理の腕は上達するとは思えないけど、いざという時の対処法には溢れてます。
料理すること自体が楽しくなるかも……しれませんよ?
料理は奥深い。レシピを考え、食材を選別し、下拵えを済ませ、調理にとりかかる。その工程は密林の生態系のごとく複雑化し、全てを掌握しきるのは到底不可能に近い。
そんな料理の道を一般人にも切り拓いてくれるのが「ホットクック」である。
食材をいれて、スイッチ一つ。
それだけで料理が出来るのだ。面倒な手順は何一つない。家庭科の授業を受ける子供からは金にものを言わして手順を省く大人に不満が飛ぶかもしれないが、こう言いたい。
「大人はさ、ズルイくらいがちょうどいいんだ」
そうした企業努力の賜物を購入し、その魅力をおもしろおかしく大袈裟に書き立て、メーカーさんの目にとまって、謝礼をもらう。そうした世界の素敵な一幕が書かれているのがこのエッセイだ。
ホットクックによって生活が潤い、そして、追加的に得た謝礼で更に生活が潤う。家族は笑顔に、メーカーも笑顔に、あの小沢仁志さんもニッコニコのホットクックの魅力をここに――。
〇
と、ここまで書いたが、結論から言うと「そんなわけなかった」である。どうしようもない部分というのはあるのだ。そして、4話現在、挑んできた料理はほとんど(ある意味)失敗している。
「なんで?!」
と、思う方もいらっしゃるかもしれないが、坂水さんも後悔しているのだ。それ以上言わないであげて欲しい。大豆は乾燥に戻らず、味は染みないのだ。「ホットクックを買ったら億万長者になれる。そう思ってた時代が私にもありました」と言いたくなるような失敗続きである。ただ、安心してほしい。温泉卵は成功した。
しかし、その過程を事細かに、ある時は熱帯雨林へ、ある時は私たちの街のレストランへ、様々な場所へと飛び立ちながら書き出しているのがこのエッセイである。
その構成の上手さ、随所に挟まれる諧謔の数々。
次の料理に思いを馳せるだけでなく、「次は、何が起こるのだろうか……。」というワクワクを掻き立てる文章。
お決まりの誉め言葉を並べ立てる通販番組では決して味わえないホットクック体験を感じてみて欲しい。
そして、願わくはメーカーからの謝礼金で優雅な暮らしをする坂水さんを見てみたい。シャープさん、よろしくお願いします。