外編:赤粒と滑稽な単話 ☆最新
ルクスリアに何やら小包を投げ付けられた。
「……何のつもりだ。何だこれは」
投げ付けられたままに無様に後頭部でキャッチ――などという失態は晒さないものの、不躾に投げつけられたそれを手のひらで受け止めたスペルビアは鬱陶しそうに顔を顰める。対してルクスリアは愉快そうに笑った。
小包を揺らしてみれば、しゃらしゃらと小さな粒が幾つか振れる音がする。如何わしいものでは無さそうだ。
「それなぁ、トマトの種」
「とまと」
ルクスリアの言葉が予想外すぎて――と言うよりはしょっちゅうイカ臭さを纏っているルクスリアが言うにはあまりに素朴すぎて――つい、間抜けに反復してしまった。それに少しの後に気が付いて、スペルビアは一つ咳払いを落とす。ルクスリアはにまにまと笑んだままだ。
トマト。何のこともない、野菜の一種だ。しかし生命維持に食事を必要としない自分達には大して縁はない。
「セフレから貰ったんだよな。俺は興味ねぇし、お前にやるよ。そういうの好きだろぉ?」
「好きではないが」
訂正するも、ルクスリアは初めからスペルビアの話を聞く気など無いだろう。ケラケラと笑ってさっさと歩いていってしまう。種の行く末などに初めから興味は無かったに違いない。気紛れに処理を他人に投げてみただけで、スペルビアがこれを捨てようが燃やそうがルクスリアが何か心を動かすことなどないに決まっている。全て理解して、スペルビアは溜息をついた。
それがだいたい四ヶ月前の出来事だ。
命を奪うしかできないものが、命を育むとはなんと滑稽なことか。そう思いながら、スペルビアは目の前の赤い粒に局所的な雨を降らせる。種は予想以上に多く入っており、結局それを土に蒔いてしまったスペルビアは、完璧主義も相まってうっかり完璧に育ててしまった。今では立派な緑の中に艶やかな赤色や黄色がミニトマトにしてはよく育った大粒を実らせている。何をしているんだと、自分で自分に呆れた。
後ろから、のっそりと影がさす。振り向けば、トマトよりも遥かに深く暗い赤色がスペルビアを覗き込んでいた。
「……アケディア」
「スペルビア、これもう食えるのか」
黒く大きな恋人は、その赤い瞳をじっとスペルビアがジョウロを傾ける植物に向けている。彼は最近、スペルビアがトマトのために用意した小さな畑にやってきてはその作業を眺めているのが日常になっていた。
アケディアの問いに、スペルビアも自分が育てた粒に目を向ける。水滴に濡れたそれらはきらきらと輝いて、我ながら出来がいい。
流石は僕、やるとなったら完璧だな、無駄に。と、スペルビアは心の中で空笑いをした。
「そうだな、赤いものはもう収穫出来るだろうよ」
「てつだう」
スペルビアの返答に、アケディアはそう返して早速赤の一粒をもぎ取った。直接実に触れれば握り潰してしまうと学んだのだろう、ヘタの先の緑の節を指で摘んで切り離す。
そうしてその赤い一粒は、ひょいとアケディアの口の中に入ってしまった。
眺めているばかりで特に動くこともなかったアケディアが、最近こうして収穫を手伝うと言ってくるのは、これが目当てだ。溜息をついて、その背を小突く。
「うまい」
「……良かったな」
それでも、あっさりとそんなことを言われてしまえば、スペルビアも溜飲を下げざるを得ないのだった。我ながら、本当に甘い。またひとつ、アケディアの胃の中に赤が放られるのが見える。
「摘み食いも程々にしないとマリネの分のトマトが無くなるぞ」
「……作ってくれるのか?」
「インウィディアにも振舞おうかと思っている」
アケディアの顔がむっと顰められる。もう一粒、やや乱暴に、トマトを口に放り投げた。
「やらなくていい。スペルビアが作ったものは、全部俺のだ」
ふんと鼻を鳴らして、アケディアは赤い粒を緑からちぎり取る。今度はそれは口に入ることはなく、いつの間にやら作り出したらしい闇魔力で出来た黒いバスケットに放り込まれた。拗ねたような後ろ姿が幼くて、スペルビアはつい笑ってしまう。
綺麗に実った野菜畑。収穫と味見ばかり手伝う可愛い恋人。
だがこの畑を照らすのは本物の太陽ではなく、炎魔力が多く込められたルビーで作った擬似太陽だ。打ち捨てられていたシェルターを温室として、青空は宝石で映し出しただけの偽物だ。歪すぎて、和やかで麗らかな平和とは程遠い。
必要も無いのに食物という資源を浪費して、命を奪うしかできないもののくせに命を育んで、平和を壊す存在であるくせに平和の真似事をして、それは何たる滑稽か。
ひとつ、赤い粒をもぎとって、口に含んでみる。皮はやや厚く、しかし歯を立てればそれほどの抵抗は無く酸味と甘みが弾け出す。とろりとした液体と、ぷつぷつとした粒が舌で遊ぶ。流石は僕だ、美味いじゃないかと、スペルビアはわらった。
私欲のために、激情のままに、命令故に。簡単に人を殺せる手でも、美味い野菜は作れてしまうのだ。なんという、滑稽な話だろうか。
「スペルビア」
いつの間にか、畑を一周してきたらしい。アケディアが目の前にまで戻ってきていた。名を呼ばれた、その真意を問うために開きかけた口は、何か言葉を放つ前にアケディアのそれに塞がれる。ぬるりと、アケディアの舌がスペルビアの口内を舐めた。いやらしさよりは、おやつを探す犬のようなそれは、あっさりと離れていく。アケディアがスペルビアの眼前で、悪戯を見つけた子供のような顔をした。
「うまかっただろ」
摘み食いの形跡を、感じたのだろう。自分で作った野菜でもないのに得意げだ。その赤い瞳はトマトよりもずっと深く暗く、底知れないほど美しい。同じくらい、或いはスペルビア以上に血に汚れているはずの彼は、何時までも綺麗だった。
彼が綺麗な目で見詰めてくるから。スペルビア以上にスペルビアを知っているような瞳で、スペルビアを愛しいと謳うから。優しさも、甘さも、心の綺麗さも、スペルビアには無いはずなのに、許されたような錯覚を与えるほどに。
「マリネは俺とお前のだぞ。他のやつにはやらん」
「……わかったよ」
苦笑混じりのスペルビアの返答に満足した顔をして、アケディアは背を伸ばして踵を返す。トマトを台所に持っていくつもりだろう。スペルビアが当たり前にその後ろを着いてくると、そう考えているような足取りで。
それになんだか、救われてしまった。
敗者と成るは獅子か熊か ミカヅキ @mikadukicomic
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