第3話

 今は、放課後。私は決戦の場、校舎裏の木の下にたたずんでいる。

 あの少女――ぷらせぼさんと出会ってから始まった、夢のような日々。その集大成とも言えるイベント、『告白』へ向けての精神統一を行っている真っ最中だ。


 私は今朝、普段より一時間も早く登校した。先輩の下駄箱へと手紙を忍ばせる為に。誰かに知られたりしたら、いつの時代だよって馬鹿にされそうなほど古風な手口だ。だからこそ誰にも見られないよう決行した訳でもあったが。

 その朝の作戦はおおむね成功したと胸を張れたが、放課後になってからは苦難の道のりだった。

 一緒に帰ろうと誘ってくれた友達を、挙動不審を絵に描いたようなやり取りで振り切り、道中には右手と右足が一緒に出ていたという痴態を見知らぬ人にクスクスと笑われ、赤っ恥をかき涙目になりながらも、ようやくこの場所へ辿り着いたのだ。


 ――そして、今に至る。

 先輩が来たらあれをそうして、こうに言って……と、繰り返し脳内シミュレーションをした。手の平に書いた"人"の字も、何度飲み込んだか分からない。

(よしっ……大丈夫。りらっくす、りらっくす……)

 やがて誰かの足音が聞こえてきて……その姿が現れると、心臓が一際大きく跳ね上がった。

「俺を呼び出したのは……君?」

「は、はひっ……!」

(――あっ……あれあれ……?)

 私の頭はもうこの段階で真っ白になっていた。自分が上擦った返事をしてしまったことにも気づいていない。

(なんだっけ……この後、どうするんだっけ……?)

 激しい鼓動が鳴り止まず、私の動揺は臨界点に達しようとしていた。何もかもを放棄して、今すぐ全力で逃げ出したい衝動に駆られてしまうほどに。

「それで、話っていうのは?」

 先輩の声で錯乱の加速に急停止が掛かった。全てはこの一時の為のお膳立てだったはずだ、このままでは全てが水泡に帰してしまう。我に返り気持ちを改め、踏み止まる。

(落ち着け……きっと、上手くいくから……)

 すぅー……はぁー……。深呼吸をし自身を奮い立たせ、想いをつづった。


「は……、はじめて見た時から、好きでした。私と、付き合って……くださぃ……」


 何の変哲もない、ド直球でシンプルな告白。

 問題があるとすれば、繰り返しシミュレーションした台詞と全く違っていたことと、終始声が震えていた点と、語尾が消え入りそうに小さくなったところだろうか。総合評価は……3点ってとこかな。もちろん100点満点中。

(ああぁもうっ!なんでこーなっちゃうのよー!私ってばほんと鈍臭いんだからぁぁぁ……)

 心の中で頭を抱えて悶絶する。こればっかりは想いの力でも補え切れなかった模様でした……。

 目をぎゅっと閉じ断罪の時を待つような心境で、先輩の返答を待った。

「君……よく、俺のこと見ててくれたよね」

 ビクっとする。まさか気づいてくれているとは思ってなかったので、その言葉は予想外だった。

「それで友達にからかわれたりもしたよ。『あの子、今日もお前のこと追っかけてきてるぜ』って」

(ご、ご……、ごごごっ……)

 ごめんなさーい、迷惑かけちゃいましたかー!?と脳内で叫び心中がより穏やかじゃなくなる。慌てて謝罪をしようと、ばっと顔を上げると……先輩は、笑っていた。

「からかわれること自体はそんなに嫌じゃなかったよ。いや、それより嬉しかった」

「えっ……」

 ぽりぽりと、こそばゆそうにこめかみの辺りを掻いている。

「誰かに慕われたりとか、あんまり経験ないから……自信なかったんだけどさ。こういうのは本来、俺から言うべきだったよな。ごめん」

 申し訳なさそうに言葉を選びながら、そんなことを言い出す先輩。

 一呼吸置いてから……優しく微笑みながら、私を真っ直ぐに見つめて、口を開いた。


「こんな俺でよかったら、付き合ってくれる?」


「あっ――」

 そんな声が零れ、口元を両手で覆う。先輩のその台詞を理解するより先に、涙が込み上げてきた。

 こんなの……嘘みたい。ううん――

「……夢みたい」

「そんな、大げさな」

「だっ、だって……」

 こんな、大して可愛くもなくて、自慢できる趣味も取り柄もなくて、鈍臭くて、引っ込み思案で、何にも良いところが見当たらない。そんな私を知っていてくれた。好意的に想っていてくれた。

 あろうことか……こんなろくでもない告白に、OKを出してくれた。

 だから、信じられない。だから、思ってしまう。


「""とかなんじゃないかなって――」


「――?」


 …………え?

 いま……、先輩は……なんて……?


「「「だーいせーいこーうっ!」」」


 粛然しゅくぜんとした校舎裏に、幾人かの歓声が沸き起こる。それと同時に姿を現したのは……知ってる顔ばかりだった。

 先輩とよく一緒に居た、男の人たち。それに、私の……友達。その半数は撮影中のスマホを手にしながら、残りは拍手をしながら歩み寄ってくる。


 ――なにが……起こっているんだろう。


「ん?なに、まだ状況呑み込めてないカンジ?」

「さっき自分で言ってたじゃん。"ドッキリ"だってば」


 ――どっき、り……?どれが……どこから……?


「よくその容姿で告白とかできるねぇ。その勇気だけは尊敬するわ」

「それに何、手紙ぃ?オマエの頭んなかカビでも生えてんの?だっさぁ」

「アンタみたいなツマんない子に彼氏とかできるわけないじゃーん?」

薄鈍ウスノロのクセに先輩のことコソコソつけ回したりしてさぁ」

「ヤること暗ぁっ!ほんっとキモいよねぇ」


 ――みんなは、なにをいっているの……?


 かしましいわらいが巻き起こった。言葉は分かる。でもその内容の理解はつゆも出来ない。

 茫然と先輩の方を見ると、男友達と労いのハイタッチを交わしていた。


「おっまえマジサイコーだったわ!名演技過ぎて惚れた」

「いやマジ天才的だったな。ハリウッド狙えんじゃね?」

「よせよ気持ちワリい。あー……だる、もう二度とやんねぇ」

「ハリウッドは無理でも映研部ぐらい行ってこいって。推薦してやっから!」

「いやだから俺に演技は無理だっつの。笑い堪えんの必死だったんだぞ」

「ああ。途中ニヤけてたもんなぁ」

「噴き出さなかったからセーフじゃねぇの?」


 誰が何を喋って、どんな会話をしているのかは判然としない。

 けれど、幸か不幸か……先輩の声だけは、聞き取れてしまう。


 ――嘘……ですよね?先輩……。


 未だに現実を受け入れ切れていない私は、一縷いちるの望みを残し、無言でそんなすがるような眼差しを向けていた。

 ふと、目が合う。先輩はニッコリと微笑みながら、こう言い放った。


「付き合うわけねえだろ?お前みたいな根暗なストーカー女」


 私の中で……何かが、壊れる音がした。

 みんなの下卑げび喧噪けんそうが聞こえる。それを前に、私はただただ立ち尽くす。


 ――どうして……こんなことに……?


 頭が痛い。気持ちが悪い。世界が激しく揺れ動き、もう立っていることができなくなる。

 そして意識が遠のく――視界が暗転していく――……




 ……………………




 ……――ここ、は……?


 目を開けば、そこはよく見覚えのある光景。つい最近まで、毎日嫌というほど見上げた病室の天井だった。

(いまのは……夢……?だったの、かなぁ……)

 それにしては随分と現実味のあるものだった。本当に自分が体験したかのように、全てが鮮明に思い出せる。

 けれど私は、あれは夢に違いないと即座に断言した。

(みんなや、先輩が……あんな酷いこと、するはずないもん……ね)

 いくら夢の中とはいえ、酷かった。自分がされたことが、ではない。

(ごめんね……みんなのこと、けがしちゃって)

 無意識にでもあんなものを生み出してしまった、自分自身を恨んだ。

(本当に……ごめん……ごめん、ね……)

 みんなに対する不安や寂しさの……私の心の弱さの表れだったんだ。


(いったい……"いつから"夢だったのかな……?――ううん、それはたぶん……)

 そう考えてみれば、答えは瞬時に自ずと出てしまう。

 "『ぷらせぼ』という少女に会った時からの全て"が、だろう。


 詰まる所、私の病気は――治ってなどいなかった。


 病気が治って欲しい。学校に行きたい、みんなに会いたい、先輩に告白したい。……そんな想いが積もり積もって、こんな夢を見てしまったんだ。


(……に、しても……『ぷらせぼ』さん、って)

 自分の妄想の産物なのだろうが、これまたおかしな存在を生み出したものだなと、力のない笑いがこぼれた。

 その少女のこともしっかりと思い出せる。奇抜な見た目だったけれど、元気で明るい、可愛くて不思議な女の子。

 その子と出会ってから始まった物語は、正に夢のようだった。

 結末こそ悲しかったけれど、それも致し方ないことと思う。夢とはいつか覚めるものだと知っているから。

 この夢物語は、神様がくれた""の幸せだったのかもしれない。


「――痛っ……」

 この痛みは……病気から来るものか、それとも薬の副作用から来るものか。どちらかも分からないが、既にどうでもよくなっていた。

 夢であの少女に言われたように、『信じれば治る』のかもしれない。……でも、私にはもう――

(この先も……悪化、していくんだろうなぁ……)

 どんどん痛く、どんどん苦しく。そして――

(……しんじゃうんだろう、なぁ……)

 だったら、と……私は想い、願ってしまった。


 『せめて、このまま……眠るように、安らかに……』――――




 ――――『俺』は今日も校内を奔走ほんそうする。

 注意されたり不審がられたりしてしまうから、走ってはいない。極力速度を抑えた早歩きで、だ。

 なぜそんなことをしていたかと言うと――人を探していた。

「今日も……会えなかったな」

 退と聞いた、言葉を交わしたことすらない後輩の女の子。

 気づいたらいつも俺の近くで、小動物みたいにちょろちょろしていて。本人は隠れているつもりだったのかもしれないが、バレバレで。それを見た悪友には茶化されたりして恥ずかしかった反面、それ以上に嬉しくもあった。

 慕ってくれている、って分かりやすくって。それでいて奥ゆかしいのが可愛らしくて。

 隠れている辺りへわざと近づいてみて少し意地悪してみたり、いつになったら声を掛けてくるんだろうと待ち侘びる日々を、楽しんでいた自分もいた。


 ある日、その子が入院したと聞いた時は――何とも言い難い気持ちになった。

 率直に本音だけを言えば、すぐにでもお見舞いに行きたかった。

 しかし入院先を知らない。その子と親しい同級生に聞こうにも、なんと説明していいやら。それに慕われているというのも、もし俺の勘違いだったら、単なる自惚れだったら。思いを巡らせている内にそんな風な邪推もしてしまい、結局最後まで会いに行くことができなかった。

 無事に退院できたら、また学校で会えたら。その際にはこっちから声を掛けてみようと思っていた。

 その子が俺を探していた時も、こんな気持ちだったのだろうか。今では立場が逆転し、俺がその子を探す番だった。

(会えたら……どう切り出そう。まずは名乗るとこから、かな……それで――)


 ――俺の方から、ちゃんと伝えるから。



     ◇     ◇     ◇



 『想い』とは表裏一体だ。陰と陽、正と邪のように……『良き想い』もあれば、『悪しき想い』もある。

 疑心。妄信。嫉妬。憎悪。独り善がりな思い込み。ネガティブな感情。数多に存在する『悪しき想い』に片時も一切与することなく、常に『良き想い』だけを抱き続けられる人間は、如何ほどいることだろうか――?


 ――故に『私』は、妹が他者へ分け与えている力を……こう評する。

 幸せに効く『特効薬』などでは断じて無く、遅効性・時限式の『劇毒』だと。



「ねっ。あの子、どうなったかなぁ?」

「ん……なぁに……?」

「告白。上手くいったかなぁーって」

「さぁ……。そんなに気になるなら、様子を見に行ったら?」

「んんん~。必要ない、っかな」

 くるりと回って、無邪気な笑顔を浮かべる。


「だってボクがそう願っているんだ。


 ――『私』は、姉だ。不幸なことに。


 意識として存在しているだけで、身体の主導権は常に妹にある。更にその意識は常に覚醒状態にあり、安息の時など欠片も無い。"妹の呼びかけにいつでも応じられるように"、そう強いられていた。

 それのみならず、妹の持つ『想いを叶える力』。同じ身体に在るというのに、『私』にその力は使えない。『私』が生を受けてから今日まで、とある願いを想い続けているというのに、それは一向に叶ってくれない。


 けれど『私』は願い続ける。

 それだけが唯一、『私』が望む『幸せ』だから。


「……あなたは本当、いつでも幸せそうでいいわね」

「うんっ。だーいすきなお姉ちゃんが居てくれるからね~!」

「…………そう」

「これからも、ずっと、ずぅーっと、よろしくねぇ?お姉ちゃんっ」


 ……どうか、『私』を消してください。妹が愛して止まない、この『私』を。

 考え得る限りの無上の『不幸』を、この子へ与える為に――。



 明るい未来も、暗い結末も。良きも悪しきも、心の持ちよう次第。

 それが――『プラシーボ効果ぷらせぼ』。

 願わくは……『良き想い』を。



「さってぇ。次は誰を『幸せ』にしてあげよっかなぁ~♪」

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ぷらせぼ。 紺野咲良 @sakura_lily

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