第2話

「退院、おめでとう」

「ありがとうございます、先生っ」

 自然と頬が緩んで、明るい調子でお礼を言う。そんな私とは正反対に、先生はバツが悪そうに躊躇ためらいながら口を開いた。

「いやはやしかし……。今だから正直に話すが、君の病気には本当に参っていた。これ以上打つ手が見当たらない程に追い詰められていたんだ」

「そう……だったんですか」

 それもたぶん、主な原因は私にあったのだろう。一端どころではない責任を感じずにはいられず内省する。

「それがまさかこんな短期間で、急激に好転するとは……嬉しい誤算だったよ。

 この病気を治したのは、おそらく君自身の意思の力だ。よく、頑張ってくれたね」

「はい。長い間、たいへんお世話になりましたっ!」


 あの少女の――ぷらせぼさんの言った通りだった。

 薬は効く。病気は治る。そう強く信じるよう思い改めたことで、みるみる復調へと向かっていった。

 両親や病院の人たちも、私の急激な心変わりに鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしていたが、すぐに感心の瞠目どうもくへと変わり、協力や応援を積極的に行ってくれるようになった。

 そんな周りの人々の支えもあり……私は晴れて退院することができた。



 そして退院するや否や、念願だった学校への復帰を願い出る。

「本当はもう少し様子を見てからにして欲しいのだけど……そうねぇ。あなたはそのために頑張ったんですものねぇ」

「くれぐれも無理はするなよ?」

「うん!ありがとう、お母さんお父さんっ」

 私の一途な頑張りを評価してくれたのか、両親も二つ返事で許可をくれた。

 長らく離れてしまったけど、みんなは快く迎え入れてくれるだろうか。当然そんな不安がよぎってしまう場面ではあったけれど……『キミが"幸せ"になるための願いは、何だって叶うようになるんだ』――そんなぷらせぼさんの言葉を思い出すと、不思議と恬然てんぜんとした気持ちで臨めた。

 きっと、笑顔で受け入れてくれる。前と同じように一緒に笑い合える。そう強く信じ、教室への一歩を踏み出した。

 果たして――みんなは歓迎をしてくれた。私が恐縮し過ぎない程度に控えめな、丁度いい塩梅の温かい対応だったのも、思わず涙が出てしまいそうなほど嬉しかった。

 友達との、他愛もないけれど満たされた日々。ささやかな、でも幸せな時間を、私は再び取り戻すことができたんだ――。



 ――……そして、数日後。

「そいじゃ、まったね~♪」

「うんっ、またあしたー!」

 途中まで一緒に下校した友達と、笑顔で手を振り別れる。

 長期入院していたことなど無かったかのように、クラスの輪の中にすっかり自然と溶け込めていた。

 順風満帆に事が運び過ぎていて怖いぐらいだと贅沢な悩みを持つほどだが、ただ一つ気がかりがあるとしたら――先輩への告白に未だ踏み切れずいることだ。

 仲が良かった、信頼していた友達に会うのとは訳が全然違う。それどころか先輩の姿すら拝めていない。

 今一つ、後押ししてくれる何かが欲しい。そう思った際に真っ先に思い浮かんだのは……あの少女の顔だった。


(もう一回、会いたいな……ぷらせぼさんに)

 告白する為の、勇気を貰いたい。もし会えたら、その為に『ある事』をしよう。そうくわだてていた。

 しかし私はあの少女のことを何も知らない。居場所はもちろん、普段どんな過ごし方をしているのかも。

 そんな相手と偶然再会するというのは、それこそ奇跡のような確立だろう。

(さすがにそんな都合良く、会えるわけ――)

 ――いや、あったみたい。

 まるでその願いが届いたかのような出来過ぎたタイミングで、歩いてくるその少女の姿をみとめた。

 その心境を如実に表した、弾んだ歩みで近づき声を掛ける。


「ぷらせぼさーん!」

「や。無事に退院できたんだね、おめでとう」

 屈託のない笑顔で祝福をしてくれて、こちらも自ずと朗らかな表情になる。

「うん!ぜーんぶ、ぷらせぼさんのおかげだよ」

「んーん。お医者さんも似たよーなことを言ったろうけど、キミの想いの力だよ。ボクはそのきっかけを与えただけ」

「むぅっ」

 素直に感謝されてくれないことに頬を膨らませたが、言い返す場面でも無いかなと渋々ながら引き下がる。受け取ってくれない言葉は無理に押し付けるより、心に留めておく方がいいと思うから。

 気持ちを切り替え、忘れない内にと本題を切り出した。

「明日、ね。片想いしてた先輩に、告白しようと思ってるの」

「おぉっ。いいじゃない、応援するよ?」

「それで……その。もう一度、勇気を貰いたいなぁ……って」

「うん?」

 とは言ったものの、いざ本人を目の前にしたら想像以上に緊張し、二の足を踏んでしまった。

(もし会えたら……そうしようとは思っていた、けど……)

 もじもじ、ちらちら、少女の顔を正視できない。

 その間にも、少女は「んん~……?」と訝しそうに唸り続けていて、傾げた首が更にどんどんと傾いてしまってて……なんかおもしろかわいい。

(……って、和んでる場合じゃない。さぁ行くのよ、私っ……!)

 意を決して、少女を真っ直ぐに見据え……歩み寄り――


「――――んっ……」


 その頬に……唇で触れた。

 私からの不意打ちを受けた少女は、目をぱちくりさせている。

「えっへへ……。今度はちゃーんと、……です」

 病室ではできなかったをすることで、勇気を貰いたい。そしてそれ以上に伝えたいこともあった。

 元気になれて、明るくなれて、自信が持てて。ができるぐらいには、私は変われた。そして今では、入院する以前よりも毎日が満たされてすらいる。

 それがお礼になるのかは分からないけど……そんな姿を見せたかった、見て欲しかった。


「私、いま……すーっごく、幸せです。ありがと、ぷらせぼさん」


 頬をほんのりと紅潮させ、満面の笑みを浮かべた。

 そんな私に何を思ったのか、少女は微かに目を見張った。程無くしてその表情をほころばせ、満足そうに大きく首を縦に振る。

「ん!そかそかっ。そこまで効果があったなら、ボクも『プラセボ』冥利に尽きるよ~」

 どちらからともなく、にへーっと照れくさそうに笑い合った。

 この少女と居るだけで、不安や迷いが取り払われ、真っ直ぐに前へ向かう気持ちになれる。本当に――不思議な女の子だ。


「――あ。もう、陽が沈んじゃう……」

「だねぇ。お別れの時間だ」

 ちょっぴり、胸がちくんとする。もう少し一緒に居たい、また会いたい。当然ながらそう感じてしまう。

 けれど、この少女はきっと――『迷いある人』や、『不幸な人』の前に現れる存在なのだろうと薄々予感していた。

 ならば、この少女と二度と会わずに済むよう在ること。それもまた、私にできる恩返しなのかもしれない。

「私、もっと幸せになるためにがんばってくるからね!」

「うむっ!キミはどこまでも幸せになれるんだっ、限度なんてない!至上の幸福へ向けて突き進み続けるのだよ、若人よ……!」

 歩き出しつつ元気よく手を振ると、少女はどこぞの偉人めいた口上を述べた。精一杯おじさんっぽい声の調子にしているのがまた可愛らしくて、ついくすくすと笑ってしまう。

 名残を惜しむように、二人して何度も振り返り、何度も手を振り合った――。



 少女の姿が見えなくなった頃、自分の胸に手を当て……目を閉じる。とくん、とくん……心地よいリズムで鳴る鼓動。これ以上ない晴れ晴れとした心持ち。今の私なら、何もかもが上手くいきそうだとさえ思える。


 ――私は、明日……告白をします。



     ◇     ◇     ◇



「ねぇねぇ、お姉ちゃん」

「……ん」

「あんな風に、どストレートに小っ恥ずかしいこと言われたの、初めてだったから……ちょとびっくりしちゃったよ」

「……でも、悪い気は……しなかったでしょう……?」

「うんっ、嬉しかったなぁ。あの子、可愛かったね」

「……そうね。とても健気で、いい子だと思うわ」

「ね。別に二回も"こんなこキスと"しなくても、ぜんぶ想い通りになるのに」

「………………」


 少し、ニュアンスが違う――と、『私』は思う。


(――もう、全てがのに……)


「お姉ちゃん?」

「……ごめんなさい。少し、ボーっとしてたわ」

「疲れてるのかなぁ?なら、今日は早めに休もっかぁ」

「…………えぇ。そうね、ありがとう……」


 ……『私』に安息の刻など、来ないのだが。それは久遠より、おそらく恒久に。

 せめてあの健気な少女には、その刻が訪れるよう……『私』は祈っている――。

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