ぷらせぼ。

紺野咲良

第1話

「もう嫌!こんなのっ!どうせまた何の効果も無いんだから!!」

 目の前にあった新しい薬の治験だかの説明がされているという、よく分からない紙を激昂げっこうのままに払いのける。

「全員出てって!放っておいてよ!」

 もううんざりだった。何の効果も現れない薬にも、妙な副作用に襲われる薬にも。数えるのが嫌になるほど様々な事を試され、モルモットにでもされてる気分で、とうとう限界に達してしまった。


「…………はぁ……」

 独りになった病室で、自己嫌悪におちいりながら弱弱しく溜息をつく。

(なんで……こんなことになっちゃったんだろう……)



 ごくごく平凡な高校生だった私は、大して可愛くもなく、これといった特技もない。

 けれど友人関係には恵まれていた。それだけで幸せだと感じられるほどに。

 これからもそんな、他愛もないけれど、満たされた日々が続いていく。そう思い込んでいた。


 ――ある日、それが一変した。


 その前後の記憶は曖昧だが、私は突如倒れたらしい。目が覚めれば、そこは見知らぬ天井……今いる病院の一室だった。

 それから現在に至るまで、入院生活を――闘病生活を余儀よぎなくされていた。



(みんな、いまどうしてるのかなぁ……)

 瞼を閉じれば浮かぶ、懐かしき学校のみんなの顔。

 最初の頃はみんなもよくお見舞いに来てくれたけど……途中からこんな姿で会うのが恥ずかしくなってきて、私のために割いてくれる時間が申し訳なくって。「次は学校で会おう?」なんて強がって、遠慮しちゃったっけ。

 今更ながら後悔してしまう。これほど長いこと会えないでいると、やはり寂しさが堪えようもなくなってくる。

(学校……行きたいなぁ……)

 学校には、友達がいる。それと……私が一番、大好きな――


「先輩……」


 入学して間もない頃だった。

 とある男の人とすれ違った。何気なく振り返ると、その人と目が合った。

 実際にはほんの一、二秒だったのだろう。しかし私には、その時間が永遠と思えるほどに長く感じた。

 そう――いわゆる、一目惚れをした瞬間だった。


 それからというもの、事あるごとにその人の――先輩の姿を探した。

 同じ委員会や部活動に入ることもせず、ただそういった活動をしている先輩の姿を遠くから見つめているだけの、この上なく臆病な片想いの日々。

 それは徐々にではあるが、確実に想いを募らせてしまうものだった。

(あぁ……こんなことになるなら――)

「告白、しとけばよかったかなぁ……」


「――何かお困りみたいだね?」


 不意に聞こえた声にビクっとする。

 恐る恐る振り向くと、そこには知らない女の子が立っていた。歳は……同い年ぐらいだろうか。

 向かって左側の髪型は、お洒落に結んである、見るからに活発な感じ。対照的に右側は、腰に届くほどナチュラルに伸ばしてあり、落ち着いた雰囲気をかもし出している。

 そしてそれ以上に印象的だったのは、目の色が左右で違っていたことだ。

 左はぱっちりと大きな黄色い瞳。右は長い前髪から微かに覗かせている、思慮深く理知的な紫色の瞳だった。

 年齢の割に若干奇抜な外見だけど、可愛い子だ。……私なんかと違って。

(えっ、え……誰?それに、いつから……?)

 きょとんとして動けない私に、にっこりと人懐っこそうな笑顔で、一際元気よく話しかけてきた。


「やーやーはじめましてっ!ボクのことは『ぷらせぼ』とでも呼んでくれたまへっ!」


「ぷら、せぼ……さん……?」

 益々ますます訳が分からない。それが名前?どこの国の人?

(ううん、そんなことより――)


 ――さっきの台詞、聞かれちゃった……?


 私にとって、そのことが最も肝心だった。もし聞かれでもしていたら恥ずかしさで死んでしまうかもしれない。いやむしろ急に発作でも起きて、そうなって欲しいとさえ願ってしまうかもしれない。

(お願い……どうか、聞いてないで……!)

「『告白』かぁ~。青春してるねぇ。とーってもステキなことだと思うよ、うん!」

 想い虚しく、完全にアウトだった。

「……しにたい」

 真っ赤にした顔を両手で覆い、ぽつり呟く。

「まぁまぁ、そんな悲しいこと言わないでよ」

「うぅぅ……いったい誰のせいでそうなってると~……」

 そう唸っていると、ぷらせぼと名乗った少女が、耳を疑うことを言い出した。


「――そうでなくても、。キミは」


「えっ……?」

 何を言われたのか、分からなかった。

(このままだと……しぬ……?私が……?)

 今しがた言われた言葉を反芻はんすうすることで、ようやく呑み込めた。

(そんなに……重い病気、だったの……?)

 だが言われてみれば、思い当たる節はいくつもある。

 散々試された、たくさんの薬。それでも好転する様子の無い症状。

 こっちまで陰鬱な気分になるからやめてと常々思っていた、時折見せる両親たちの暗い表情。

(そういう、こと……なの?)

 頭では理解できるが、実感がわかない。現実味が無い。

 いきなり現れた、初対面の謎の少女に言われた程度では、尚更だ。

「あなたは……いったい……?」

 私のその疑問に答える代わりに、次のように切り出してくる。


「キミは――『プラシーボ効果』、って知ってる?」


「ぷらしーぼ……?」

「うんっ。例えばね~……ある病気に対して、何の効果もない薬を飲むとするじゃない?」

「…………?」

 なんでそんなことを――と首を傾げつづも、その先を促す。

「それを『効くものだ』と思い込ませることで、なぜだか病気が治っちゃうの。不思議でしょ?」

「そんなことが……あるんですか?」

 少女は得意げな顔をして、大仰に頷いた。

「あるんだよな~、これがぁ。いわしの頭も信心から、病は気からって言葉もあるようにね~」

「な、なるほど……?」

 前者はちょっと聞いたことがないけれど、後者ならば確かに覚えがある。言わんとしてる内容はなんとなーくはわかった。

 でも、それと今は何の関係が?と再度首を傾げていると、


「それにね。――キミ自身が、そののことを実践してるんだよ?」


 そんなことをしてた覚えが無く、キョトンとしてしまう。

「……私が?」

「うん。キミはいつも、『こんな薬、効くわけない!』……そう思ってたよね?」

 図星を指され、どきっとした。

「そう強く思い込まれちゃ、効くものも効かないんだよね。そんな風に効果がなくなっちゃったり、別の副作用が現れることを『ノーシーボ』って言ったりもするんだけど」

「それを……しちゃってたんですか?私が……」

 こくり、頷かれる。そして決して責めるのではなく、優しく言い諭すように少女は続ける。

「キミの病気の場合はね。信じれば、治るんだよ。それを裏付けたり応援する存在が、このボク……『プラシーボ効果』。またの名を『プラセボ』っていうの」

「ぷらしーぼ……こうか……」

「そ。その効果の……権化?化身?だから、ボクの名前は『ぷらせぼ』なんだ」


 説明自体は分かりやすいものだったけれど、にわかには信じがたい話でもある。突拍子も無さ過ぎて、頭の整理が追いついてない――そう言った方が正しいかもしれない。

「本当に……効くの?治るの?それでもしダメだったら……」

 私だって何も初めから疑ってかかってたつもりはない。

 今度こそ治ると、周りに言われるがまま色んな薬を試した。その度に期待を裏切られ、酷く落胆してしまうことを繰り返してきた。

 期待することを止め、効く訳がないと思い込む。それは自分の心がこれ以上傷つくのを避ける為の、消極的な自己防衛策でもあった。

 黙り込み俯いてしまった私に、明るい声で語りかけてくる。

「これはボクの管轄外のことなんだけど、『行動非行動の法則』ってのもあってねぇ。

 それによれば、行動した後悔より、行動しなかった時の後悔の方が大きいんだって」

「…………」

「分かりやすく一言で言っちゃえば……『迷ったら、やる』。それにはボクも全面的に同意してるんだぁ」

「でも……」

 言ってることは凄く正しいと思う。けど、やっぱり……怖い。

 信じれば信じるほど、その後の反動が強大になっていく。それを身をもって味わってきた恐怖は、そうそう拭えるものでもなかった。


 いまいち煮え切らない私に、尚も変わらぬ調子の少女。

「んんー、まだ迷ってるのかなぁ?じゃーそんなキミにもう一つ、更なる朗報だ」

 人差し指をピンと立てて、私の眼前へ向けてくる。

「ボクの効果の対象はね、何も病気だけに限定されるものじゃないの。ボクの存在は、キミの人生にいろどりを添える効果もあるの。

 キミが"幸せ"になるための想いは、何だって叶うようになるんだ。――『告白』だって必ず上手くいくよ?」

 驚いて顔を上げる。我ながら現金な奴だと内心呆れるが、その魅力的な文句は私の心を瞬く間に捉えてしまった。

「こっちも分かりやすく言うとすれば……ボクは君を幸せにするために現れた、『神の使い』なのだ!」

 びしぃっ、と何だかよく分からないポーズを決める。お世辞にもカッコよくはない。

 呆気に取られた私に、少女はコホンと一つ咳ばらいをしてから、打って変わった鹿爪しかつめらしい顔になる。


「キミの"病気"には、『薬』が効く。そしてキミの"幸せ"には、『ボク』が効く。

 後はキミの気持ち次第だよ。――どうする?」


「私の……、気持ち……」


 仮にこのまま何も無しに過ごしたとしたら、再び学校に通うこともなく、みんなにも二度と会えないのだろう。

 咲いた恋心もその想いをくすぶらせたまま、徒花あだばなのようにただ儚く散り行くのだろう。

 そんな虚しく最期の時を迎えるだけの人生なんて――嫌だ。


「……私、やります。信じてみます。薬のことも、あなたのことも……そして、幸せになりたいです」

 表を上げ、真っ直ぐに少女の目を見つめる。思えば、こんな前向きな胸の内をさらけ出したのも、初めてだったかもしれない。

 心地よい高揚感がして、生気が蘇ったように身体が熱くなる。

「よっし!じゃー、ボクと『』しよっか」

「はいっ!」


 ――――んん……?


 反射的に返事をしちゃったけど……この人いま、さらっと飛んでもないことを言ったような……?

(そう、たしか……『キ』、で始まって……『ス』、で終わる……)


「はいぃっ!!?」


「ど、どうしたのさ。いきなり叫んじゃったりして……ココ、病院だよぉ?静かにしなきゃダメだよ、まったくぅ」

 大げさに両手で耳を抑えてる。誰のせいで――とも思うがそちらは口に出さずに、顔を耳まで真っ赤にして、どもりながら聞き返す。

「なっ……、なな、なななんでっ、き……、き、す……なんて……っ!」

「それはねぇ。『薬を飲む』に当たる行為が必要なんだよ」

「行為……って?」

「病気を治す為に『薬』を飲むように、ボクの力を分け与えるにも『何か』が要るの。

 それもなるべくインパクトが強い方がいいんだ。キミぐらいの年頃の子だったら、『キス』が一番かなぁって」

「た、たしかに、一大事ですけど……」

 一大事がから困る。何より私は、そういったことは一切未経験だ。

「何も唇同士だなんて言わないからね。ほっぺたに触れるだけでいいんだよ?」

 "ほら、ここ、ここ。"と、少女は自らの頬を指さしている。

 チラチラと横目で見る。自分がその頬へしてるところを想像してしまうと……頬が紅潮し、耳まで赤くなり……ぷすんぷすんと頭から煙を噴いて固まってしまった。

「……なんならボクからしてあげよっか?」

「うぅっ……」

 それはそれで恥ずかしいけど、こちらからするより幾分かはマシだ。何よりこのままでは私は永遠に動けそうもない。

「おねがい……、しますぅ……」

「ったく、しょーがないなぁ。今回だけだよ~?」

 そう言いつつ、私の頬に片手を添えてくる。触れられた瞬間、ぴくっ……と身体が反応し、目をぎゅっと閉じる。

 そうして視界を遮ると、より鮮明に感じ取ってしまった。

 温かくて、柔らかい。初めて受ける、キスの感触を――


「――はいっ。おっけーだよ」

 閉じていた目を、片方づつゆっくりと開いていく。まだすぐ目の前に少女の顔があり、思わず視線を背けた。そんな私を見て、くすっと悪戯っぽく笑う少女。

 少しむくれながらも、今しがた口付けを受けたところへ、噛みしめるように指先でそっと触れた。

「これで、本当に……――」

 ――効くのかな。そんな不安が表情に出てしまったのか、唇にぴたっと指を当てられた。そして少女は柔らかく微笑み、首を振る。

 "その先を口に出しちゃダメ。違うでしょ?"……仕草だけでそう教えてくれた。

「……薬は、効く。病気は、治る。幸せに……なる」

「んっ、そーそー。まだ少しぎこちないけど、その調子だよ」

 少女の笑顔に対し、私も笑顔で応じる。晴れやかな――とまではいかないが、久しく覚えのなかった表情をしていたことだろう。

「ボクにできるのは、ここまでだよ。分かってくれてると思うけど、後はキミ自身の"想い"が物を言うからね」

「はい。ほんとうに、ありがとうございました」

「それじゃっ。どうかお幸せにね~♪」

 少女はひらひらと手を振り、ぴょんぴょんと跳ねるような足取りで退室して行く。

 その後ろ姿へと、精一杯の思いの丈を込めて頭を下げた。


 ――私は……絶対に、幸せになってみせます。ぷらせぼさん。



     ◇



「ねぇねぇ、お姉ちゃん」

「んー……?なぁに……」


 ――『ボク』には、姉がいる。幸せなことに。


 ボクがこの世に生を受けた時、最初に願ったことがあった。

 『いつでも傍に居てくれる、優しい姉が欲しい』と。

 その願いはすぐに叶った。それも望んだまま、この上なく最高の形で。

 ボクが呼びかければ、すぐに答えてくれる。いつでも優しくて、どんな時も頼りになる、大好きな姉ができた。


 いつでも一緒に居られるように、姉妹となった。


 ボクには、そんな風に願いを叶える力があると知った。だったら、この幸せを他の皆にも分け与えたいと思うようにもなった。

 そうして今日もまた一人、不幸に悩む子と接触をした。そのことで談笑でもしたいなと、姉へ呼びかける。


「ごめん、起こしちゃった?」

「……いいえ。知ってるでしょう、私は眠ったりしないわ」

「あっ。あははっ、それもそーだったね」


 傍から見れば、異様な光景に見えたことだろう。

 独りで会話ごっこをしているようにしか見えないだろうから。


「ねぇ、お姉ちゃん。あの子、幸せになれるかなぁ?」

「……さぁ。どうかしらね」

「大丈夫だよね。ボクがそう願っているんだもの」

「…………えぇ……そう、ね」


 ――『』は知っている。


 あの子は、幸せにはなれないことを――。

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