なにやら廃校にとらわれた

白里りこ

短縮版


 同窓会で、わたしは久々に親友と会った。

 桃子とアイラ。

 小学校の分校の時から中学まで、一緒だった三人。今はそれぞれが町に出て別の職場に行ってしまい、会う機会は減っていた。


 その分校は数年前に廃校となっていた。


 残された校舎を見に行くと言い出したのはアイラだ。


 なぜそれに賛成したのか自分でもよく分からない。これまで母校の話は避けてきた。卒業後に自殺者が出たりして、近寄り難かったのだ。

 でもアイラの気まぐれに振り回されるのはいつものことだ。久し振りに付き合うのもまた一興。


 そこでわたしは車に二人を乗せ、故郷の村へと発進した。


 山奥の分校へと続く道は悪路だった。しかも雨降る黄昏時。自然、わたしの運転は慎重になった。


「懐かしいな。そこのほこらとか」

 桃子は身を乗り出した。その時、折悪しく車体が揺れた。

「うわ」

「桃子、大人しくしていてね」

「おう」

 言うや否やもう一度揺れる。前輪が水溜まりに突っ込んだ。

「雨って嫌だわ」

 アイラが後部座席で欠伸まじりに言った。

「濡れるのは嫌い」

「誰だって嫌だろ」

「そうね。あら?」

「?」


 わたしは目を凝らした。

 狭く薄暗い山道、木々の向こうで何か光った。

 車の前照灯だ。


「珍しいね。この先は学校しかないのに」

「様子が変よ」

「え」


 どうやらトラックだ。

 ふらふら蛇行しながら、猛烈な速さで迫ってくる。


 わたしは異常を察し急停止した。

 向こうはお構いなしだ。このままだとぶつかる。わたしは慌てて左脇へと車体を乗り上げた。

 トラックはいよいよ速度を増す。

 もうすぐそこ――


 衝撃が走り、わたしの意識は暗転した。


 ***


「依織ちゃん」


 誰かが呼ばわる声に、瞼をこじ開ける。目の前にはアイラの心配顔があった。


 起き上がる。辺りを見回し、自分の体を見下ろし、考え込む。

 おかしい。怪我一つないし、ここは事故現場でも病室でもない。ここは——


 廃校だった。寂れてはいるが、確かにあの分校の校内。

 窓の外は既に真っ暗だ。降りしきっていた雨も止んでいる。月明かりが校内をぼんやり照らす。耳鳴りがするほど静かだ。


「何がどうなっているの?」

 わたしはアイラに尋ねた。

「分からないわ。気づいたらここにいたの」

「そっか」

「動じないのね」

「ちょっと驚いたけど」

「ちょっとって」


 アイラが呆れて言う横で、桃子が飛び起きた。


「ギャーッ。え、生きてる? ここはどこだ!」

「落ち着いて、桃子」

「無理ーっ」


 騒ぐ桃子を引っ張りながら、わたしたちは誰もいない校内を土足で歩いた。

 順調に昇降口へ至る。


 アイラが内鍵を開けドアを押してみたが、ビクともしない。

「ん?」

 わたしも桃子も試してみたが、だめだった。錆びているのではなく、まるで空間にガッチリ固定されたかの如く、てこでも動かない。


 わたしたちは顔を見合わせた。


 わたしは携帯電話を取り出した。

 だが電源が切れている。

 桃子も同じだった。アイラは今は持っていないという。


「仕方ないね。他の出口を探そう」

 わたしはあえてのんびりと言った。桃子が怯えた様子だったし、アイラは思いつめたように俯いていたからだ。


 わたしたちはドアや窓を片っ端から開けようとした。机を投げつけ割ろうとさえした。しかし、外へと通じるものに限って、隙間を作ることは叶わなかった。


「まさか、このまま帰れないのか?」

 桃子は不安そうに零す。

「ありうるわよ」アイラは言った。「これは明らかに怪奇現象だもの!」

「そんな」

「二人とも」

 わたしは窘めた。

「落ち着いて。次へ行こう」


 だが、全ての出口を試し終えてしまった。教室は勿論、職員室からトイレまで――全てが封鎖されていた。

 桃子はパニック寸前だし、アイラは意気消沈している。わたしは次の手を考えていた。こんな異常な事態なら、もっと突拍子もない解決策があるのかも……。


「何か聞こえる」

 唐突に桃子が言った。

「え?」

「子供の泣き声」

 わたしは首を傾げた。何も聞こえない。

「うう」

 桃子はガクンと膝をついた。

「どうしたの!?」

 桃子は小さく呻いていた。

「頭が痛ぇ。割れる! ぐ、痛い!」

「嘘、どうしましょう」

 アイラが駆け寄って、背をさすった。

 やがて桃子は何か言い始めた。「助けてあげないと助けてあげないと助け……」

「助ける?」

「あ、あたあたし、が、ぼくが」


 天井を仰いだかと思えば、糸が切れたようにばったりと倒れた。

 わ、とわたしは声を上げた。アイラが桃子を助け起こした。

「ぶつぶつぶつ」

 まだ何か言っている。

 その目はゾッとするほど虚ろだった。いつも溌剌としている桃子のそんな顔など、見たくなかった。わたしは桃子の肩を掴んだ。


「桃子、しっかり」

「ぶつぶつ」

「正気に戻れ。えいっ」

 容赦なくビンタ。

「わっ」

 急に、桃子の瞳に光が戻った。

「あれ? あたし」

「大丈夫? 様子が変だったよ」

「そうか?」

「平気?」

「おう」

「頭痛は?」

「マシになった」

「そう」


 アイラはゆっくりと桃子を床に座らせた。

「変なことばかり起こるから疲れが出たのよ。少し休んで」

「いや」

 桃子はふらりと立ち上がった。

「子供が助けを求めてる。行かないと」

「気のせいではないの?」

 わたしは言ったが、桃子は行くと言って聞かない。

「こんな廃墟に子供が一人なんて可哀想じゃないか」

「えーと」

「行くぞ。こっちだ」

 あれほど怖がっていたのに、桃子は迷わず歩き出した。わたしとアイラは仕方なく後に続いた。


 階段を登り、屋上のドアへと向かう。そういえばここはまだ試していない。

 桃子がドアノブに手をかけると、難なく戸は開いた。


 冷涼な風が吹きつける。


 誰もいない。


 しかし桃子はつかつかと出て行く。


 空には雲一つなく、夏の星々が怪しく渦を巻いている。月光が一帯を照らしていて、周囲を一望できる。校庭の色褪せた遊具や、さっきの小さな祠も見えた。

 屋上には大きな水溜まりができていた。アイラが眉を顰めて、大きく避けて通った。


 桃子は、ポツンと屋上の縁に立っている。


「どうしたの、桃子」

 私は声をかけた。


『ねえ、遊ぼ』

 突然大きな声で桃子は言った。

「遊ぶ?」場違いな言葉に、わたしは首を傾げた。

 桃子がぐるりと振り返った。その表情は浮かれたように緩んでいて、目の焦点が定まっていない。


「桃子? 聞いてる?」

『聞こえないよ』


 という返事が桃子自身の口から出た。歌うような口調で――いつもの桃子とは明らかに違う。

『このお姉さんは、今はぼくのなの。依代なの』


 わたしは瞬きをした。

 ヨリシロ?


「とりつかれてるんだわ!」アイラの声は掠れていた。「何てこと」

 わたしも心中穏やかではなかったが、努めて冷静に問いかけた。

「君は誰? どうしてこんなこと」

 桃子の脚が軽やかにステップを踏んだ。

『ぼくはミナ。ね、一緒に遊ぼ』


 ミナ。そんな名の女児のことを、以前聞いた。


「まさか、ここで自殺した子?」

『うん。ぼく幽霊』


 わたしは彼女を上から下までじっくり見た。幽霊に憑かれた人はどうなる? 危険があったら大変だ。


「桃子から出てって」 

『やだ』

「何かあったらただじゃおかない」

 わたしは詰め寄ったが、ミナは『だーめ』とどこ吹く風だった。

『遊ぼうよ。遊んでくれないなら、ぼくはここから飛び降りる』

「な……」


 かっと頭に血が上った。

 そりゃ、小さな子が自殺なんて可哀想だったよ。でも人を道連れにされちゃ困るじゃない。


 わたしはミナの襟を掴んで揺さぶった。

「桃子を返して。この子は君のじゃないんだよ」

『うるさいな』

 ミナは急に声を低くした。

『遊んでって言ってるのに。分かんない子はお仕置きだよ』

 桃子の手が振りかぶられた。


 次の瞬間、わたしの腕を熱いものが走った。


 堪らず手を離す。見ると、左の二の腕が刃物で切られたようにざっくりやられている。傷口から生温いものが溢れ出す。


 後ずさったわたしの背中を、細い腕が受け止めた。

 アイラはミナを睨んだ。


「酷いわ、ミナちゃん」

『知らない。それより、鬼ごっこしよ?』


 ミナはぱっと走り出し、校舎の中へと消えた。

 ──待って、桃子を連れて行かないで。

 立ち上がろうとするわたしを、アイラが止めた。


「依織ちゃん、血が」

 アイラはわたしの袖をまくると、白いハンカチを取り出し、二の腕をギュッと縛った。

「きつくないかしら?」

「うん。ありがとう」


 わたしたちはゆっくり屋上を後にした。アイラは扉を閉め、くるりと向き直った。


「依織ちゃんはここで休んで。私が桃子ちゃんを探すわ」

「え。わたしも」

「そんな怪我じゃ足手まといよ」

 それを言われると辛い。

「……ごめんね」

「いいから、ここを動かないで」

 

 念を押して、アイラは階段を降りていく。

 その後ろ姿を見るにつけ、わたしはどうしようもなく寂しくなった。突然アイラが知らない子になってしまったような感覚がした。

 このまま二人に会えなかったらどうしよう。

 今更ながら怪我が痛み始めた。わたしは床に足を投げ出した。


 心細かった。


 先程まで強気でいられたのは、二人のお陰だった。

 桃子が怖れたから、アイラが嘆いたから、わたしは二人を支える為に気丈に振る舞えた。

 でも今は一人。


 ガタン、と音がして、わたしは飛び上がった。

 視線を巡らす。

 階段上のこの空間には、木材や段ボールが無造作に積まれている。その一角で、段ボールが……宙に浮かんでいる。

 ──ポルターガイスト?


 わたしは腰を浮かせた。


 続けて音がした。周囲の木材が、倒れたり浮遊したり、好き勝手に動き始める。


 わたしは慌てて屋上へ避難しようとした。しかし。

「え?」

 扉が開かない。他のドアと同じで、びくともしなくなっている。

「嘘」

 まごまごしていると、後頭部に何かがゴツンと当たった。背後から飛んできた段ボールだった。

 心臓の鼓動が更に速くなる。

 もう迷っていられない。屋上が駄目なら階下だ。


「えいっ」


 わたしは浮遊する木材たちの下を潜り、タダッと階段を駆け下りた。

 ガラクタたちは後を追ってはこない。

 一安心して、わたしは壁に寄りかかった。


 息を整えつつ腕の痛みと戦っていると、教室の扉がガラリと開いた。

 現れたのはミナの襟首を引っ掴んだアイラだった。


 ……あの危険な霊を、そんなに雑に扱っていいのだろうか。


「大丈夫?」

「あら」

 アイラは笑顔で歩み寄ってきた。

「そこにいたのね。平気よ」

「怪我は?」

「ないわ」


 アイラは桃子からぱっと手を離した。


「さあミナちゃん。説明して?」

『うん』

 先程と比べ、ミナは随分としおらしかった。

『あのね。今、この人に遊んでもらったから……もういい』

「もういい?」

『体を返すね』

「本当?」

 わたしは食いついた。

『うん』

 しれっと言ったかと思うと、桃子の背中から、もわっと白い塊が出てきた。


 桃子は前のめりに倒れこんだ。わたしが抱きとめると、瞼を痙攣させて目を開けた。

 瞬きを、三つ。

 それから「ギャー」と叫んだ。

「白いのがいる! 幽霊?」

 寝起きから騒々しい子だ。元気そうでよかった。


『ぼく成仏するね』

 もやが言った。

『大丈夫。その人そんなに手強くないから』

「え?」

 靄はどんどん薄くなる。ミナの声もだんだん遠ざかる。

『特別に教えたげる。弱点は、ミ──』

「ミ?」

 返事は無かった。

 靄は消えていた。まるで最初から何もなかったように。


「ギャー! 消えた」

 桃子は青くなっている。わたしはそれを無視して考え込んだ。

 最後のは何の話? ミナ以外にも何かあるのだろうか。


「ああ、玩具が減っちゃった」


 背後から只ならぬ気配を感じ、わたしは振り返った。


「アイラ?」

「でも少しは面白かったわ」


 わたしは桃子を庇い、アイラに向き直った。

「今度はアイラが憑かれたの?」

 アイラは嘲笑った。

「いい加減目を覚ましたら?」

「何言ってるの。今度は誰」

「私は私よ。忘れちゃった?」


 アイラの瞳が赤く光った。その色に吸い込まれそうになる。


「思い出して? 私は貴女達を唆してここへいざなった、ただそれだけの存在よ」


 ただそれだけの──

 突如、足元に大穴が空いた気分がした。

 それは、固く信じていたものが崩れ去る感覚。

 そう。アイラなど元々いなかった!


 一体いつから、わたしはアイラという存在を認知していたのだろう? 幾ら記憶を掘り返しても、アイラとの思い出はない。わたしの親友は桃子一人で、アイラは──この恐ろしいものは、どこからか紛れ込んできた偽物だったのだ!

「ああ!」

 わたしは叫んだ。記憶が次々と書き換えられていく。頭がパンクしてしまいそうだ。


 アイラは愉快そうだった。


「二人の親友を演じるのは楽しかったわ。人って簡単に暗示にかかるのね」


 わたしたちは目をアイラに釘付けにされながら、じりじり後退した。


「何でこんなことするんだ!」

 桃子は喚いた。

「何で、ですって? 面白いからよ。二人が怖がってくれて楽しかったわ。

 それにね、もうミナちゃんには飽きちゃったの。あの子の血の匂いで私は祠から目覚めたけど、最近はもっと刺激が欲しくなったのよ。新しい血が」


 アイラは妖艶に笑った。


「貴女達を今すぐ真っ赤に染めてあげる……とっても素敵に殺してあげる! そして私の新しい玩具になって」


 ……まずい。

 わたしは桃子の手を取り、一目散に廊下を走り始めた。


「うふ。どうせ逃げ切れないわよ」


 そう言ってアイラは、ゆらりと姿を消した。


「え、どこに」

「依織」

「何?」

「あいつ、雨を嫌がってた」

「え」

「弱点は、ミ……水だ」

「……」


 言われてみれば、そうかも?


「でも水なんてどこにも……。水道は止まってるし」

「んー、屋上に水溜まりが」

 いやだめだ。もう屋上には出られない。

「そうだトイレ! まだ便器に水があった」

 桃子が「うげ」と言った。

「マジでやんの? 本当に効く保証もないぞ」

「やる価値はあるよ。容器はある?」

「給湯室に食器が」

「よし」

 わたしたちは脱兎の如く駆け出した。


 古びたコップを二つひったくって便所へ走り、汚い水を汲む。

 何とか逃げ出すために、再び昇降口へ向かった。


 ところがそこでは、アイラがにっこりと待ち伏せしていた。

 心臓が止まるかと思ったが、怖がる暇はない。


「えいっ」


 わたしは彼女に水をぶちまけた。しかしアイラが無造作に手を振ると、水は空中で跳ね返され、わたし諸共吹っ飛んだ。

 ガラスのドアにぶつかり、息が詰まった。腕の傷からじわっと血が広がる。


 その時──ぎしっと、ドアが揺らいだ。


 見ると、私の横で零れた水が流れ、ドアにまで到達していた。


 これで、縛めが解けたのだろうか……?


 桃子が、素早く動いた。


 水を半分ほどアイラにかけ、アイラが目を奪われた隙に残りの半分をドアにピシャリと投げつけた。わたしの手を掴んで立たせ、ドアを力一杯押す。


 ──開いた。


 追い縋るアイラの手をすり抜け、二人で外へと逃れる。

 バタンと扉が閉じた。それきり開かない。

 アイラは追って来ない。


 二人は盛大に溜息をついた。


 ***


 道路に出ると、車が無傷で停まっていた。


 二人してへなへなと座席に座る。


 わたしは、紛い物のアイラの記憶をぼんやりとなぞった。

 さっきまで車の後部座席にいた彼女は、もういない。


「あたし、依織が友達でよかった」

 桃子がぽつりと言った。

 わたしは驚いて桃子を見て、それから微笑んだ。

「わたしも」



 おわり

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