ジュノの秘密

 午後の太陽は、世界を黄金色に染め上げる。金色に輝く草たちが渡ってきた風にざわめく。傾いた陽の光はまぶしくて、俺は思わず手をかざした。


 森を抜けると、灌木が並ぶ草原に出た。これまで身体に巻きついていた森林独特の湿気はなりをひそめ、乾燥した風が土埃の匂いを運んでくる。


「ヴァルナに着く頃には真っ暗になってると思うから。次の宿場町ドヴィニクで夕飯を食べよう。あそこには、じいが気に入ってるお肉の店がある」


「それは期待できそうだなぁ」


 ウォルじいさんは領主の武術師範を勤めた経歴がある。おそらく美食の経験も豊富だろう。そのじいさんが気に入ってるのだ。ただの店ではないだろう。きっと。


「うん。うまいから期待しててくれ!」


 俺達が乗った白馬はさらに街道を南へと駆けていく。このまま走ればドヴィニク、そして目的地のヴァルナへ到着する。



 俺たちがドヴィニクに着いたのは、太陽は西の山へ吸い込まれようとている頃だった。見上げれば、黄昏独特の、夕焼けと夕闇が混じりあった、薄紅色と紫の空。


 馬を引いて街道沿いの街を歩く。すでに酒に酔っているような男たちもちらほらと見受けられた。旅人が宿を探す時間だからか、マリヴィアよりも賑やかだ。


 お目当ての店は食堂ではなく、露店だった。焼き台の上に、串が刺さった肉が並べられている。見た目は大きな焼き鳥といった具合。


 店主のヒゲの男は、右腕を蛇の鎌首のような形にして、高い位置から塩をファサーとふりかけている。


「おっちゃん、羊を二人前ちょうだい」


 店主はニッと笑って、焼きたての串を二つ差し出してきた。俺は財布から硬貨を取り出した。


「ケバブといって、海の向こうの料理なんだ。これにキセロムリャコをつけると美味しいんだぞ」


 でた。キセロムリャコ。例の白くてすっぱい、どろどろしたなにか。


 ジュノは焼き台の前に置かれている、陶器の壺に肉串を突っ込んだ。引き上げると、肉串は真っ白になっていた。


 白くどろどろした液体が、肉の棒からしたたり落ちる。それをまつりちゃんそっくりなジュノが美味しそうにくわえている。


「すっごく美味しいよ! シャチクもほら、食べて食べて!」


 口の周りを白い液体で汚したジュノが言う。なんだろう。すごくこう、背徳感があるビジュアルだ。


 酸っぱいものは、食べると顎の付け根が痛くなるからイヤなんだけど、ジュノの期待のこもった目がこちらを見上げている。そんな、キラキラした目をされたら断れないじゃないか。


 もう、覚悟を決めるしかない。


 壺に肉串を入れて、くるくるとかき回す。キセロムリャコが肉にからみついた頃を見計らって、引き上げる。そして白い液体がしたたる肉串をパクッとかじる。


 …。


 ……。


 うん。思ったほどすっぱくない。肉の脂が中和されてさっぱりした味わいになる。これはこれで、美味しいかもしれない。


「だから言っただろう? キセロムリャコは万能調味料だって」


 ジュノ、なぜか勝ち誇る。



 こうして、二人で美味しい肉串に舌鼓を打っている時であった。


「おい、あれを見ろよ」


 突然、後ろから声がかかった。


 振り返ると、一目でガラの悪いと分かる、言うなれば田舎のイキったヤンキーみたいな男達がこちらを見ていた。


 白馬を連れたスーツ姿の男がいるのだ、よく考えれば目立つに決まっている。実際、先ほどから通りがかる人たちの視線が気になっていたところだ。


 だが、そんな俺の予想とは違って、ヤツらの目はジュノを捉えていた。


「おいおい、こんなところにゴブリンがいるぞ」


 下品な笑みを浮かべながら、ヤンキーどもは近づいてくる。


 ん? ゴブリンだって?


 知っている名詞だ。RPGなんかで、初期に遭遇するザコ敵だよな。

 そのゴブリンが、なんだと言うんだ。


「なんで街の中にゴブリンが入り込んでるんだよ。臭くなるだろうが!」


 ヤンキーの一人が持っていた酒瓶をジュノに投げつけてきた。咄嗟にかわすジュノ。酒瓶は地面に落ちて、甲高い音をたてて粉々になった。


 え? ゴブリンて、ジュノのことなのか?


 横目にジュノの顔を見る。彼女は、奥歯を噛みしめたような表情をしていた。


「おい、こいつしかも、ただのゴブリンじゃねぇ。ハーフゴブリンだぜ?」


 一瞬、ヤンキー達は静まりかえった。直後、ゲラゲラと下品な声をあげて笑い出す。


「ゴブリンに犯された女の子供かよ、汚らわしい!」


「最低のゴブリンじゃないか。生きてて恥ずかしくないのかよ! アハハハ」


 誰にはばかることなく、ジュノへの侮辱を繰り返すヤンキーども。周囲に人が集まってきても、ヤツらの罵詈雑言はとまらなかった。


 ジュノはうつむき、ぎゅっと拳を握っている。彼女の体術と炎の魔法なら、こんな奴らを倒すのは容易なはずだ。だが、ここで暴れることがどんな結果をもたらすか。それが分かるから、必死に敵意を隠し、我慢しているのだろう。


 彼女は、それでいいかもしれない。だが、俺は違った。


 ヤンキーども笑い声を聞いているうちに、腹の奥から熱いものがせり上がってきた。それにつれて、全身の筋肉が振動しはじめる。


 抑圧される社畜生活の中で、忍従を強いられる生活の中で、退化した感情が蘇る。

 それは、「激怒」だ。


 まつりちゃんに似た女の子が、唇を真一文字に結んで屈辱に耐えている。それだけで俺には、この感情を放つに十分な理由が生まれた。


「訂正しろ!」


 自分でも驚くほどの大声を、俺は張り上げていた。


「はあ? なんだこいつ」


 手前にいたヤンキーが、小馬鹿にするように、顎をしゃくってみせた。


「今すぐ、ジュノにぶつけた言葉を取り下げろと言ったんだ!」


「なんだよお前、変な格好しやがって」


 だがゴロツキどもは、俺の怒りに燃える目を見ても、微動だにしない。それどころか、俺の顔を見てニヤニヤと汚くいやらしい笑みを見せる。

 見下されている。そう思えた。


「ゴブリンをゴブリンと言って何が悪い。劣等種族が、人間様の街にくるのがそもそも間違いなんだよ。お前の連れだっていうなら、さっさとこのゴブリン女連れて街から出ていけ」


「そうだ、そうだ」


「臭くて汚い村へ帰れ!!ゴブリン!」


 こいつら…!


 無理だ。もう我慢の限界だ。


 直後、シンジが言った、「チート」という言葉が頭をよぎった。異世界に転世した人間は、常人を遙かに超えた最強の力が手に入ると言う。


 そしてアレーシアさんは、俺を勇者だと言ってくれた。


 そうだ。今の俺はただの社畜じゃない。伝説の勇者シャチクなんだ。

 ならば、こんなやつらに負けるはずがない!


「それ以上言ったら、俺はお前らを許さない」


「へぇ、許さないなら、どうするつもりだい? 俺たちとやろうってのか?」


「そうだ。手が出せない彼女にかわって、俺がお前らを制裁する」


「ほう、制裁ときたか。おもしろい」


 ザッと砂を踏みならして、ヤンキーどもは距離を取った。明らかに場慣れしている。もしかしたら、暴力で生活をしているヤツらかもしれない。


 そんなヤツらに勝てるのか?


 勝てるはずだ。なぜなら俺は、正義の怒りに燃えるチート勇者なのだから。


「ウオオオオオ!」


 気合いを放ち、男達に挑みかかった。


 だが。


 俺のパンチは見事に空を切った。

 と同時に、男の拳が俺の顎をとらえた。

 顎に重い痛みが響き、目がチカチカする。


「シャチク!」


 頭がシェイクされたような感覚に屈し、俺はその場でひざをついた。


「こいつ、背が高いだけで見かけ倒しだぜ!」


 男の蹴りが俺の頭を捉えた。地面に伏した俺の脇腹を誰かが蹴りつけた。グッと喉がつまり、呼吸が乱れる。


 あとはもう、一方的だった。俺はただ、暴力の嵐の中で、ただうずくまることしかできなかった。


「やめろ! あたしが街を出ていけばいいんだろう!」


 ジュノが叫んだ。


 その声と共に、ゴロツキどもの攻撃がとまった。


「ちっ、酔いがめちまったぜ」


「せいぜい、そのハーフゴブリンと仲良くやってろ。腰抜けが」


 ゴロツキどもは、豪快に侮蔑の笑い声をあげて、この場から立ち去った。


 店に迷惑をかけてしまった。俺たちもこのままいられない。店主に一言謝ると、俺とジュノは白馬をひいて街外れへと向かった。



 白馬は、背に乗せた俺たちの心境を察したように、とぼとぼと歩く。


「ごめん、シャチク。あたしのせいで。こんな傷だらけになって」


 振り向いたジュノは目には、涙がたまっていた。俺はゆっくり、首を横に振った。


「俺が好きでやったことだよ。あんなひどいヘイトスピーチ、許せなかったし」


「ヘイトスピーチ?」


「生まれとか性別とか、自分ではどうしようもないところをあげつらい、ひどい言葉を投げつけてくる卑怯者がやることだよ」


 ジュノはうつむき、袖で涙をぬぐった。

 そして顔をあげると、泣き笑いの表情で俺の顔を見上げた。


「でも、うれしかった。あたしをかばってくれるなんて。優しいんだね、シャチク」


 人として、男として、当然のことをしたまでだ。礼を言われるまでもない。

 シンジが言うところのチート性能があればもっと格好良かったのだろうけど、ジュノの心を護ってやれたのなら、それで十分だ。


「あたし、森の中に捨てられてたんだ」


 それからジュノは、自分の事を語りだした。


「それをじいが拾ってくれた。じいはあたしがゴブリンとのハーフでも、自分の孫のように育ててくれた。たまに厳しい時もあったけど、いろんな事を教えてくれた。じいの周囲にいる人間、例えばアレも、私を人間扱いしてくれた。だからあたし、きっと思い上がってたんだ。その鳥かごから出れば、私は下等な亜人デミの血を引いた汚らわしい女だっていうのに」


「そんな言い方するなよ」


 哀しいじゃないか。


「俺には、この世界のゴブリンがどうとか分からない。でも言葉は交わせるし、意志も通じる。確かに種族は違うのかもしれないけど、俺から見ればジュノは人間だよ。だから、二度とそういう言い方はしないでくれ。聞いてて、つらくなる」


 ジュノは小さく、こくっと頷いた。


「シャチクは、あたしを初めて見たときも、変な顔しなかったもんな」


「あのときはそんな余裕がなかった」


「でも、うれしかったんだよ。シャチクはあたしと手をつないでも、払ったりしなかったから」


 のぼりかけた月の明かりが照らしたジュノの笑顔は、言葉では簡単に説明できないほど可愛くて…。


 俺はその表情をずっと見ていたいという気持ちになった。

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アン:ブレイカブル ~過労死できない男の異世界逃避行~ 細茅ゆき @crabVarna

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