episode10-last

「準備は終わったのか」

「ええ、隆源さん」

 ここは滝上家、滝上隆一の部屋だった場所である。

 しかしそこは引っ越し直前のように、全てが片付けられている。

 最後の戦いに終止符が打たれてから、既に四か月の時が流れていた。

 ヴァルを始めとして、様々な問題行動を起こしたモノたちについての処遇は、滝上隆源らの便宜もあり、非常に軽いものだった。特に【六柱】については、“ブルーアイ”関連を“王”が取り仕切っていたことや、最後の戦いで結果的に人類側に協力したこともあってか、かなり減刑された。実際のところは圧倒的な力を持ったモノたちの機嫌を損ね、再び戦いの火種となることを危惧したのもあるのだろう。

「そういえば、隆一がもっとお前と話したいと言っていたぞ」

「隆一くんが、そんなことを。……あれだけのことをした俺に」

「双子の兄のように思っているのだろう。常々兄が欲しいと言っていたからな」

「兄、ですか。俺には勿体ない話ですね」

「それを気にしても仕方がないだろう。被害に遭った隆一自身がお前を赦してしまったのだからな。……それに私が言えることはない。たとえ……」

 今日はヴァルを含め、ミラジオのモノたちが元の世界へ還る日だった。

「番や、準備は出来たかの?」

「貴方、そろそろ時間よ」

「あ?」

「あら?」

 【水龍】、改めアザレアと、白髪の女、改めアリシアが同時に部屋に入ってくる。そして同時に二人の視線がぶつかり合い火花を散らす。平時から概ねこのような関係のため、ヴァルは勿論、隆源でさえもこの光景にはすっかり慣れてしまった。

「二人の女を侍らせるような男だとしてもな」

「それについては、まあ、流れというか、運命というやつだったんです」

「番や、茶器などは丁重に運んでやったからの」

「ああすまない。ありがとう」

「よいよい」

「……私もやったのだけれど」

「分かっているさ。アリシアもありがとう」

 何とも言えない空気のまま、荷物を運び出すヴァル。

 荷物が入った段ボールを持ちながら、玄関の方へと向かっていく。

 用意された黒のワゴン車に荷物を載せ、所定の場所に運ぶ手筈になっている。

「それにしても、これを俺が持って行っていいんでしょうか?」

「再三言っただろう。殆どの家具はお前の好みに合わせて私たちが買ったものだし、コーヒーセットにしても、お前が小遣いやバイト代で買ったものじゃないか」

「……そうですね」

「そういうことだ。隆一のものはまた改めて買いに行く」

 隆源とヴァルは口元に僅かな笑みを湛えながら歩く。

「一時はどうなる事かと思ったが、何とかなって良かったのう」

「まるで、母親のような物言いね」

「ま、僅かな差ではあるが、姉さん女房じゃからの」

「あらそうなの。貴女とは長い付き合いだけど、知らないこともあるのね」

「仲が悪い時期の方が長いんじゃから、まあこんなもんじゃろうて」

 彼らの後ろ姿を見ながら、アザレアとアリシアも笑っていた。

「アザレアちゃん、アリシアちゃん! これも持って行って!」

 優に数百年生きている彼女たちをこのように呼ぶのは一人しかいなかった。

 滝上隆一の母である、滝上美冬だった。彼女が持つ独特なペースと雰囲気には、数百年生きるアザレアやアリシアでさえも乗せられてしまう、何かがあった。

「ヴァルが好きだった食べ物のレシピなのよ。まあ、……あっちの食材とか分からないから役に立つかは分からないけど、一応ね?」

「礼を言う。美冬殿」

「ありがとうございます」

 二人は美冬から渡されたノートを自身に引き寄せながら礼を言う。

「……二冊用意した方が良かったかしら」





 所変わって、滝山市のショッピングモール。

「はぁ~、もうすぐ時間ですよ。クロエさん」

「待って椿姫ちゃん! もうちょっとだけ選ばせて!」

「予定時間に着くなら、あんまり余裕ないですってば」

「いやホントすぐ終わるから!」

「さっきそう言ってから一時間は経ってますよ」

「次こそマジだから!」

「はぁ」

 椿姫とクロエは服飾店へと訪れていた。

 如何に特異な血筋のクロエであっても、心と体は十代後半。

 他者の目が気になってしまう、とても繊細で多感な年頃だった。

 故に、たとえ故郷が魑魅魍魎が跋扈する地であってもオシャレはしたい。

 だからこうして店舗に並べられた服たちと何時間も睨みあっているのだ。

「見せる相手も場所もないでしょうに」

「ミラジオにだってお店くらいあるわよ! 馬鹿にしないでくれる!?」

 相手がいないのは否定しないんですね――

 というのは口が裂けても言えなかった。

「……失礼なことを言われた気がするわ」

「き、気のせいじゃないですか!? ささ、服選びを終わらせちゃってください! い、一着くらいなら私がお給料から出しますよ! ねっねっ!」

「え、マジ!? やった! じゃあこれと、あれと、あれもいいなぁ!」

「はぁ……、さっさと終わってほしい」

 椿姫の声は店内に溢れる喜びの声に掻き消される。

 だが、悪くない。椿姫は平和な日常に浸る。

 ……しばらくしてクロエが口を開く。

「そういえば、あの最後の戦いの後、変な声が聞こえたって言ったわよね」

「ええ、そんなことも言いましたね。……でも今ではただの幻だったのかなって、そう思うようになりました。聞こえたのもあれっきりでしたし」

「案外、本当かもしれないわ。今じゃ真実を訊く事はできないけど」

「どういう意味です?」

「あの場から猫の死体を持って帰ったの覚えてる?」

「ああ、あの尻尾が二つあった子ですか?」

「そそ。あの猫、お父様の親友だったのよ。まあ、“王”に憑りつかれて【幻相】になってたらしいんだけど。で、その猫、幻を見せたりする力があったらしいの」

「へぇ、じゃあその猫が私に語り掛けてきたってことですか?」

「まあ可能性としてはそれが一番ありそうかなって。私やお父様にそんな能力も、暇もなかったし、“王”が自分の不利になるアドバイスはしないだろうからね」

「その猫だったとして、何で私だったんでしょうね」

「さあ? さっきも言ったけど、真実は闇の中よ」





 時は流れ、出発の時。

 X県のとある海岸沿いには、沢山のモノたちが集まっていた。

 ヴァルを始め、アザレアやアリシア、クロエ、【轟焔】といったミラジオ・ユスフェリエ出身のモノたちや、椿姫や隆源、美冬といった滝上家のもの、そして、彼らと縁が深いものたちである。

「もうすぐ時間ねぇ。忘れ物はない?」

 美冬はあくまで母のようにヴァルに接する。

 その傍らには本物の滝上隆一の姿もあった。

「ええ、大丈夫です。隆一くん、君も来てくれたのか。……ありがとう」

「うん! ……ヴァルさん、もう行っちゃうの?」

「ああ、そこが俺の家だからね」

「そっか、元気でな!」

「そっちこそ」

 ヴァルは隆一の頭を撫でながら微笑み掛ける。

 それにつられて隆一もにこりと笑う。

 そこへ、一人の青年が近づいてくる。

 ヴァルが人間界で初めて作った親友の街田啓であった。

 彼の傍らには彼の彼女となった峰山の姿もある。

「よっ、元気だったか?」

 などと、街田は至って平静を保ちながらヴァルに話しかける。

 彼の朗らかな笑みは自然で、ヴァルは胸に込み上げてくる何かを感じた。

 種族の垣根を超えた友情がヴァルと街田の間にはあった。

「お前、全然連絡寄こさねえもんだから、心配だったんだぜ」

「啓、…………ありがとうな」

「にしても、りゅ、じゃねえや。ヴァル、お前散々俺のことをモテ野郎とかいった癖に、あんな美人を二人と結婚してるって聞いた時にはビビったぜ。しかも、竜ヶ森が娘って! ……お前そういう趣味あったのか?」

「ねえよ! ふざけんな! ……ははは!」

「ははははははは!」

 ヴァルと街田はどちらともなく笑い始めた。

「ま、元気でやれよ? 偶にはこっちに来いよな」

「おう」

 彼らは拳を軽くぶつけあう。

 一方、

「【聖賢】、お主はやはりここに残るのか?」

「私は既にここに骨を埋めると決めているからね」

「そうか、達者でな」

「そちらこそ」

 アザレアと柳沼は端的な言葉を交わし、会話を終える。

 そうして時間が過ぎた頃、ヴァルの下に隆源が近づく。

「ヴァルジール、正月ぐらいは家に来い」

 と、隆源が短く言い放つ。

「……ありがとう、隆源さん。その言葉だけで嬉しいです」

「あと、元捜査班の東藤から「達者で」、と言伝を預かっていた」

「東藤さんが、そうですか。そちらこそ、と行っておいてください」

「私には何か言うことはないんですか?」

 椿姫がじろりとヴァルを見る。

「椿姫、あまりヴァルさんを困らせちゃダメだぞ」

「分かってるって、……お兄ちゃん」

 隆一に窘められ、椿姫は唇を尖らせる。

 その姿はまさに普通の少女だった。

「ははは、やっぱり仲がいいな。お前たちは」

「ヴァルジールさんと、そんなに変わらないと思いますが」

「そうかな。まあ、どっちでもいいや。……椿姫も元気でな」

「それはこっちの台詞です。……お気をつけて」

「ああ」

 ヴァルは笑みを湛えつつ、その場にいる全員に向き直る。

 その背にはミラジオ・ユスフェリエへと続く孔が開いていた。

「……本当にありがとうございます。我々、ミラジオの民は皆さんから沢山のかけがえのないものを頂きました。ここに至るまでに、酷く辛い出来事が数多くあったのは、この場にいる皆さんもよくご存じのことと思います。私自身、その中で後悔の念を覚えたことは一度や二度ではありません。

 こうして、皆さんに祝福されながら見送って頂けることは、とても恵まれたことなのだと思います。この場にいる方々の力と、奇跡的な出来事がなければ、このような結果にはならなかったでしょう。何か一つでも掛け違えれば、もっと凄惨な結果をもたらしていたかもしれません。それほどまでに、険しい道のりでした。

 我々は皆さんから頂いたチャンスを無駄にすることがないよう、あちらで我々が成すべきことをします。そして、あちらで山積している問題を片付けた後、我々とこの世界に友好を結ぶことができたら、……そう考えています。

 それでは皆さん、またお会いしましょう」

 そうして、異界の民たちは光の孔へと消えていった。

 視界には何事もなかったように、元の物淋しい秋の海岸が映る。

 でも、清涼な潮風がそんな一抹の寂しさを優しく洗い流してくれた。

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Another Face 蔵居海洋 @kuraikaiyou

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