鶴姫一文字・謙信の愛刀秘話

月星 妙

第1話 夢枕の女

「お願いです。私を切らないで……」



 若く美しい娘が、涙を流しながら懇願する。


 これは夢なのか、それとも幻想なのか……



「頼む、泣かんでくれ! わしは、謙信公から頼まれたのじゃ。頼むから、見逃してくれ」



 涙を流す女の顔を覗き込み、パッと慌てて目がさめる。もう何日も何日も同じ夢を見ている。


 枕元に立つ娘の言葉に迷い……いまだこの刀を短く切ることができずにいる。


 わしは、研ぎ師失格かも知れん。



 名刀・一文字の太刀は謙信公のもの。


 振るうには少々長すぎるとおっしゃり、磨り上げて短くするようにと研ぎ師のわしに命じたのも、謙信公だ。


 何ということだろう。この刀を預かった晩から、眠るたびに若い女が夢枕に現れ、切らないでくれと涙を流し懇願する。夢なのか現実なのかさえわからないくらいその娘ははっきりと話す。


 顔を覗き込むと、年の頃は16、7歳。彼女の黒髪には、薄黄色の髪飾りがキラキラと輝いて見える。


 毎夜のことに困り果て、昨夜は思い切って……その娘に名前を問うてみた。


「娘よ、もう泣くのはおよしなさい。わしが明日、謙信公のもとに行き、ことの次第を話してやろう。じゃが、その前にお前さんの名前を教えてはくれぬか? 謙信公も必ずやわかってくださるだろう」


 夢枕に立つ娘は、顔を見上げわしの目をじっと見つめた。


 その娘の美しさといったら……光輝くように、まばゆいばかりの美しさ。思わず我を忘れてしまいそうになる。


「名前を申し上げることははばかれますが、謙信様にお伝えください。この刀の長さはこのままにしておいてくださいと……。短くすると次のいくさの時に、謙信様のお命が……。いつの世においても、わたくしは、謙信様の事だけを祈っております。そして、願いは……鶴のような夫婦になることでございます。夢と現実の狭間において、祈りだけがわたくしに許されるものなのです」


「娘よ、そなたの思いは、よーくわかりましたぞ。だが……その思いを謙信公に伝えるため、そなたの名前を教えてくだされ……」



 美しい娘は、やさしく微笑むと無言でスーッと消えて行く。


「待ちなされ。そなたの名前を……どうか教えておくれ……」


 娘の笑顔だけが残影として脳裏に残る。



 鶴のような夫婦? 娘が話したことが、どういう意味なのか、わしにはさっぱりわからずにいたが、ありのままを謙信公にお話ししよう。




◇ ◆ ◇


 ー 翌日 ー


 春日山城にひとりの研ぎ師が、名刀・一文字を胸に抱え、不安げな顔で謙信公に会うためにやって来た。



「殿、一文字を短くするようにと命じた研ぎ師が、殿に折り入って話があると申しておりますが……」


 甘粕景持あまかすかげもちが、謙信にそっと耳打ちする。


「なんでも、夢枕にうら若き娘が毎夜現れるとか……」


「なんだと……。すぐにここへ呼べ」


 謙信は、うら若き娘と聞き、すぐに反応した。影持かげもちは研ぎ師を呼び、何が起こったのか説明するように命じる。



「そなたの枕元に毎夜、若い娘が現れるというのは本当の話なのか?」


「ははーっ。本当のことでございやす。その娘はわしの枕元で毎晩泣きながら、刀を切らないでくれと懇願するのでごさいます。わしは、研磨することが仕事ですし、そんな夢枕に出でくる娘の言うことをハイハイと聞くことなどできるはずもございません。しかし……毎夜のことなので、正直ホトホト困り果てておりました。そして、昨夜思い切って娘に話しかけてみたのでございます」


 謙信は、無言で話を聞いていた。


「その娘は歳の頃、16、7で、それは、それは美しい娘です。娘に名前を聞いたのですが、名前を教えることはできないが、殿にどうしてもお伝えしてほしいことがあると伝言を頼まれました」


 謙信が即座に研ぎ師に問いただす。


「その娘からの伝言? その娘は何と言ったのだ? 」


 研ぎ師は、謙信の強い口調に少したじろいだが、「ふーっ」と深呼吸すると思い切って話し出した。


「毎夜出てくる美しい娘は、刀の長さをこのままにしておくようにと懇願しておりました。短くすると謙信様のお命に関わるのだとか……。いつの世においても、謙信様の事だけを祈っていると……。そして、願わくは……いつか鶴のような夫婦になりたいと話しておりました」


 謙信は、黙って聞いている。謙信が伊勢と夫婦になると決めた時、伊勢は「鶴のような夫婦になりたい」と微笑んでいた。


 鶴は、一度つがいになると一生涯、別れることなく添い遂げる。そのことを知っていた伊勢は謙信との婚儀を心から喜び、思わず口にしたのだった。謙信はその時のことを今でもはっきりと覚えている。




 悲しいことに、敵国で降将の娘・伊勢を妻にすることは、傾国の元であると、父の代からの重臣・柿崎影家かきざきかげいえの猛反対にあい、二人は引き裂かれた。


 

 愛する伊勢が亡くなり、謙信は高野山で修行をするようになったものの、どんなに祈ろうとも心の中から伊勢を消し去ることなど出来なかった。




「その娘の髪には、薄黄色の髪飾りがキラキラと輝いておりました。どうか……名前をおしえてくれと懇願したのですが、娘は微笑みながら消えて行ってしまったのです」


 謙信は、その娘が柿崎影家かきざきかげいえの陰謀により殺められた伊勢姫だと確信していた。影家かげいえは、いまだ側近として謙信のもとにいる。その娘が伊勢ならば、名を告げるといざこざのもとになりかねない。伊勢はそんな心配をしたのだろう。その優しさも伊勢らしかった。


「何ということだ! 」

 影持かげもちが、涙ながらに叫んだ。


 謙信は、じっと身じろぎもせず、目に涙を溜めている。

 言葉をなくし、静寂だけが時を包んでいく。


 あの娘は、謙信公にとって大切な方だったことだけは、二人の様子からみてもわかる。




 ー 数分後 ー



 影持かげもち殿のすすり泣く声の他に、名刀・一文字を抱きかかえ嗚咽し泣いている声の主が謙信公だと気づくのにそう時間はかからなかった。謙信公は悲しみを抑えることができず、泣いているのだろう。

 二人の顔を見るのははばかれるため、わしは頭を下げたままじっとしていた。



 そんな重苦しい時間を何分か過ごした後……謙信公が口を開いた。


「研ぎ師よ。よくぞ知らせてくれた。高野山から戻った後、毘沙門天にこもり、何度……天の声を聞きたいと願ったことか……。そなたのその伝言こそが観音様のお言葉なのだ。これからは、迷うことなくこの戦国の世を生きていける。薄黄色の髪飾りの娘が、この謙信の身を心配し、祈り続け……いつの世かに鶴の夫婦のようになりたいと聞き、どれほど救われる思いか。そなたに預けたこの刀……今日から鶴姫一文字と名付け、いつの時も我が手元に置いておく。薄黄色の髪飾りの娘の思いを受け止めようぞ」


「ははーっ。ありがとうございます」

 

 

 謙信によって春日山に作られた毘沙門天では、謙信の母・青岩院と伊勢の身代わりとして2体の観音像が置かれている。


 謙信は、この研師から伝えられた出来事の娘が伊勢だと確信していた。亡くなってもなお謙信の心を捉えて離さない愛しい伊勢。


 謙信の愛刀・鶴姫一文字にまつわる愛の秘話



 謙信と伊勢の愛は、時を超えてもなお、消えることなく灯され続けている。

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