第3話 試合の後には
塚崎を降して王座についたのはマカリスタという男だった。
無理かつ無駄な減量を行った塚崎にはどうしようもないほどに強く、ノックアウトされなかった事だけがせめてもの救いである。
「ヤーシャ、そんな顔するなって。ほら、ただ酒なんだから好きなだけ飲めよ」
そう言いながら巨大なグラスでロックアイスを浮かべたビールを飲むトレーナーから離れ、塚崎はレセプション会場の隅に移動した。
同じように壁際で渋い顔をしている者達が数人おり、その内の一人と目があった。
顔には無数のアザが有り、右眉の辺りに大きなカットバンを張っている。
互いに気まずさを共有しても仕方が無い。どちらからともなく視線を逸らした。
会場では勝利者の周囲に人が集まり、敗者は壁際にたたずむ。まさしく格闘技の縮図だと塚崎は思った。
打撃を浴びた直後にアルコールなどを飲めば危険だろうと思うものの、レセプション出席までが契約内容に謳い込まれていたために、帰るに帰れず塚崎はため息を吐く。
敗者も何人かはヤケ酒をあおっているし、勝者も呑んだり呑まなかったり。
料理は乾き物とサンドイッチなどの軽食が用意されているが、手を伸ばす気にはなれなかった。
塚崎は無性にウーロン茶が飲みたかったのだけど、会場には置いていなかった。
「ツカザキ」
声を掛けられ、振り向くとマカリスタが立っていた。
顔中アザだらけの自分と違い、何カ所かの擦り傷だけが戦いの痕跡だ。
「ナイスファイトだった。サムライと戦えて嬉しいよ」
年齢はまだ二十三歳らしく塚崎よりもだいぶん若い。しかし、穏やかな物腰と上品な言葉遣いは老成した雰囲気を感じさせた。
塚崎はなんと答えるか考え、恨み言についてはひとまず封印して彼を称えることにした。
「いやいや、あなたは強かった。偉大なチャンピオンだ。そうでないと俺が困る」
マカリスタは一瞬、ポカンと口を開けたが、やがて笑い出し塚崎の右手を強く握った。
「あなたと戦えてよかった」
「こちらこそ」
握手を交わすと、嬉しそうに笑うマカリスタは仲間たちの元に戻っていった。
こちらには取り囲む仲間なんていない。唯一、仲間と呼べるはずのトレーナーはすでに出来上がっていて、会場で会った知人と馬鹿笑いをしていた。
オーストラリアでの初試合兼タイトルマッチは惨敗に終わったものの、しかたがない。塚崎は全部トレーナーのせいにして、忘れることに決めた。
レセプションが閉会し、会場を去るとき、マカリスタがやって来て袋を手渡す。
「何これ?」
中には缶ビールが五本入っていた。
「ツカザキは飲めなかっただろ。怪我が治ったら飲んでくれよ」
マカリスタからの思わぬ心遣いに塚崎は会釈をして礼を言った。
「お礼に俺のトレーナーあげるから持って帰ってよ。いくつかの致命的な問題に目をつぶればいいやつだから」
言われてマカリスタはトレーナーに視線をやった。
そちらでは既に会場の撤収が始まっているにも関わらず知り合いとビールを流し込むトレーナーがおり、マカリスタは苦笑を浮かべた。
「燃費が悪そうだから遠慮しとくよ」
「賢いね」
塚崎とマカリスタは軽く笑い合って別れた。
バスに乗って家まで帰る。
家とはいってもトレーラーハウスが大量にならぶプールである。
それぞれのトレーラーハウスで滞在者が数人ずつ暮らしており、塚崎も日本人と暮らしていた。
「あれ、ヤーシャじゃん」
呼ばれて振り向くと、日本人の女の子が立っていた。
藍という名前の女の子は、塚崎と同じ農園で働く滞在者だった。
「なにやってんの?」
誰かと飲んだ帰りだろうか。少し酔っていた。
「パーティ帰り」
塚崎はぶっきらぼうに言った。
「ウソ、いいなあ。なんのパーティ?」
藍はパーティという言葉に反応すると駆け寄ってきて腕を絡ませた。
風呂上がりのような甘い匂いが鼻腔をくすぐる。
大学を中退してオーストラリアにやって来た藍はまだ二十そこそこだったと思う。
ワーキングホリデーに参加する者特有の活発さが藍にもあり、それは彼女の魅力でもあった。
「これなに? お土産?」
藍は塚崎から袋をひったくると中身をのぞき込む。
「やった、ビールじゃん。ねえヤーシャ、私にも分けてよ」
死闘を演じた相手から送られた品を気安くねだる。塚崎のことを他国の者のようにヤーシャと呼ぶ。猫のようなしなやかさ、といえば聞こえはいいが、軽薄な女である。
そして塚崎は軽薄な女を嫌いではなかった。
「よし、いいよ。飲もうぜ」
塚崎の心の内で、くすぶっていた闘争本能に再び火がつく。
アドレナリンが体を巡り、海綿体に血が流れ込んでいく。
塚崎は藍の手を引くと歩き出した。
塚崎(仮) イワトオ @doboku
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