エピローグ
「トウマ、なんで……なんでよお! トウマが死んで、わたしが生き残ったって……助けてよ、だれかトウマを助けてよお!」
鈍色の空から絶望の雪が降ってくる。
トウマはもういない。
ミリシャをこの世に一人残して……魔王を残して勇者は死んだ。
「トウマ――!」
こうして人間界は魔界によって支配され、統治された。
「ミリシャ! ミリシャ!」
「勇者で魔王の、ミリシャ・フリージア!」
「あんたがいれば、この世は安泰だ!」
やれやれ、ずいぶんと見当違いな。
でも、うん。
これは、トウマがくれた、宝物のような時間だから。
半魔のわたしが、みんなの勇者になれたのも、魔王後継者という身でありながら、人間たちに受け入れられたのも、みんな、トウマのおかげだ。
よろこべないけれど、これがトウマのくれた、気持ちなんだ。
わたしを、勇者にしてくれた、トウマの。
魔王として死んだ、わたしのトウマ。
恋人としてそばにいてくれなかった、悔しさはあるけれど。
あなたの犠牲がなければ、わたしはなにも手に入れられはしなかった。
魔界からは異端児としてみなされ、人界からは魔物として追われる、そんな未来が待っていたはずだ。
だから、トウマは、わたしを人間の味方であると、強烈に印象付けるために、魔王になって、わたしに倒された……。
わたしを、一人ぼっちにしないために。
だけど、それは、同時に、永遠にあなたを失うことになった。
本当に愛してくれる人は、もういなくなったのだ。
わたしを、たった一人の女の子として見てくれる、大事な人は。
今は亡きトウマを想い、わたしは満月の晩に幻をみる。
禁じられた満ち潮の浜辺で、わたしは白い薄衣をまとい、その冷たいさざなみに足を浸して、歩く。まるでかたわらに誰かが手を添えているかのように……、その腕の中に身をゆだねるかのように、踊るように、ゆったりと。
それは、たったひとときの愛しい人との逢瀬――しかしわたしにとっては永遠にも等しい、優しい時間――
「明日から、また、戦わなくっちゃね。勇者!」
――ああ! ミリシャ……。
わたしにだけ、聞こえるかなしい幻が、力強く言った。
リフレイン……それは魂の。
わたしにだけそっと語りかける、未来の物語。
トウマ、今はもうこの世にいない、わたしの魂のかたわれ。
でも、いつか逢いましょう。
月のロンドが聴こえる前に。
出逢いましょう、わたしたち。
もう、二度と涙は流さない。
あんなにつらく、哀しい思いはもう嫌よ。
だから、ねえ、トウマ。
わたし、あなたを待ってるの。
月の浜辺で足を洗い流されながら、きっとあなたが訪れるって信じてるの。
だって、あなたは勇者トウマ。
勇者の魂を持っていたから。
ねえ、幻じゃなくて本当のあなたなら、じきに目ざめるはずよね……?
待ってる。
いつか逢えると信じてる。
トウマ……トウマ。
大丈夫よね、わたしたち。
今度は離れ離れになったりしない。
愚かな人間たちの欲望に踊らされたりしない。
きっとこの愛を貫きましょう。
一人では潮風は冷たすぎるから……そばにいて。
そばに来て……肩を抱いて。
キスをしてね、トウマ。
トウマ……。
あなた、青い月の光になって、きっとわたしを迎えに来てくれるわね。
だから、待っているわ。
今度こそ、たった一人になっても、あなたを。
それから後――魔王の心臓が蘇りしとき、真の勇者が立ち上がり、その野望をくいとめたという伝説は残り――
人々は打倒魔界の信条を世に広めたという。
しかしそれはやはり、先代魔王ミリシャの残した業績であり、人類の成しえたことではなかった。
そして、世界の在り方を問い、変えていったそれらの想いすらも、たった一人の半魔の少女の秘めたる願いがそうさせたのであり、その他の要因は全て後から付けたされていったものだった。
人々は知らない。
魔王が真に望んだすべての願いは、たった一つであったことを。
彼らは知らない。
かつて魔王を救おうとした勇者がいたことを。
誰も知らない。
勇者を愛するがゆえに、勇者たろうとした魔王の末裔がいたことを。
知るものはいない。
愛されるためではなく、愛するために生きた少年と少女が魂から望んだ世界が、やがて来ることを――
残された伝説が真実かどうかは、歴史を紐解けばわかる。
しかし、それももう叶わぬことだった。
純粋な人間の人口は減り続け、純度の高い魔物とその血を受け継ぐ者たちの時代がやってきた。
オギャァ、オギャァ!
「おお、かわいそうに。こんな世の中に生れ落ちて、しかも半魔の娘。これは強くお育て申し上げねば、生き残れまい」
闇の中からさあっと風が吹いてきて、暗幕の切れ間から少年が駆け込んできた。
「やったぁ。生まれてきたんだね! これでボクは妹分ができた! 一緒に遊んで、一緒に働こう!」
「この子が女の子だとなぜわかった?」
「ん? だっておじいが半魔の娘って言ったよ。聴いてた」
「耳ざとい子だ。そのまえに、読み書き算術を教えて差し上げるのだ、斗真」
「ちえ。それなら歩けるようになるまで、物語の口伝を教えてよ」
「そうさな。どの話にするね?」
「そうだ、あれがいい。半魔の勇者と聖魔王の作った伝説の街――ヨコハマの言い伝え」
「しい、あれは悲劇で終わる、秘伝の物語だ。おいそれと聞かせるわけにはゆくまいて」
「でも、ボク聞いたよお。その話は歴史の中でももっとも実話に近い伝説なんだって。だとしたら――」
「夢見がちなのはいいがな、水を使うからセントラルから汲んできておくれ」
「ああん。この子はミリシャの生まれ変わりかもしれないじゃんか」
「そんなことは、生きてみなければわからんし、たとえそうであっても、同じ運命とは限らないのだ」
少年は赤ん坊の顔をのぞきこむ。
耳の後ろにちっちゃな黒い螺旋が見えた。
小角だった。
「ボクが名付けてもいい?」
「ああ、他に人間の言葉を話すものはもういないからな」
「――この子は、ミリシャ。ミリシャ・フリージアだ」
少年は言って、あらゆる光を避けるように深くふかくフードを被った老爺の手から、彼女をそっと抱き取った。
「ミリシャ、ボクの名前は斗真。トウマだよ……お友達になろうね」
了
魔王が勇者! れなれな(水木レナ) @rena-rena
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