Fin......

Epilogue:白きフィナーレ




「……タバコ、買わなきゃな」


 森の中、開けた場所に現れた池。そのほとりの木にもたれかかってタバコに火をつける。これからやらなきゃいけない事は山積みだ。

 まず、最初にやらなきゃいけない事は、あのおてんば娘を捕まえなければいけない。

 だが、母さんとの戦いで端末を撃ち抜かれている為、連絡は取れない。


「しょうがない、ゆっくりしながら考えるか……」


 木を背もたれに座り込む。急に身体が沈むような感覚に陥った。

 ああ、疲れたな…………

 目蓋が自然と落ちる。そのまま、俺は意識を手放した。



***



 目を開けると、見覚えのある家のソファに俺はいた。

 隣では──父さんが手作りのツマミと一緒に酒を飲んでいる。


『なぁ、悟。お前は何になりたいんだ?』


 遠くから語りかけられるような、潮騒のような優しい声が響く。

 俺が、なりたかった物。一体なんなのだろうか。

 正義の味方、そんな大層なものじゃない。

 人に尊敬されるような人間、そんなのなれるわけがない。


 じゃあ一体、何の為に生きてきたのだろうか。


 ────幸せになりたい。


 ふと思い浮かんだ一つの感情が、答えとなって俺の心を揺さぶってくる。俺の中での幸せって一体何なんだろうか。それを、大人になったら探してみたかったのかもしれない。


 それを声にしたくて、試みるが何もできない。もどかしい気持ちでいると、新しいツマミを持って母さんが台所からやってきた。

 にこやかに笑いながら、たまに父さんをたしなめながら暮らす母さん。

 いつもは厳しいながらも、母さんと俺には笑顔を絶やさなかった父さん。


 こんな二人みたいになりたい、心の底からそう思っていた。そう思っていたんだった。


『そうね、幸せって難しいね……でも、私は今が一番幸せよ?』


 母さんの声が、そよ風のように耳をくすぐる。

 今が一番幸せ、母さんは確かにそう言っていた。

 でも、あの時から母さんはそう言えなくなったのだろうか。追い詰められてきたのだろうか……。



 気づくと、不思議な一本道に立っていた。その先には何も見えない一本道。俺はその先に歩まなければいけないことを知っていた。

 下を向けば──血がずっと流れ続けている。後ろから流れるその血が止まる事はない。足元は紅く染まっていた。

 後ろを振り返れば──無数の死体が転がっていた。どこかで見たような姉妹の、夫婦の、男達の死体が転がっている。

 そのすぐそばに、母さんは倒れていた。もう二度と動くことのない骸達と同じように、道に倒れ伏している。


 ────この道は紛れもなく俺が歩んできた道だ。

 自分の正義という武器を手に、死体を積み上げて進んできた道。その果てには、希望があるのだろうか。

 そんなものはない。あるとしたら、これから先もその正義を貫くだけだろう。


 これで、幸せを求めるなんて、許されるわけない。俺は、握り慣れたグロックをこめかみにあてがった。

 その瞬間、骸がこちらに近づいたような気がした。

 そうか、これが、これこそが正解なのかもしれない…………。


 ゆっくりと人差し指に力を入れようと────



「────バカ、とっとと戻ってきなさいよ……」



 そんな腑抜けた声が聞こえて、銃を持つ手から力が抜ける。ああ、こんな時に声をかけてくるなんてつくづく────空気の読めない女だな。



***



 目を開けると、クラリスが俺の顔を覗き込んでいた。彼女の碧い眼にじっと見つめられて、ようやく意識が覚醒し始めた。

 どうやら、俺は寝ていたようだ。ふと自分の身体を見ると、コートやその下のチョッキは脱がされていた。シャツはボタンを外されて、撃たれた創はガーゼと包帯で手当てされている。


「消毒液派手にぶっかけたけど、意識失っててくれてよかったわ。派手に暴れられたら、私じゃ止められないもの」

「ありがとう、迷惑をかけた」


「それで、今死のうと思ってたでしょ」


 …………ファーストコンタクトの時から思っていたが、この女は上手い。

 核心に触れる質問で有利を取られてしまっては、話の主導権が握れなくなってしまうじゃないか。


「だから、どうした」

「────バカじゃないの?」


 辛辣な返答に思わず押し黙ってしまう。何を返していいか全く分からなくなってしまい、しばらく思考の海に沈みかけた。


「そりゃあ、大切な人が死んで死にたくなる気持ちはわかるけどさ……そんなのもったいないじゃない」

「別に、お前に何が────」


 頰が熱くなる。はたかれたのだと気づくには、少々時間がかかった。


「…………バカなのっ?! アンタに関係なくても私には関係あるの、この森を一人で脱出しろっていう訳?!」

「お前ならできるだろ……?」


 ────そうじゃなくて、と何故か苛立ちを込めた声で言われる。


「本当に、仕事以外には鈍感なのね……確かに、貴方は大切な人を失ったわ、それは覆せない事実かもしれない。でも────アンタを一番大切だと思ってる人の存在は何も考慮しないの……?!」


 一番大切だと思っている人、全くそんな事は考えてこなかった。果たしてこの十年間でそんな人間に出会った事があっただろうか。


「…………それはない、そんな風に思われるような事、してきてな────」


 唇を塞がれる。ナイフの刃でも、銃口の冷たさでもない。柔らかな感触がそっと俺の唇を塞いでいた。

 首の後ろに回される手は、首を折る訳でなく前に引き寄せられる。

 クラリスの碧い眼がすぐそばに在って、ようやく俺は理解した。理解した上で────それを受け入れた。

 しばらくして、唇が開くと彼女は結っていた髪を解いた。任務が終わって、いつも家でやる仕草だった。


「…………私に、いちごオレの甘さを教えてくれたのは貴方、任務の時にもう一人いると楽っていうのを教えてくれたのも貴方、それに────」



 ────人を大切に想うその良さを教えてくれたのも、貴方よ。



「…………そうね、ああ、もうやだ、どうしてこうなったのかしら……!!」


 悔しそうな言葉とは裏腹に、この三ヶ月で見せたこともないような、無邪気な笑顔をクラリスが見せている。

 こんな風に、笑えるんだな、クラリスは。


「とりあえず、これからもには色んな事を教えてもらうつもりでいるんだから、覚悟しなさいよ……!」

「────ああ、分かったよ」


 今、自分はどんな表情をしているのだろうか。幸せになれているのだろうか。本物の幸せがどんなものなのかは分からないが、とりあえずクラリスが笑っているだけで────嬉しかった。


「ほら、家に帰ろ、お腹空いたわ」

「そうだな、家まで我慢できるか?」


 彼女に差し出された手を取って立ち上がる。傍らに転がっているコートが心なしか軽かった。


「あと、昨日言った事だけど…………」


 隣を歩いているクラリスが、少し伏せ気味で何かを言おうとしている。


「そうね、貴方以外には殺されたくないから。だから全力で守ってちょうだいね?」

「……相変わらず図々しいな、そんな奴は誰にも殺されなければいいんだ」

「あら、あらあら、そんなこと言っていいの〜?」


 水を得た魚のように、こちらを肘で小突いてくる。これからの生活が思いやられるが…………少なくとも面白い事になるのは間違いないだろう。

 機嫌をとことんまで良くしたのか、スキップまでし始めている。その姿がまるで──


「村娘みたいだな……あっ」

「────ちょっと、その言い方はひどくない?! 何よ村娘って! 確かに私は田舎者だけど──あっ!!」


 顔を真っ赤にしながらこちらを睨んでいる。それはそれはもう悔しそうな彼女の表情、軽く頭を撫でてやってから追い抜かしてやる。



 背中をはたかれながら歩くその先は、いつもよりも明るく、明るく見えていた。

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サイレント・ジョーカー 〜闇が静かに舞おうとも〜 安東リュウ @writer_camelot

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