帰宅部コーチ

詩一

帰宅部コーチ

「これからこの帰宅部のコーチをさせてもらう、古虎渓ここけいです。よろしくお願いします」


 古虎渓と名乗った二十代後半の男は生徒三十人余りの前に深々とお辞儀をした。

 文武両道をうたうこの高校には部活に入らない生徒、所謂いわゆる“帰宅部”である生徒が全校集めても三十人程度しかいなかった。文武両道と同じく生徒平等を校訓として掲げているこの高校に今新しい風が吹こうとしていた。


 それはある生徒の半ば悪ふざけのような一言から始まった。


「この高校のありとあらゆる部活にコーチがいるのに、帰宅部だけ顧問もコーチもいないのっておかしくない?」


 単なる笑い話で済む話であった。生徒は路傍ろぼうにあった石ころを投げた。池に向かって。池に浮かぶ波紋を見てみたかったのだ。だが、池は池と呼ぶにはあまりにも小さすぎて、投げ込まれた瞬間に一気に水が溢れ返ってしまった。溢れた水はやがて学校の門にまで辿り着いた。


「うちの息子から、帰宅部にだけ顧問もコーチもいないからされていると聞かされたのですけれど、本当なんですの!?」

「いえそもそも帰宅部は部活ではないですよ」

「では帰宅部というのは部活をしていない生徒の蔑称べっしょうなんですの!? それを教師は見て見ぬふりですか!?」

「そもそも蔑称でもないです。愛称ですよ」

「貴方は家族が糞間抜けの頓珍漢とんちんかんと言われた後に愛称ですから気になさらずと言われて納得するの!? 自分がさげすまされていると感じたらそれはもう蔑まされているのよ!? 帰宅部というのが愛称でもなく蔑称でもなく紛れもなく部の名前というのなら何の問題もない話ですわよね!?」


 という問答が学校と親の間で続き、日に日に人が増えエスカレートしていった為、学校側が帰宅部の存在を認めるということで折れざるを得なかった。


 学校側が折れてからの対応は迅速で、帰宅部には即日顧問がついた。その内容はただ生徒が帰る際に一緒に駅まで行くだけのもので、それ以上の事は行わなかった。なぜならそれ以上やりようがないからだ。体裁だけを取ればよかった。これには学校側全体が一致した。だが問題はコーチだった。コーチを務めるにはその道のプロでなければいけない。しかし帰宅を教えるプロなどいるのか。帰宅とは。教えとは。プロとは。などと概念に至るところまで討論を交わし続けて一週間。ついに帰宅部のコーチを探し出すことに成功した。


「本日は皆さんの実力を見る為、固まって帰宅してもらいます」


 帰宅方向によりグループ分けされ、一番人数が多いグループに古虎渓がついていくという形で、帰宅がスタートした。

 特に何かをするというわけでもないので、生徒たちはスタスタと歩いていく。普段と違い大人の人に見られているというプレッシャーからか、口数も少ない。

 するとコーチはパンパンッと手を叩いて生徒たちを振り向かせた。


「おいおい。まるで葬式帰りじゃあないか。君達は学校帰りだろう? だったらちゃんと無駄話しようよ。なんら生産性のない会話をダラダラとさ」


 心中首を傾げつつも、彼らはいつも通り他愛もない話を延々続けながら歩いて行った。しばらく歩いていると商店街に差し掛かった。古虎渓はピタッと足を止めたが、生徒は気付かずそのまま歩き続けていく。


「おい!」


 古虎渓の怒声に近い声に、ビクッと肩を引きらせ、生徒たちは一斉に振り返る。彼は生徒たちに一瞥いちべつをくれると、目を閉じ、手でこっちに来いと合図を送る。生徒たちが十分近寄った段階で、彼は目を開き、すぐ傍の店を指した。

 そこにはゲームセンターがあった。


「ここにゲーセンがあるんだぞ! 寄らないで帰る帰宅部員がどこにいるんだよ」

「いや普通寄らないですよ。ダメって言われていますから」

「あのなあ。いいか? 君がバレー部だとする。相手がサーブを打ちました! 目の前にボールが来きます! どーする!?」

「レシーブします」

「それと同じだよ! 部活なんだぞこれは!」

「でも遊べるほど金持ってないです」

「なんで持ってきてないんだよ逆に! ふざけるな! 帰宅部舐め過ぎだよ!」


 生徒との温度差に古虎渓は苛立ち、語気を強めた。だがこのままではいけないとすぐさま思い直し、深呼吸ののちに話し始める。


「本日は皆さんの実力を見ようとついてきましたが、あまりに実力不足であることを思い知らされました。ここからはガンガン指示を出していきますので、気を引き締めてください。

 他の部活であれば、大会が近いからとかあらゆる“理由”付きでコーチが指導してくれると思いますが、残念ながら帰宅部に今のところ大会はありません。だから私が“理由”を持って指導することはないでしょう。なので君たちも何の為にだとかいう無粋な事をいちいち聞かないようにしてください。私だって本当なら君たちが帰宅大会で優勝する姿を見たいのに、我慢しているのです。

 まあ、君たちがこの部活動でつちかった経験や知識が活かされることはこれから先ないと思いますし、そういった場が現代社会において設けられていないことに対しては非常に憤りを感じます。ですが、逆に君たちには町の人々の衆目しゅうもくがあります。これは他の部活動にはない事です。バスケ部の子がシュートを外したからと言って町内の人たちにあの子は下手だなあと思われることはないんです。そういう守られた壁の中でのプレイの事を練習と言います。ここには皆さんを守ってくれる壁はありません。だからこれは練習ではなく、本番です。君たちは常に大会に出ているのだというくらいの意識で部活動に励んでほしいんです」


 古虎渓は言い終わると感極まったといった表情で唇を真一文字まいちもんじに結んだ。溢れ出そうになる涙を必死で堪えているのであろうか。彼の熱量に、生徒たちは圧倒され自分たちの不真面目さが申し訳なくなった。

 なぜなら古虎渓は一つも嘘を吐いていないし、何より真剣だった。

 こんなに真剣になって自分たちの事を思ってくれる人が今までいただろうか。親も先生もこんなに熱く語ってくれたことなどなかった。人は皆、理由に弱い。なぜ、こうしなければいけないのか。なぜ、こうしたらいけないのか。その理由がある以上、人はそれを行い続ける。逆に理由なしに断行することも、また中断することもできない。だがこの男は理由なく指導すると躊躇ちゅうちょなく言い放ったのだ。なんと清々しい事か。


 こと運動において、この人の言う通りにしておけば大丈夫という存在はかなり大きい。そういう存在がその場に居るか居ないかで実力を発揮できるかが分かれることもある。

 今この場には古虎渓という絶対的な司令塔が存在していた。

 これほどまでに頼もしい事はない。生徒も今までに経験したことのない感覚だった。地に足がしっかりついているのに、どこまでも羽ばたいていけるような感覚。四足獣の鋭敏えいびんさと鳥類の俯瞰ふかん的な視野を同時に得たような無敵と言っても過言ではない感覚。

 今彼らは熱い指導により、スポーツで言うところのゾーンに入っていたのである。


 古虎渓がゲームセンターを向くと、彼らもまた同じ方向を向いた。彼が動き始めると同時に、生徒たちも動き始める。まるで不可視の号令が彼らに下っているように。言語より確かな感覚の世界で、コーチと生徒は完全にリンクしていた。


 店内には煙草のヤニ臭さと老朽化ろうきゅうかした建物特有のカビ臭さが滞留しており、鼻というより咽喉のどに直接のしかかるような重苦しい空気が満ちていた。差し込んだ西日に黄金色に輝いて舞う埃がスポットライトのように見えるほど店内は暗かった。商店街の中の小さなゲームセンターである。十人程度の生徒達でも店内は既に満室のような有様だった。


 数人の生徒たちが財布を持ち、両替機へと向かった。


「全員両替を済ませたところで一つ質問があるんだが、君たちはここでゲームだけをするわけじゃあないだろうな」


 生徒たちは訳が分からず押し黙った。


「今の君たちは食料を持たずに富士登頂を目指しているようなものだ」


 古虎渓はズバリ言いきった。このゲームセンターには自販機というものが存在しない。

 もしもこの中で咽喉が乾いたりお腹が空いたりしてしまった時に、ゲームの真っ最中だったら。


 例えば後もう少しでクリアできそうなシューティングゲーム。

 例えば連勝中の格闘ゲーム。

 例えば後もう少しで取れそうなクレーンゲーム。


 あらゆる場面が想定できた。そこにおやつとジュースがないという絶望的な状況。自分たちはこんな簡単な事にも全く気付かずにいたのか。生徒の一人がフラフラと店外へ出ると、他の生徒もそれに続いた。


 パンとジュースを手に入れた生徒達は、それから小一時間、各々が自由にゲームをし、雑談をし、たまに古虎渓に指導をされながら同じ店内で寄り道の時を過ごした。


 有意義とは言い難い。もっとすべきことがあるはず。確かに友達と一緒にいるのは楽しいけれど。だけれども。もっと。焦燥しょうそうを薄く引き伸ばした皮が時々彼らを包んでいた。

 その感覚の根幹たる部分に目を向けなければいけないような気もしていた。でもまだ、今はいいや。今日はいいや。今週はいいや。だって周りの皆もそうなのだから。言い訳をするわけでもない。ただ何となく理由もなく、とりあえず今じゃあなくてもいいという曖昧な甘えが、彼らの薄い焦燥をペリペリと剥がしていた。こぼしてしまった液体糊を、乾いたときに剥がすような具合に。


 しばらく遊んだ後、生徒達は帰り支度を始めた。古虎渓も満足げな表情をしていた。


 次の日もまた次の日も古虎渓の帰宅部コーチとしての指導は続いた。余念がない熱い指導は確実に生徒たちの胸を打ち、皆真剣にダラダラと下校する日々が続いた。

 だがあくる日、生徒の親がまたも学校を訪ねてきた。


「帰宅部の部費で三万円ってどういうこと!  なんで急に!?」

「今までは部としての活動をしていませんでしたが、皆様方のご要望により我が校の帰宅部も顧問とコーチを設け、本格的に部活動に取り組んでいますから必要なのです」

「それにても高すぎやあしませんこと!? 帰宅部は一体何にそんなにお金を!?」

「毎日学校帰りにパンとジュースを買って、ゲームセンターで友達と遊んだ後家に帰っています」

「ええ。……ええ!? 最近のテストの点数が悪いのもその所為せい!?」

「因果関係は証明できません。それなら、バスケ部やバレー部の生徒も同様に成績が悪くなるはずです」

「そもそも、遊んだりする為のお金は子供たちのお小遣いでさせるべきなのではなくて!?」

「初めはそのつもりでしたが、それでは皆さんが懸念されている“生徒平等”の信念にもとることになります。お小遣いも少なく、バイトをしていない生徒は毎日帰宅の度にゲームセンターなどに通えません。そこで部費として回収してそれぞれ活動する際に配るという仕組みにしました。これなら貧乏な子も裕福な子も同じ内容で部活ができます。他の部活動でもより多くの部費を払っている子のみが体育館を使えるなどといった貧富の差による差別はしていません」

「もっと安くはできませんの?」

「お母様は自分のお子さんが例えばバレー部のエースだったとして、今まで通り部費を払えば全国大会にも行けるというのに、部費不払いの所為せいで全国大会行きのバスがチャーターできなかったとしたらどうします? そんなのは嫌だと言って部費を払いますよね? だから帰宅部にも部費を払うべきです。それとも帰宅部は所詮しょせん帰宅部なのだからと、他の部活より劣っているからと、だから部費なんか払わなくていいのだと、蔑視の眼差しを向けるのですか? 自らの子供に。それではいけない、生徒を平等に扱い差別のない学校を目指してくれ、帰宅部にもコーチと顧問を付けてくれ、と一致団結して皆様が学校にわざわざお越し頂いたから今の帰宅部があるのではないですか。誇らしい事ですからどうぞ胸を張ってください」

「でも部活を続けさせられませんわ……。毎月三万円も」

「現在部活を行っていない生徒さんは一人もおりません。事ここにおいて誰か一人でも部活をしていない生徒を作るということは、差別やイジメのきっかけを作ることになってしまいかねません。それを分かっていながら学校側が部活動をやめることを認めることはできません。これはお母様方が仰っていた、見て見ぬふりに他なりません」

「ああああ! そうですわよ! でも! でもだったら一体どうすればああ!?」

「良い方法が一つだけあります」


 顧問が生徒の親に耳打ちをすると、今まで涙に崩れていた表情がぱあっと晴れやかになり、得心した表情で学校を後にした。


 顧問が言った良い方法とは、どこでもいいから部費の安い部活に入部させ、実際に部活はやらせずに帰らせることだった。これなら部費も格段に安くなるうえ、例え学校終わりに塾が控えていたとしても部活せずに帰ってくるのだから全く問題はない。一挙両得いっきょりょうとくの手だった。この手法は瞬く間に帰宅部の生徒を持つ親に広がり、わずか一週間で帰宅部には、一人も部員がいなくなった。


 だが古虎渓は「彼らに教えられることは全て教え切った」と悔いのない表情をしていた。

 それは同時に帰宅部で教える内容の薄さを浮き彫りにする言動とも言えたが。


 かくしてこの高校から名実ともに帰宅部はなくなった。だがもともと帰宅部だった生徒は事実上の幽霊部員となっていた。

 つまりこの高校から帰宅部はいなくなったが、代わりに幽霊部員が増えた。ということになるのだった。




 そしてある日ある生徒が路傍の石ころに目をやり、それを手に取り池へと投げた。


「俺たち幽霊部員ってことは幽霊部があるってことだよね。この高校のありとあらゆる部活にコーチがいるのに、幽霊部だけ顧問もコーチもいないのっておかしくない?」

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