第10話

 村の近くの荒寺に、いつの間にか二人の男と一人の子どもが住みつき始めた。一人は偉丈夫な浪人という風体の男で、もう一人は殺生などおよそ出来そうも無い公家ふうの青年だった。子どもは公家ふうの青年の弟のようにも見えて、村の人々は跡目争いか権力争いに負けた公家が、ただ一人の供のみを連れて逃げおおせるうちに、ここにたどり着いたのではないかと噂をしはじめた。


 彼らは村の人々と強いてかかわることもせず、けれども好奇心に駆られて近寄る村の子どもたちを邪険にすることもせず、静かにひっそりと暮らしていた。


 そのうち自らの想像で彼らを憐れと思った村人は、子どもたちが遊びに行くのに子守代だと言って野菜を持たせて行かせるようになった。子どもたちが嬉しげに彼らのことを語り、ひとり、またひとりと遊びに出かける子どもが増えれば、母親は彼らの事を強く意識し始め、様子を見に行きはじめることとなった。そうして母親が彼らの腰の低さと人当たりの良さを家で褒めれば、その夫も彼らの様子を見に現れるようになり、挨拶を交わすようになり、山に入って獲ってきたと彼らが差し出す獣肉や果実、山菜などと、里で作った野菜や藁などを交換するようになった。


 村人たちが、一人で山に入り狩りを行っているであろう宗平という男に、毎日の狩りは大変だろうと語りかければ、彼は何に煩わされることも無く、気ままな生活が出来ているので不満は無いと歯を見せて返答をした。それでますます、彼らの事を公家とその護衛の者だと勝手に認識を定めてしまった村人は、自分たちの所に租税の取り立ての検分に来る役人の横柄さと比べ、彼らの親しげな態度に益々の同情を寄せて親切にするようになった。それらを控えめに受けながら、孝明と名乗った公家らしき若者は子どもたちに草笛や歌を教え、汀というらしい子どもは自分も平民の子どものように、泥だらけになりながら臆することなく野山を駆け巡り、川遊びに興じて村の子ども社会に溶け込んでいった。


 すっかり打ち解け仲間のように村の者たちが彼らを受け止め――けれど、言うに言われぬ事情があるのだろうと、好奇心を抑え込み素性を聞くことはせず――気さくに村の事も手伝う宗平に、村の一人が声をかけた。


「もうすぐ、検分の為に役人がやってくるんだが、その日は息を潜めていないふりをしていなされませ。もし見つかれば、どんな仕打ちをうけるかわかりませんしな」


 その顔は恐怖に強張りながらも、彼らを気遣う色を存分に滲ませていた。


「そんな顔をするほど、ひどい仕打ちをされるのか」


 唇を噛みしめた男が深く頷き、よければ詳しく聞かせてくれないかと問いかければ、心の奥底に沈めていた不満の蓋を慎重に持ち上げて、けれど語る時は噴き上がる火山のように熱く激しく、男は役人がどれほどに村を苦しめているかを告げた。そうして最後に、だから役人が来る日はおとなしくしておくようにと、怒りの色から気遣いの色に顔を戻して念を押した。


 その夜、遅くまで作業をしていた村の若者が、大きな鳥が羽ばたく音を耳にした。こんな夜更けに飛ぶ鳥など今まで聞いたことが無いと、好奇心から家の外に出て月光が煌々と藍色に照らす世界を見回してみても、鳥の影どころか雲の影さえ見えなかった。首をかしげて作業に戻った若者が翌朝に人に話せば、疲れて幻聴を聞いたか、何かの音を鳥の羽音と聞き間違えたのではないかと言われ、そうか、そうだなと納得をして、その事を意識から外した。


 その翌日、来るはずだった役人が、唐突な大名家からの使いを迎えなければいけないので、検分は先送りにするという連絡が村に届いた。村人はとりあえずしばらくは安心だと胸をなでおろし、子どもたちは遊びに出られると喜んで荒寺へと向かう道を駆けて行き、奥へ向かって声をかけたが何の返答も聞こえない。首をかしげて上がり込み、あちらこちらを探ってみても人の気配は欠片も無く、村に戻って報告をすれば大人たちも荒寺に来て、無人の荒寺を――人の住んでいた気配すらも失せている場所を確認し、どこに行ったのかと周囲を探していると、馬の足跡を見つけたと子どもが声を上げた。その足跡は林の奥へと続いており、途中で途切れてその先は何処へ向かったのかがわからなくなっていた。


 村人たちは彼らが逃げてきた公家だと思っているので、役人が来ると聞き、追手の可能性もあると考え別の場所へ行ったのではないかと、自分たちの納得のいく理由を見つけて落ち着いた。


――ひと月後。今までの役人は任を解かれ、新たな役人が租税の管理を行う事になったと、伝令の馬が村へ伝えに駆けてきた。

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鳴響む 水戸けい @mitokei

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