第9話

 大名が到着してから五日目。


 明日には出立するという話を、宗平は朝餉を運んできたものから聞いた。汀は孝明が姿を消してからも自主練を怠ることなく、ヒョウタンを抱えては庭先で「う~ん、う~ん」と唸っている。ヒョウタンから水が顔を出して吹き出すまでは行くが、その水をきれいに戻すことが課題らしく、宗平も汀が眉間にしわを寄せて集中をしているのに、拳を握り息をつめて見守っては、ヒョウタンの縁に水があふれて落ちてしまうと、汀と共に落胆の息を吐きだしたり、休憩を擦る汀と遊んだり、刀を手に取り鍛錬を行ったりして過ごしていた。


 宗平が帰ってきたことは、本宅には告げないように言ってあるからか、彼を訪ねてくる者は居なかった。――昼餉を終えるまでは。


「客――?」


「身なりの良い、まるで役者のような男が訪ねてきております」


 名前を聞いても名乗らない男で、宗平が大名様へ舞を献上するために送った孝明の使いだと言っていると聞き、茶と茶菓子を用意して通すようにと伝えた。


「汀の迎えが、来たのかもしんねぇな」


 池にヒョウタンを突っ込んで、水をくんでいる汀に声をかける。自分を妖怪だと言った孝明の語る全てを信用したわけでは無いが、苔に花を咲かせたことといい、忽然と風に巻かれて姿を消したことといい、疑いきることも出来ない。大名の傍に妖(あやかし)が居るという話が本当で、その妖(あやかし)の正体が孝明の説明のとおりであれば、大名の帰還とともに汀を連れて行くことは自然な流れだと思えた。


 汀が連れて行かれれば、自分はどうするのか。もう孝明と会うことは無いのだろうか。そう悩みながら、宗平は少々緊張気味に客が現れるのを鯉を眺める汀の横に立って待った。


 そこに現れたのは長親で、孝明と同様の働きをしている見知らぬものが来ると思っていた宗平は、目を丸くした。


「なかなか、いい暮らしをしているのだな」


「なんで、アンタが来るんだよ」


「孝明が戻ってくると思ったか」


「そうじゃねぇけど、アンタは孝明の上官なんだろう? 孝明とおなじくらいの身分の奴が来ると、思ったんだよ」


 ふむ、と宗平の言葉を受け止めた長親が手を伸ばし、汀を招く。汀はヒョウタンを腰につけて、長親の傍へ駆け寄り周囲を見回した。


「孝明は、いないのか」


「孝明は、まだ仕事中だ。その仕事が終わる前に、汀と宗平を迎えに来た」


「おれも――?」


 いぶかる宗平に、長親が頷く。


「孝明が、自らの身分を明かしたらしいな。あれは、人では無い。物の怪だ」


「孝明の話じゃあ、突然に天帝の力を受け継いで生まれた人の子だったはずだがな」


 ふっ、と息を吹き出した長親が、高らかな声を上げて笑いだす。


「なるほど、そうか。そんな説明をしたか――孝明は、よほどに宗平を気に入ったらしいな」


 大笑する長親に眉根を寄せながら片目を眇(すが)める宗平が、手を伸ばして汀の腕を掴み抱き上げた。


「何が、おかしい」


 宗平に抱き上げられた汀は、二人の顔を見比べてから妙な空気を感じ取ったらしく、宗平の首に腕を回してしがみつき、疑わしそうに長親を見た。


「ああ、そんなに警戒をしなくてもいい。そうか、はは――いや、すまん。孝明が人か、そうか――――そうだな、人だな。人の姿をしているな」


 何度も頷いた長親が、息を吸いこむと同時に笑みを消して宗平を見た。


「あれを、人でいさせたいと思うのなら私と共に来い、宗平」


 手を差し出され、手のひらと長親の顔を見比べた宗平は顎で背後の部屋を示した。


「とりあえず、話は上がってからにしようぜ。茶も、もうすぐ運ばれてくるだろうしな」


 長親に背を向けて、宗平は汀を抱き上げたまま部屋に上がる。それに、長親が観察するような目を向けて従った。


 向かい合わせに――自然と長親を上座にして座れば、ほどなくして茶と茶菓子が運ばれてきた。ほっこりとした蒸まんじゅうに、汀が喜色を浮かべる。


「孝明は、そう説明をしただけでここを去ったのか――? 何か、してみせはしなかったか」


 三人のみになってから、長親が口を開く。その顔を、目を、意図を窺うように見返しながら宗平は慎重に口を開いた。


「力を、少しだけ示して見せた」


「何をしていった」


 警戒を解かず、言うか言うまいかを悩む宗平に長親が顎を持ち上げる。


「異形になり空でも飛んだか?」


「そんなことが、出来るわけがねぇだろう」


 即座に打ち消した宗平が、にやつく長親の顔によもやと疑念を浮かべる。


「――異形に、なれるのか」


「人では無いと、言っただろう」


 面白そうな長親が、孝明が何を見せて去ったのかを再び問うと、宗平は正直に苔に花を咲かせたことと、風を起こし姿を消したことを告げた。


「それを見ても、宗平は孝明を人と言えるのか。奇怪だと嫌悪をしないのか」


「奇怪だとは思うけどよ――そうなったら、汀だってそうだろうが。おれは汀を嫌いじゃねぇし、そんなことで孝明を嫌悪したりしねぇよ」


「何故、受け入れられる」


「何故も何も……二か月ぐれぇの付き合いだけどよ、一緒に旅して来たんだ。アイツがどういう奴かぐれぇは、わかるさ。アイツは、間違いなく人だよ。アイツみてぇに妙な力を持っちゃあいねぇが、本当に人なのかと疑っちまうような奴は、他にいくらでもいるしな」


 さらりと言ってのけた宗平の顔に、何の含みも無いことを確認した長親は、満足そうに頷いた。


「よい、男だな――宗平は」


 へへ、と自慢げな顔になった宗平に、懐から書状を取り出した長親は携帯筆と墨を取り出し、問うた。


「阿久津家の当主は、長男の宗也で間違いは無かったか」


「……間違いはねぇが、なんでそんなことを聞くんだよ」


 書状の宛名を書くべき空白に、阿久津宗也殿と書きながら長親が答える。


「武家の三男坊――しかも妾腹の子であれば冷や飯食いか、養子に出されるのがせいぜいだ。それよりも良い処遇を与えるための文の宛名は、間違いなく書かなければならないだろう? 旅の宗平が大名一行を襲おうとした賊を見事に打倒した、ということにして召し抱える。これは、その旨が書かれている大名直筆の書状だ」


「――は?」


 とっぴな話にいまいち飲み込めない宗平へ、宛名を書き終え書状を持ち上げて見せた長親がしたり顔を向けた。


「アイツの力を見ても、人だと断言できる上に腕も立つらしいと調べが付けば、使えると思って当然だろう。突然の出世に、母御も家中のものも驚き喜ぶだろうさ。――まあ、その喜ぶ顔をみることもなく、出立してもらうことになるがな」


「ちょっと待て。話が見えねぇ」


「大名様の近習として侍る妖(あやかし)の頭領が、有能だと見込んで阿久津宗平を雇うと決めたという事だ」


「へ? え、あ……うえ?」


 いまいち理解できていない宗平に、含み笑いを浮かべながら長親が立ち上がる。


「日が昇る前に、汀と焔を連れて第一の掘の橋で待て。仕度は何もいらん。こちらで全て、用意をしておく」


 さっと裾をひるがえした長親が上機嫌で去っていくのを呆然と見送り、彼が手を着けていない蒸まんじゅうに手を伸ばす汀に目を向けて、宗平は「わけが、わからねぇ」とつぶやいた。



 月が姿を消そうとし始めるころに起き出した宗平は、よく眠る汀を起こすのもしのびないと抱き上げて、厩へと向かった。人の気配を察した焔はすぐに起き、宗平が近づくのに耳と尾を振り足踏みをする。それに笑みを浮かべて汀を藁の上におろし、焔の背に鞍をつけてから眠る汀を乗せれば、心得ている焔はゆっくりと足を忍ばせるように進み出る。褒めるように首を叩き、とりあえずと用意をさせた金子だけを懐に入れて足元もおぼつかないほどの暗闇の中を歩き、長親に指定をされた場所へとたどり着いた。


 星の灯りが消え始めているのに、太陽の光はまだ見ることのできない漆黒の刻。半信半疑で待っていた宗平の耳に鳥の羽音が届いた。見上げてみるが、暗すぎて鳥の姿など見えるはずも無く、またこんな暗闇で鳥が飛ぶはずも無いかと幻聴として流そうとした宗平はふと、孝明から預かった銅版に描かれていたのが梟(ふくろう)だったことを思い出す。再び首をめぐらせかけて、橋に人影があるのに気が付いた。羽音がして首をめぐらす前までは、確かになかった気配がそこにある。多少の緊張を交え腰の得物を意識しながら、人影が近づいてくるのを待つ宗平は、それが誰であるのかを認識した途端に安堵と共に破顔をし、手を大きく振り上げた。


「孝明!」


 その声に、歩む速度を変えずに近づいてきた孝明が呆れたように、子どもが友を迎えるような顔をしている宗平を見る。


「何故、ここにいる」


「長親が、ここで待ってろって言ったんだよ。聞いていないのか」


 深く長くため息をついた孝明が、信じられないというふうに首を振った。


「おれが、怖くは無いのか」


 きょとんとする宗平に、苔に花を咲かせて目の前で姿を瞬時に消しただろうと言えば、そんなことかと返される。


「そりゃあ、驚きはしたけどよ。だからって孝明は孝明だろう。だったら、気にする必要なんざ、ねぇよ」


 歯を見せて笑う宗平の肩越しに、孝明は滲むように上る朝日のかけらを見止めて、泣き笑いのように眉を下げ口の端を上げた。


「変わった男だな」


「いい男だろう」


「自分でいうな」


「そう、思ってんだろ」


 ふ、と鼻先で笑いあい、眠る汀に目を向ける。


「なんの用意も必要はねぇって長親に言われたんだが、こっからどうするんだ? おれのことは、大名様が剣の腕を見込んで雇うことにしたって内容の文を家に届けると聞いてるんだが」


「おれは、橋のたもとで面白いことがあるからすぐさま行けと、長親様に言われてきた」


「面白いことが、あったか」


「――さあな」


 まんざらでもない顔で、孝明が言う。腰に手を当てた宗平が、それじゃあ指示を仰ぎに雇い主のところへ行こうかと孝明に案内を促した。


「やっかいなことを請け負ったな」


「孝明が出来るんなら、おれにも出来るだろう」


「その根拠は、どこにある」


 焔の手綱を手にした孝明の問いに、宗平は腰の刀を叩いて見せた。


「なるほど」


 軽く受け流すようにつぶやいた孝明が、公家や武家が住まう場所へと続く橋へ――長親の、大名の宿泊している場所へと向かう橋へと向かう。焔が足を持ち上げ橋板を小気味よい音で踏み鳴らしながら進み、宗平もそれに続いた。


 気負う事も無く、馴染んだ歩幅と速度で新たな任に赴く一行を、昇り始めた太陽が橙のまぶしい光で闇から切り離すように浮かび上がらせ、その影を一つの塊として――共に歩むものとして、分かちがたいくっきりとした輪郭を持たせて橋の上に描き出した。

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