第8話
又七とは別れ、のんびりと中央に集まる人々の間に歩みを入れて、一行は目的の地を踏んだ。中央に平城を構え堀をめぐらし、その周囲に武家や公家などの家が並び、また堀があって平民の暮らす街となる。そこもきれいに区画分けをされ、職人は職人町、商家は商家町と住み分けがなされていた。その間をまっすぐに、堀にかかる橋に向かって広がる大道の左右は、旅人相手の商売店や宿、行商人が開く市の区画から始まり、だんだんに身分のあるもの達を相手にする商店の区画へと移り変わっていく。
迷いなく武家や公家を相手にしている商店の区画に進む孝明の脇を、宗平が肘でつついた。
「なんだ」
「なんだ……って――ここは、武家や公家を相手にする店ばっかが並んでいる所だぞ。こんなところに来て、どうすんだよ。今まで聞かなかったけどよ、汀の村を助けるって、どうやって助けるつもりなんだ」
孝明がぴたりと歩みを止めて、手綱を引かれる焔の足が止まり、背に乗っていた汀が首をかしげて二人を見た。
「宗平」
「なんだよ」
「阿久津家の三男坊なら、このあたりに顔が利く店もあるだろう。……旅の埃を払いたいんだが」
にこりと、何かの見本のように笑った孝明にぽかんとして瞬き、はっと何かに気付いた宗平が高い声を上げた。
「まさか、おれが阿久津家の三男坊だったから用心棒に雇うと言いだしたんじゃないだろうな」
にこにこと笑ったままの孝明は、何も言わない。手の平を額に当てて盛大に息を吐き出した宗平は、やけになったようなぶっきらぼうな態ですたすたと歩き出した。その背に、今度は心底面白げに笑った孝明が歩きだし、焔も進み汀が揺られて着いて行く。迷うそぶりも無く宗平が進んで行ったのは、大通りを二つばかり奥に入ったところにある、簡素に見えるが細やかな部分に趣向を凝らした、大きな屋敷のような店だった。
「これはこれは、宗平様――いつ、御帰りに」
暖簾をくぐった宗平を見た男が、大げさに両手を広げて目を開き歓迎を示す。焔を店中に入れるわけにはいかないので、孝明らは暖簾の外で立ち止まった。
「今さっきだ。息災なようだな」
「はい。皆、変わりはございません。宗平様が旅に出られてからこっち、燈籠の火が消えたように寂しい日々でした。――いや、しかし逞しくなって帰ってこられましたなぁ」
「はは。旅を進めるうちに、いかに自分が守られ世の中を知らなかったのか、思い知らされた。――こんな風体では、家にも帰ることが出来ないからな。おれが戻ったことは、誰にも内密にしておいてくれ」
「それは、ああ、そうですね――そのように汚れた粗末な着物では、奥方様や兄君様方々に驚かれ心配をされてしまいますでしょう。御召し物はこちらでご用意させていただきますので、旅の疲れをぞんぶんに癒してくださいませ。すぐに、湯の用意をさせましょう」
「ああ、すまないな――それと、連れが居るんだが、連れも共に世話になるぞ」
その言葉で、今気づいたかのように男は暖簾の先に進んで顔を覗かせる。そこで、孝明は人をとろかせるような極上の、けれど控えめな笑みを浮かべて軽く頭を下げた。
「旅をしながら舞を披露しております、孝明(こうめい)と申すものにございます。こちらは、弟子の汀(みぎわ)…………。宗平様が、領主様の元へ大名様がいらっしゃるということをお耳にし、我らの舞を献上品としてお見せしたいと仰せられ、参りました」
ここまでくれば汀も心得たもので、道中の初めのころには自分の素性などを口にし、孝明の身分のごまかしに首をひねっていたものが、今はおとなしく孝明にならって頭を下げている。ほう、と孝明と汀の姿に丸い息を吐き出した男は目を細め心得たように頷くと、手を打って下男を呼んだ。
「こちらの馬を裏へ連れ、よく磨き休ませておくように」
「へぇ」
下男が恭しく焔の手綱を受けとり、ぺこりと宗明に一礼をしてから去っていく。それを少しの間見送ってから、男は条件反射のように滲みついてしまっている商いの笑みを浮かべて言った。
「どうぞ、皆さまも我が家にいるような心地で、おくつろぎください」
通されたのは、庭を隔てた離れの一棟だった。書院造の一間だけだが二十畳ほどの広さがあり、違い棚には香炉が置かれ森林の中に居るような良い香りがしている。床の間には松が描かれた掛け軸がかけられていた。
「湯殿の用意が出来ましたら、お呼びに上がります」
「おお、すまねぇな」
気安げに女に返した宗平が、息を吐きながら大の字に寝転がる。いかにもくつろいだ風であるのに、孝明が納得をしたような感心をしたような声を出した。
「振る舞いから、本当に阿久津家の三男なのかと疑っていたが、なるほど……どのような状態であっても、良家の子息であったということか」
「あ? どういう意味だよ」
むく、と起き上がった宗平が「いや、そうだな」と頭を掻く。
「言葉づかいもこんなだし、金目のものを持っていなかったしな。疑われるのは、わかるぜ。おれも、旅をしてすぐのころは疑われることにムッとしていたが、途中からは冗談だと言われるつもりで、名乗っていたからな」
汀が庭先に下りて、池の傍に寄り中を覗くのを懐かしそうに眺めながら、宗平は続ける。
「ここは、阿久津家の家老と商家が話をするための、いわば取次所みてぇなモンなんだよ。一定の武家や公家になると、本宅に商人を上げることはめったとねぇ」
ゆっくりと立ち上がり、部屋をぐるりと囲む廊下に立って庭を眺める宗平に、立ち上がった孝明が寄り添うように側に寄り、池の鯉を見つめる汀の小さな背中を眺めた。
「そして、認知はしているが本妻やその子どもらに配慮して、本宅に迎え入れられねぇ息子とその母親を住まわせるのに――忍んで会いに来るのにちょうどいい場所でもある」
ゆっくりと春日のような穏やかで静かな笑みをたたえた宗平が孝明を見ると、孝明が少し自分よりも目線の高い宗明を見上げた。
「おれは、ここで育ったんだよ。――おれの家へ、ようこそってことだな」
「……そうか」
「ここにいるのは、おれの家族みてぇなモンだから、遠慮せずに気楽に過ごしてくれよ。なんなら、住んじまってもかまわねぇぜ」
本気と冗談を交えた宗平の顔は、笑みを浮かべているくせに寂しそうに思えて、孝明はただ微笑みを返すだけにした。
「宗平様。湯の支度が出来ましたよ」
「ん、おお! すまねぇな」
遠くから女の声が届き、それに応えた宗平が行こうかと孝明を促す。汀にも声をかけて、三人で湯殿へと連れだって行った。
たっぷりの湯で疲れと汚れを落とした三人が部屋に戻ると、甘い菓子と茶が用意をされていた。菓子は花の形をあしらったもので、汀が目を輝かせて眺める。そのわきにある餅を炒ったものを手にした宗平が、汀に見ておけよと目配せをして庭に降り、池の前に立つと手のひらで菓子を砕いて撒いた。
「わぁっ」
激しい水音をさせ、鯉が口を開き暴れて菓子を求める。汀が目を輝かせて、菓子を手にして庭に降りた。
「やってもいいか?」
「おう。やってみろ」
わくわくしながら菓子を砕き撒けば、鯉が跳ねる。はじけたように笑い声を上げた汀が、菓子を砕いては鯉に与える姿を眺める宗平の背後に、音も無く孝明が近づいた。
「宗平」
「うおっ、なんだよ」
まったく意識の外であったのに、急に背後から声を掛けられ驚く宗平を見る孝明はいつになく難い顔で、宗平は顔を引き締めた。
「――どうした」
気遣う声音に、孝明が周囲に目を向ける。
「ここは、家のようなものだと言ったな。人払いをすることは、出来るか」
「人払いもなにも――おれが呼ぶまでは誰も来ないように、してあるぜ。孝明と汀は嘘の素性になってるからな。ゆっくり出来ねぇだろう」
「そうか――気遣いの礼に、池の……あの岩を見ていろ」
「岩――?」
孝明が示したのは、池の中ほどから顔を出している苔むしたものだった。それに目を向ける宗平の横で、口内で何やらつぶやいた孝明が胸の前に指を立て、そこに息を吹きかけて岩を指せば、苔がみるみる膨らんで小さく白い花を咲かせた。
「――ッ、こりゃあ……」
絶句した宗平の横で鯉に菓子を与えるのを止めた汀が、目を丸くして岩を見つめる。二人の様子に、寂しげに目を細めた孝明が言った。
「これが、おれの正体だ」
え、と宗平が顔を向け、汀がきょとんとして孝明を見上げる。汀に笑みかけた孝明が
「汀――オマエは、これに近いことが出来るようになる。まだ、具体的にどのようなことが出来るかは、おれにもわからないが」
その言葉に、汀は目を輝かせて竜の根付を両手で包み、捧げ持つようにして意識を集中する。そうすれば池の水が波打ち始めた。
「んん~っ」
唸りながら力を込める汀に呼応するように、波がだんだん渦となる。けれど、それ以上の変化が認められないまま、ぷはっと汀が息を吐き出し気を緩めると、水面は徐々に動きを止めて静まった。残念そうに唇を尖らせる汀の頭に慰めるように手を乗せて、宗平は孝明を見た。説明を求める強い瞳に促され、孝明はまっすぐに宗平に体を向けて口を開く。
「大名は妖(あやかし)を飼っているという話を、聞いたことは無いか」
「ああ、それなら聞いたことがあるぜ。大名は代々、妖怪を従えて諸国に放ち、領主の治政を監視しているって…………な」
言いながら、先ほど孝明が見せたものと今の話を重ねあわせた宗平の表情が、さざ波のような驚きに乱れ始める。それを鎮めるように、孝明が頷いた。
「おれは、その妖怪だ」
何かを言おうと口を開く宗平の動きを、定まらぬ感情が縛り封じる。それを悲しげに受け止めた孝明が背を向け歩き出すのに、ようやっと自分の感情の呪縛から逃れた宗平が追いかけ、肩を掴み乱暴に振り向かせた。
「どういうことか、説明をしてくれるだろう」
「――――この国の神話を、知っているだろう。神が降り立ち人となり、この島を治められている天帝様になったと」
「ああ――そっから、いろんなものがつくられていったって話だろう」
「そうだ。……そして、天帝様の血筋は人と交わり、その数を増やしていく。天帝としての力を継がぬものは、名字を与えられ公家や武家となっていった。そしてそこから民草と交わり、薄まった血は今この国に生きている人のすべてに流れていると言ってもいいほどの歳月が流れた」
「それが、どうしたんだよ」
「わからないか――天帝としての力を継がぬものであったはずの血が、突如としてその力を持つ子を授かる時がある。その力の強弱の差はあれど、そういう者たちは親が気味悪がり仏門に入れたり、人買いに売られて見世物として扱われたりする。仏門に入り正しく力を使えるようになれば問題は無いが、そうでは無い者たちは世間では何と言われているか、知っているだろう」
ごくまれに、人ではありえない力を持つものが世に存在しているということを、宗平も聞いたことがある。そのほとんどが法師であり、修行により神の力を得たのだと言われていた。けれど、そうではないもの――仏門で修行を行わないままに、そのような力を持つものが何と言われているか、どのように扱われるかも、聞いたことがあった。
思わず汀を見た宗平の耳に、自嘲気味な孝明の声が届く。
「汀は幸運だった。強い力を内包していたが、発揮するような心理状況に陥らなかった。だから、誰も気付かなかっただけだ。だが、あのまま成長を続ければ溜まった力は漏れだしてしまっていただろう。その時に、どのようなことになるか――」
ぞわ、と宗平の産毛が逆立つ。その時に、汀がどのようなことになるか――おそらく、妖怪に憑かれたと追い立てられ命を奪われることになるだろう。共に暮らしていた者たちに、恐怖からくる殺意を向けられ刃を向けられ襲われるというのは、どんな気持ちなのだろうか。
「おれは、そういう子どもらを見つけて監視し、必要があれば連れて力の使い方を教え、長親様に預ける役を担っている。――汀の村の荒寺に住んだのは、領主が新しくなり初めての租税の徴収が行き過ぎであることの調査と、汀の力の気配を感じていたことを受けての、行動だ」
「孝明も、同じなのか」
汀から目を離した宗平の言葉に、孝明は問いを浮かべた目を返す。
「誰かに拾われて、教わったのか。それとも、追われていたところを拾われたのか――」
問いを薄い笑みで受け止めて、孝明は静かな音を発した。
「いい、男だな――宗平は」
「答えろよ」
目を伏せた孝明が鼻から細く息を吐き、汀を手招く。小走りに寄った汀を片手で抱きしめて、強い目で宗平を見つめた。
「おれは、大名様の護衛に行かなければならない。その間に、汀のことを頼む。大名様のことが終われば、迎えに来る。それまでは、ここで汀をかくまってもらいたい」
「それが、おれを用心棒として雇った本当の理由か? 自分が出ている間に、汀をかくまっておける場所が欲しかったから、共に行くことを決めたのか」
慎重に言葉を出した宗平に、あいまいな顔をした孝明は汀の背を軽く叩き宗平へと押しやった。
「おれは、今から長親様の元へ行く。必ず、汀を連れに戻る。俺でなく、他の者が来るかもしれないが、その時はこれを確認するようにしてほしい」
懐から財布を取り出し、その中から鳥が描かれた銅版を抜くと宗平の懐に押し込んだ。
「普通の人として扱われ、これほど長く共に過ごして会話をしたのは、久しぶりだ」
安堵と望郷を纏った孝明の周囲に、風が巻き起こる。
「っ、あ――」
突然の小さな竜巻に煽られ巻き上がった砂をよけるために腕を上げ目を庇った瞬間、風音は止み砂が舞いあがった形跡も残さず、風は孝明の姿と共に消え失せた。
「――おいおい、話が急すぎやしねぇか。確認と納得をする間ぐれぇ、与えてくれよ」
ぼやく宗平は懐に押し込まれた銅版を取り出し、目を落とした。そこには、一つ目の梟(ふくろう)の姿が彫られていた。
宗平の前から消えた孝明は、雨戸を締め切り光を遮った板間の部屋の中にうずくまるようにして、座っていた。
うすく光の切れ目が闇の中に生まれ、襖が開かれる。白い日の光の中に浮かんだのは、長親だった。逆光で見えぬ顔には、おそらく玩具を手に入れた子どものような笑みを浮かべているのだろうと、顔も上げずに孝明は思う。
静かに襖が閉められて、部屋はまた闇となった。ほんの少し先も見えぬ暗い室内を、明るい部屋に居るように迷いの無い足取りで進んだ長親は、孝明の前に腰を下ろす。
「大名様は、明日ご到着の予定だ。行程の遅れも無く、問題も無いままに参られる」
孝明は、身じろぎすらせずにその声を聞いていた。
「オマエと、その他の者たちが集めた話はすべてまとめて、報告を終えている。明日、領主への裁断が下される。――立場と言うものの認識をはき違えた苦労知らずの男が、どんな顔をするのか想像がつきすぎて、まったくつまらんな」
ふう、と息を吐き出した長親の声音が、急に優しげなものに変わった。
「二月も誰かと共に気安く過ごしたのは、どれくらいぶりだった」
孝明は、答えない。
「あれは、いい男だな――孝明。あれを、大名様の近習としたいところだが、どう思う」
孝明は、まるで石になったかのように動きを止めていた。しばらく待ってみても、孝明が何の反応も示さないと決めていることに気付き、長親は諦めたような呆れたような息を吐いた。
「大名様が滞在なされるのは五日だ。その間に、遺漏なきよう務めろ。下らない呪詛やなんやと、仕掛けてこようとするバカが居ないとも限らないからな」
「――おおせのままに」
初めて口を開いた孝明の後頭部を、軽く手のひらで打ち据えてから長親が退室する。その仕草が幼子を愛しみを込めて叱る親のようで、顔を上げた孝明はそっと打たれた頭に手を添えて、口の端をうっすらと持ち上げた。
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