第3話
「すみません」
低い声が“女子会”に割り込んだ。
女子達は、不意を突かれたように男性を見る。
その人が近くにいたことに――もしかしたら、近くのテーブルにいたことも気付いていなかったのかもしれない。
近くで見ると、瞳の大きい童顔。それなのに、声はバリトン。
大木はそのギャップに驚いた。
男性はにこりともせず、バリトンボイスで言葉を紡ぐ。
「盛り上がっているところ大変恐縮ですが、彼女を責めることと、介護職を侮辱することを、やめて頂けませんか」
彼女、と言ったとき、視線が一瞬だけ大木に向いた。
女子達の目の色が変わった。
何こいつ、と言いたそうな、敵意の色に。
女子のひとりがわざとらしく首を傾げた。
「あのー、大木さんのお知り合いですか?」
「違いますよ」
男性は、さらりと答えた。
「ですよねー」
女子は悪意たっぷりの笑顔をつくる。
「じゃあ、引っ込んでもらえます? うちら、女子会楽しんでたところなんで」
「そうですか」
男性は、良い声で相づちを打った。
「でも、俺達も打ち上げを楽しんでいたところなんです。介護施設での実習が終わって、『疲れたね』『でも、充実したね』『頑張って介護福祉士の資格取ろうね』って夢へ向かって鼓舞していたところで、介護職員と介護の仕事を侮辱されて、黙っていられるとでも」
男性のいたテーブルからひとり、明らかに大学生な青年が来た。やめなよ、と男性に声をかけるが、男性は気にする風もない。
「俺ひとりなら侮辱されようが全然構わないんですよ。でも、ひたむきに介護の仕事をしていそうな女の子と、将来の活躍が期待される学生を前にして、知った風な非難をされるのはいかがなものでしょうか。無神経ではないでしょうか」
「えーっと、仰る意味がわかんないんですけど?」
女子は、バリトンの調子にひるまない。
「ていうか、無神経なのはそっちじゃないですか? ずけずけと偉そうに説教してくるし、大木さんなんかをかばうし。大木さんとは関係ないんですよね?」
「ないですよ」
男性は、あっさり否定した。
「でも、元・介護職員が現役介護職員をかばって、何が悪いんですか」
女子達が一瞬、静まり返った。
その一瞬の間、大木の脳内に疑問符が浮かんだ。
介護職員だったの? それなのに、今は学生? 学校に入り直したのか?
大木が考えていたことと、女子達が思っていたことは違った。
「あのですね、うちらは悪いことしてませんよ? 大木さんには現実に目を向けてもらう良い機会だし、学生さんにも世間の生の声を知ってもらえるし、一石二鳥じゃないですか?」
そう言った子は、すでに酔っている。酒にも、自分にも。
別の子が、店員からグラスを受け取っていた。
「ジン・トニック、3人分来ましたー……あー」
店員が低い位置で出してくれたジン・トニックを、受け取った子は持ち直して立ち上がった。
そのグラスが180度傾いた。
ジン・トニックの雨が、大木に降り注ぐ。3杯分、ライム付きで。
「大木さーん! コントじゃないんだから、察して逃げないと!」
笑い声と手を叩く音が大木の耳にこだまする。
集団で逃げ場をふさいで、馬鹿にして、けなして、おとしめて、制裁を加える。
彼女達がそんなつもりでいたことは、大木にも最初からわかっていた。
でも、少しくらい理解してもらえるかもしれないと期待してしまった。
期待した自分が愚かだった。
彼女達に弱みを見せたくなかった。
逃げたくない。泣きたくもない。
しかし、どちらか実行しないと、大木は壊れてしまいそうだった。
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