第6話
店を出ると、心地良い風に頬を撫でられた。
22時を過ぎても、周りは煌々としていて人であふれていた。
東急田園都市線の三軒茶屋へ向かう階段を下りると、ぽっかり開けたスペースがある。
大木はそこで何気なく振り返ってみた。
「あっ」
思わず頬が緩む。
「月夜の海、だね」
彼が呟いた。
雲ひとつない夜空に月が浮かんでいる。高い建物やキャロットタワーに隠れる寸前だ。
「海、ですか」
「海っぽくない? 船に乗って月を見ているみたいで」
「酔っています?」
「うん。きみに酔っている」
酔っていると言う割に、彼は顔が赤くならず、足元もしっかりしている。呂律は明瞭で、飲み始めと変わらない。
彼はモスコー・ミュールの他に、オレンジフィズと日本酒3合も飲んだ。
大木はモスコー・ミュールをちびちび飲みながら弱音を吐き、たまに泣き、彼になぐさめてもらい、最後にジン・トニックを、がーっと摂取した。
多分、大木は酒に酔ってしまった。彼から「連絡先を交換しよう」と言われ、ためらいもなく応じてしまった。
「後藤さん、今日はありがとうございました。もう大丈夫です」
大木は、彼に深々とお辞儀をした。
顔を上げると、穏やかに微笑む彼と目が合う。
「とりあえず、忘れた歌を思い出せたみたいだね」
童顔でも整った顔立ちで、バリトンボイス。大木はそんな彼と目を合わせることができない。アルコールのせいか、目を合わせようとすると頬が熱を帯びてしまうのだ。
「私はカナリアみたいに可愛くありませんから」
「大木さんは可愛いよ」
「からかわないで下さい!」
「可愛いよ」
赤面しっぱなしの大木に対し、彼は今も飲む前と同じ顔色をしている。
「大木さん、湘南新宿ラインで帰るんだよね? 俺は巣鴨だから、途中まで一緒に行っても良い?」
「……ありがとうございます」
可愛いよ、の続きはなかった。ずるい。
しかし、ひとりで帰るのは心細かったから、彼が一緒だと安心する。
駅へと続く通路へ入る前に、大木はもう一度空を見上げた。
忘れた歌を思い出したカナリアは、このような月を見ていたのだろうか……一瞬だけ想像した後、少し前を歩く彼について行った。
◇ ◆ ◇
【「歌を忘れたカナリア」完】
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