第2話

「ねえねえ、大木さん。聞いてる?」

 耳元で叫ばれた。

 大木も仕事では、耳の遠いかたの耳元で声を大きくするが、それとは異なる鋭さがあった。

「大木さん、昔より落ちぶれたよね。昔から落ちぶれてたけど」

 皆、大木に注目している。大木の反応を確認している。

「なんで介護なんかやってるの? うちらだって説得するほど暇じゃないんだよ」

 何それ?

 大木さんがかわいそー。

 言葉とは裏腹に彼女達は騒ぎ立てる。

 近くのテーブルの客が、迷惑そうにこちらを見ている。

 大木は現実逃避のつもりでそちらを見た。

 男性客4人。多分、大学生くらい。そのうちのひとりは、少し年上そうな雰囲気がある。本当に少しだけ。2、3学年くらい上の先輩のような感じだ。

 じろじろ見るのも失礼なので、大木はあたまを現実に戻した。

「大木さん、なんでうちらのこと無視するの? そういうの良くないよね?」

「そうやって職場の人もいじめてるんでしょ? 性格悪いねー」

「これだから田舎の大学を出て田舎で就職した人は」

「進む道を間違えたね」

「生まれたときから間違えてたんじゃない?」

 大木、総無視。

 だが、次の言葉は聞き捨てならなかった。

「私にはわかんないんだよね。介護みたいに程度の低い仕事が楽しいのかな?」

 ――介護みたいに程度の低い仕事。

 このフレーズがナイフのように刺さった、気がした。

 彼女達はフレーズに反応し「私も超気になってた」と同意していた。

「家政婦レベルの低い仕事にやりがい感じてるってこと?」

「なにそれ。変態じゃん」

「変態! うけるー」

 彼女達は心底楽しそうに笑う。

 近くのテーブルの男性客は、今も“女子会”を見ている。

 お願い、見ないで。あなた達が気にすることはないから。

「ねえねえ、大木さんも何か頼んだらどう? 会費払ってくれたんだし」

 大木の前にメニューが突き出される。氷水の入ったグラスが押されて倒れた。

「ちょっと、大木さん何やってんの。マナー悪いよ」

 周りの子達はおしぼりを広げ、水を大木の方へ寄せる。テーブルから押し出された水は、大木の膝に落ちた。

 その間に、ひとりが店員に何かを注文する。大木には、アルコール類に聞こえた。

「ねえ、大木さん。転職する気はない? 紹介してあげるよ」

 大木は反射的に言ってしまった。

「ないよ。お構いなく」

 そこから、堰を切ったように彼女達の攻撃が始まる。

「何言ってるの? 馬鹿じゃん」

「大木さんのために言ってあげてるのに、無碍にするの?」

「いい加減、うちらの顔をつぶすの止めてくれない?」

「先生もこの間嘆いてたよ。卒業生の中に、大木さんみたいな程度の低い人がいること」

「つうか、くその処理した手で触んな。うちらが汚れる」

 大木は、冷静に感じた。入れ食い状態だな、と。

 まともに話を聞かなくて良かったと安堵していると、利き手に痛みを感じた。

「あっ、ごめん。そんなところに汚い手があると思わなかったから」

 ビールの追加注文をした子が、ジョッキを勢いよく大木の手の甲に叩きつけたのだ。

 大木が表情に出さないように耐えていると、それは2度3度繰り返された。

 痛い、と言いそうになったときだった。

 あのテーブルの、先輩のような男性が立ち上がったのは。

 しかも、彼はこちらに歩み寄って膝をついた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る