歌を忘れたカナリア

紺藤 香純

第1話

 帰りたい。

 大木絵美は早々に居心地の悪さを感じていた。

 季節は、夏。梅雨明け目前といわれる7月上旬。

 大木達がいるのは、東京の二子玉川駅近くにある居酒屋チェーン店。

 “女子会”と称して集まったのは、高校生のときのクラスメート。

 今年で26歳になるから、約8年ぶりに集まることになる。

 メールでお呼びがかかり、大木は一度断った。無料通信アプリの友だち申請も来たが、拒否した。

 すると、実家に連絡が行った。クラスメートの中に、母親同士が昔からの知り合い、という子がいる。ただし、大木とは全然親しくなかった。その子の顔をつぶさないためにも、と母が大木に無断で参加の回答をした。

 母の気持ちはわかるが、大木には不本意だった。

 大木は母に敵わず、渋々“女子会”に参加した。

 しかし、世間で言うところの女子会ではないことはすでに予想がついている。

 これは、大木を吊るし上げるための集まりだ。

 女子のリーダー的な子が、乾杯の音頭を取った。

 皆、ビールのグラスを軽くぶつけ合う。

 大木は「ハンドルキーパーだから」と理由をつけ、氷水のグラスを少しだけ掲げた。

「大木さん、お酒飲めば良いのに」

 離れた席の子が、声を張り上げた。

 大木は酒も飲むし、少しは煙草も吸う。しかし、今日はどちらもやらないつもりでいた。

 女子達は、大木をペースに巻き込むつもりでいる。ペースに乗ってしまったら、おしまいだ。畳みかけるように責められるだろう。

 彼女達はひとまず、高校の思い出を語り始めた。

 校則への不満、先生の悪口、男子生徒を見下す発言、当時読んでいた漫画、授業中にゲームの通信対戦をしていたこと。

「当時はスマホがなかったから、今思うと不便だったよね」

 大木はそれだけは同感した。しかし、頷くようなまねはしない。

 校則への不満はなかった。

 先生にも良くしてもらった。3年生のときの担任は大木に否定的だったが、学年主任は味方でいてくれた。特に、進学の際は背中を押してくれた。

 男子は馬鹿なことをよくやっていたが、迷惑をかけるようなことはしなかった。

 漫画は読まず、ゲームもしなかった。

 大木は当時、オタクと呼ばれる部類にいた。

 地味な人、特に文学を読むイメージのある人はオタクと卑下されていた。

 大木はこっそり介護関係の本を読む傍ら、詩集も読んでいた。それが周囲に知られることになっても、「イメージと事実が変わらない」と醜聞になることはなかった。

 詩集は、むさぼるように読んだわけではない。子どもの頃に親しんだ童謡や唱歌の歌詞を正しく知りたいから読んでいたのだ。いつか介護の仕事をして、歌詞を間違えないようにしたかった。

 今はほとんど本を読まない。読むものは、新聞と空気と行間だ。

「大木さん、未だ本なんか読んでるの?」

 訊かれ、大木は「読まない」と答えた。



 大木は群馬県の福祉系の大学に進学し、介護福祉士の資格を取得した。

 今は埼玉県の介護施設に勤務している。

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