短編集 ソルティア大陸の冒険案内

夕宮渚

第1話 フォン・リーベルと魅了の卵:とある吟遊詩人の記述


 ターチルエッグはソルティアの伝統的な食べ物だ。その名の通り、ターチルの卵をふんだんにつかった料理である。そしてターチルエッグは、一部の貴族でもうかつに手が出ないほどに高価であることでも知られている。なにせターチルは、険しい断崖の中腹に隠すように卵を産むのだ。低く、グッグッと脈打つように震える鳴き声を恐れる気持ちもわかるが、もしあなたが冒険者で、運よくその卵を見つけ、新鮮なまま街へと持ち帰ることができたのなら、その時は洞窟の奥深くに眠る財宝を発見したかのような大金が舞い込むことだろう。


 舌の肥えたフォン・リーベルもまた、ターチルエッグをもとめてソルティアを訪れた者のひとりだった。フォンはさまざまな料理に精通していることを何よりも誇りに思っていて、かつて深き森の奥、ハイエルフの手料理をも食したほどであった。そして美食家を名乗る彼が最高峰の珍味と称されるターチルエッグをもとめるのも、当然の流れといえただろう。


 フォンが訪れた『竜の背びれ停』はソルティアでも要人御用達の高級店で、まず店に入ると、長剣を帯びた若い騎士に個室へと案内されることになる。そこでイスの座り心地を確認していると、今度は長い白髭をたずさえた亭主が注文を取りに席までやってくる。フォンは旅の最中に貯め込んだ金貨を惜しむことなく支払い、「ターチルエッグをひとつ」と噛まずに告げた。


 フォンが早鐘のようにうるさい自身の鼓動に気づいたのは、亭主が粛々と頷き席を離れる姿を見送った後のことだ。それはかつてフォンが迷い込んだ深き森で、緑の巨人に睨まれた時のことを思い出させた。大きく深呼吸をして、額の汗を拭う。たかだが料理を注文するくらいで何を大げさなと、あなたは感じたかもしれない。だが、長い待ち時間を所在なさげに過ごすフォンの心境は、まさに夢を叶える目前。ソルティアへの道のりは決して平坦なものではなく、ターチルエッグをもとめる気持ちも、当初の些細なものとは比べ物にならない。すっかり手に余るほどに成長していたとしても不思議ではないだろう。


 やがて亭主みずからがテーブルに運んだターチルエッグは、一見するとただの卵焼きのようである。においも特別、変わったところはない。しかしひとたびスプーンを手に取り切り口を入れれば、零れ出るとろみは地表に出てまもない溶岩のよう。誰もが驚くその様子にフォンもまた目を見開き、ごくりと生唾を鳴らした。そして、それ以上の動揺を見せることなくひと口大のターチルエッグをすくい上げる。美食家としてのプライドが、料理を前にして彼に落ち着きを与えたのだ。あるいはそれは、戦地へと赴く兵士の覚悟に近いかもしれない。


 フォンは思った。ああ、その黄金色のなんと重いことか。私の汗と時間をついやして稼いだ金は、すべてこの少量の卵の中に濃縮されてしまったのだ。ならばどうか、この私を後悔させるようなことにだけはならないでくれ――そして、湯気の冷めないうちに口へと運んだ。


「んまぁい」


 一度でもターチルエッグを食べてしまった者の末路は、あえては語るまい。

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