第3話 ヌーパしようぜ

 その日の昼食、社内の女性陣が円卓を囲む。

 小休止や、ちょっとした議論に使う木製の円形テーブルだ。


「へーい、みんなー! ヌーパしようぜ!」


 右手に電子ケトル、左手にカレー麺を持って、清美は颯爽と現れた。

 空いている席に座る。


 テーブルに集まった女性陣が「イエー!」とノリノリで返事を返す。

 水の入ったケトルのスイッチオン。ケトルだけではない。

 電気ポットも円卓の中央にドンと腰を据えている。

 その間に、女性陣が銘々に持ち込んだカップ麺の口を開いた。

 社内を回っているワゴン販売で買った物である。

 沸騰したケトルのお湯を、次々とカップへ注ぐ。


 そこへ、ベージュのスーツを着た中年男性が通りかかった。

 上司の松井課長である。清美の食事ににケチを付けた男だ。

 短く刈り込んだ頭と、ガッチリとした腕が、強い威圧感と雄度を放つ。

 ぽっこりした腹部からは、年齢相応の哀愁を漂せていた。

「んだよ、コレ。俺への当てつけか!」

 そうだよ、と言い返したい気持ちを抑え、松井の激高に耐える。

「違いますって、ヌーパですよ」

「ヌーパって?」

「ヌードルパーティです。新作のカップ麺を持ち寄って、批評する女子会です」


 ハニカム組合の作戦はこうだ。

 一つ、女性陣を味方に付けるべし。

 同士を作って数の暴力に訴える作戦だ。

 文句を言えば、バラエティ番組でよく見る「えーっ!?」というブーイングを発すればよい、と。


 数名とは言え、女性スタッフは快く賛同してくれた。

 余所の課まで応援に来てくれている。

 よっぽど、松井は女性に嫌われているらしい。

「気軽に食べたいですもんねー」

「ねー」

 出来上がった麺を、それぞれが思い思いにすすり始める。

 小鉢を用意してシェアしあう姿も。

「カレー味、安定してるわぁ」

 清美が、定番の味を絶賛する。

 キャンプがテーマのアニメに影響されて、久々に買った。

 主人公がモリモリと箸を進めるのを見て、自分も無性に食べたくなったのである。

「魚介系いいねー。昔から食べてるシーフード味のヌードルとは、趣が違うんだね」

 魚介と鶏ガラをミックスしたダシがアクセントとなって食が進む。

 そう、女子社員は感想を述べた。

 他にも、汁なし担々麺など変わり種が飛び出し、ヌーパは思いのほか盛り上がる。

「課長もどうです? おひとつ」

 女性スタッフの一人が、購買ワゴンに乗っているカップ麺をさした。

「女子がカップ麺なんて」

 それでも、松井は頑なだった。

 これでもダメか。だったら、こっちにも奥の手がある。

「まあまあ、そう言わんと」

 一人の中年女性が、立ち上がって松井をなだめた。ワゴンを押している女性だ。

 青い作業服を着て、営業スマイルを松井に向ける。

「失礼ですが、どちら様でしょうか? みたところ、部外者の方みたいですが」

 松井は胸を張って、堂々と振る舞う。

 名札に付いている紐の色で、スタッフか部外者かが分かれている。

 彼女がぶら下げている紐は赤色だ。一見、単なる販売員に見える。

「わたしね、モルちゃん製麺の中緒と申します」

 中緒と名乗る熟年販売員が、ペコリと頭を下げる。

 モルちゃん製麺とは、清美が勤める会社の上得意先だ。

「モルちゃんさんですか」

「社内購買でこういう催しをやると聞きまして、是非うちの商品を売り込もうと。ここだけちゃいますねん。あっちゃこっちゃ行かせてもろてますよ」

 中緒が高齢者特有の人なつっこい笑みを浮かべた。

「まあ固い挨拶は抜きにして、これを食べてみて下さい。実は、うちで作ってるカップ麺の試食会をお願いしたんですわ。お昼のついでで構いませんさかいってね」

 ちょうど完成した一つのカップ麺を、中緒は松井に手渡す。

 刻んだキャベツや薄く切ったにんじん、たっぷりの野菜に、透明な麺が泳いでいた。一見すると、春雨スープに見える。

 訝しんだ顔で、松井は麺をすすった。途端、今までの怪訝な表情が、嘘のように吹き飛ぶ。

「うっま! これ、ラーメンというか、お鍋ですね?」

 何のためらいもなく、松井は麺を啜った。

「そうですねん。お鍋で使うような、あっさりダシで作ってます。味は濃いんでっけど、口当たりはよろしおまっしゃろ?」

「はい。特に麺が。プチプチって食感が面白いですね」

 松井が、箸で麺を持ち上げる。

「でもこれ、葛きりじゃないですか?」

「当ててみて下さい。ヘルシーさを売りに、この麺にしてますねん」

「お言葉ですけど、葛きりってデンプンですよね? 糖質制限がメジャー化した今、デンプンを使用した麺が、果たしてヘルシーと呼べるのかどうか」


 葛きりやコンニャク、春雨などは全部、炭水化物だ。

 よって、糖質制限ダイエットのリストからは外れてしまう。

 完璧にヘルシーとは言いがたい食品となってしまった。


 かくいう松井も、健康診断で引っかかって以降、糖質制限を始めたそうだ。

 何かにつけてカップ麺に噛みつくのは、そういった背景があるのかも知れない。


「この麺の成分ね、《アルギン酸ナトリウム》ですねん」


「アルギン酸ナトリウムって、何ですか?」

「まあ言うたら、海藻のヌメリ成分ですわ」

 はぁ~っ、と、松井は大きくため息をついた。納得したような表情を見せる。


 サラダなどで使う乾燥海藻麺を、カップ麺に利用したのだ。

 海藻類は食物繊維であり、炭水化物ではない。


「うん。これいいですね。でも、ちょっと足りないかな」

「そう思いましてな。こういうものも」

 中緒が用意したのは、コンビニおにぎりである。

「ダブル炭水化物やと、ちょっとダイエットに影響出るかいな、と思いまっけど、これやったら海藻、つまり食物繊維ですわ。気兼ねなく食べられまっせ」

 松井は納得して、おにぎりを頬張って海藻麺をすすった。

「あ、食べちゃった」

 制限していた炭水化物を食べて、松井は苦笑いする。

「ええんです。これは最初から、ご飯物と一緒に食べる量を想定してますねん。食べたいものを安心して食べるのは、幸せなんですわ」

 おにぎりを机に置こうとする松井の手を、中緒が止めた。

「ストレスが溜まると、無理をして、かえって人や物に当たってしてしまいますねん。イライラして」

「確かに、最近どうも怒りっぽくなった気がしますね。ちょっとの事でも不愉快になっちゃって」


「たまにカップ麺でも食べて、パッと浮世を忘れてもええと思いますよ。たまにでええんです。ずっと楽しいばっかりやと、それも負担が掛かってしまいますから。わたしらは、束の間の娯楽を提唱してますんやわ」


 生きるため健康のために食べるなら、何もカップ麺を選ばない。

 ジャンクは一種の、ひとときの娯楽だ。そういう食べ物だってある。


「何もわたしらは、あんさんのような健康志向の考えを窘めにきたんやおまへん。幸せの選択肢をひとつ、あんさんに提供しに来ましてん」

「へえ、食品会社もやるもんですねぇ」

 穏やかな顔になって、松井はうなずいた。

「ほな、おおきに。ささ、今度は違う部署に行きまっさ」

 ワゴンを押して、中緒は表へ出て行く。

「あ、これはこれは部長はん」


「これはまた、ご無沙汰しております、中緒社長夫人!」

 極めて低姿勢で、我が社の部長は中緒に向けて、深く深く腰を折った。


「社長、夫人……」

 脂汗をかきながら、松井は早々に退散しようとする。


「おい、松井」

 

 ドスの利いた声が、ヌーパの会場に響く。

 松井の後ろには、紺のパンツスーツを着た五〇代の婦人が立っている。

 得意先に無礼を働いた部下を、部長が見捨てるはずがない。

「ぶ、部長。どうしてこちらに?」

「私も呼ばれとったんや、ヌーパに」

 仕事を終えて、ようやく合流となったのだ。

 振り返った松井が青ざめる。

「お前、取引先の奥さんの顔も覚えてへんのか! この間のパーティの時に挨拶したやろが!」

「ひいい、すいませんすいません!」

「全部聞こえとったんやぞ! 何が『やるもんですね』や、偉そうに!」

「てっきり、得意先の営業だとばかり」

「変装してはっても、声で分かるやろがい!」

「すいませんすいません!」

 怖い女上司に怒鳴られて、松井は何度も頭を下げ続けた。


 社長夫人の正体を知っていた女性陣は、吹き出すのを抑えられない。

 中緒は、松井よりずっと上にいる人だったのである。


 これが第二の作戦だ。内容は『女性で偉い人を味方に付ける』こと。

 これで、清美の報復は成功した。


 とはいえ、中緒の言葉が妙に引っかかり、清美は駆け出す。


 あの人の口ぶりで予感がした。

 中緒は、清美の事情を知っていたのではないか。


 清美が女性社員に相談した際も、話題になった。

 ハニカム組合とは技術者グループの総称なのでは、と。


「待って下さい」

 廊下でワゴンを押していた中緒が、笑顔で振り返った。


「あの、ひょっとしてあなたが、ハニカム組合なんじゃないんですか?」

 

 中緒の笑顔が、困惑したような形に変わる。

「はて、どなたさんでっしゃろな?」

 オホホ、とわざとらしく微笑んで、中緒はワゴンを押しながら消えていく。

「はは、まさかね」

 中緒の背中を見送って、清美は考えるのをやめた。


 あれ以来、松井は女性スタッフに対して失礼な発言をしていない。

 しかし、それっきり中緒の姿も見なくなった。


 中緒という人物は結局、何者だったのか。


 今になって思う。


 彼女こそハニカムを統治する女王蜂だったのかも知れない、と。

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一〇〇匹の怒れるイカレたハニカム組合 椎名富比路@ツクールゲーム原案コン大賞 @meshitero2

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