第6話獅子の涙
園長の携帯にコールを始めて、十秒が経った。
「頼む……出てくれ!」
俺は祈るような気持ちで電話を握り締めた。
「出ないのか?」
ラルフが眉をひそめて訊いてくる。
俺は溜息とともに頷いた。このままでは、最悪、すでに爆発している、というケースも考えなくてはならない。
と、そんなことを考えていると、やっと園長の電話とつながった。
「どうしました?」
彼のいつもの変わらない声を聞いて、俺は安堵の吐息をついた。しかし、すぐに言葉を返す。
「園長、落ち着いて聞いてください」
「はい?」
「今、そこの保育園に、爆弾が仕掛けられています」
「なんですって!?」
「シッ、園児達には悟られないでください」
「……本当なんですか?」
「本当です。しかも爆弾は、年少組みの、一輝の机の中にあります」
「………」
「そして、爆弾は、少しの衝撃を受けただけでも爆発するかもしれません」
「え!?」
「一輝は……今どうしてます?」
「机に……座っています」
「クソ、やっぱり!」
俺は舌打ちした。
ラルフが「出たんだな?」と言ってくる。
「ああ、だが爆弾を仕掛けられている机に、園児が座っているんだ」
俺は彼に説明すると、再び電話に向かって話した。
「園長、一輝以外の園児達を、何処か安全な場所に移動させてください。俺は、警察に連絡して、今からそちらに向かいます」
「……分かりました、やってみます」
「お願いします、なるべく、一輝を不安にさせないでください」
告げると、俺は電源を切って、キャメルを咥え火をつけた。
「保育園はどうだった?」
ラルフもラッキーストライクに火をつけ、言って俺を見た。
「最悪の事態は免れたが、今から警察に連絡しなければ、間に合わんかもしれん」
俺は言って煙を吐き出し、再び携帯を使おうとしたが、出血と疲労のせいで立ちくらみを起こし、床に膝をついた。
「大丈夫か? お前も限界だろう」
「大丈夫だ」
心配するラルフを制し、俺は彼の手をかりて立ち上がった。そして、背後に人の気配を感じ、振り向くと、そこには美由紀が立っていた。
「佐伯先生……どういうことですか、一輝君の机に爆弾って……それに、なぜか先生は銃を持っている……この人達、皆先生が殺したんでしょう! あなたは一体誰なんですか、説明してください!」
彼女はヒステリーを起こしていた。かっと目を見開いて、勢いにまかせて叫んでくる。
「……ラルフ、警察に電話してくれ」
俺はラルフに告げ、彼は無表情に「了解」と答え、携帯を手にした。
「美由紀ちゃん」
俺は彼女の目を見て、ダンプが俺に復讐するために、彼女を拉致し、一輝の机に爆弾を仕掛けたことを掻い摘んで説明した。美由紀は、訳が分からない、といった様子で、俺の話をただ呆然と聞いていた。
「――そういうことだ」
「……『そういうことだ』って」
俺の言葉が終わると、美由紀はまた声を荒げて言い返してきた。
「それじゃ、なんでそのダンプって人が、あなたに恨みを持っているのか分からないじゃないですか!」
「それは――」
俺がいよいよ諦めて白状しようとしたとき、それを助けるようにラルフの言葉が割って入った。
「佐伯、警察が動いた。爆弾処理班が、保育園に向かっている」
俺は腕時計を見た。時刻は午後五時。ダンプがボタンを押したのは、多く見積もって十五分前。ぎりぎりだ、あと四十五分……間に合うか!?
「佐伯、どうする?」
ラルフは煙草を落として、俺の指示を仰ぐ。
俺は煙草を指ではね、すぐさま決断した。
「俺はすぐに保育園に向かう、お前は、美由紀ちゃんを自宅まで届けてやってくれ」
「了解」
ラルフの応答を聞くが早いか、俺はラルフのロケットランチャーが開けた穴から非常階段を下りて、ポルシェの前にやってきた。
しかし、ポルシェに乗り込もうとしたとき、俺は動きを止めた。助手席のドアの前に、美由紀の姿があったのだ。
俺は非常階段のラルフを睨んだ。彼は、曖昧な表情で苦笑いを浮かべている。
「美由紀ちゃん、君はラルフとウチに帰るんだ」
俺は彼女に向かって言った。
しかし美由紀は引き下がらない。
「嫌です、私だって一輝君の担任です、私も行きます!」
「しかし、危険すぎる」
「一輝君も危険なんですよ、私だけ安全な場所で待ってるなんて、できません」
「………」
俺は言葉を失い、彼女の表情をうかがった。その瞳には、意志の強さを示す、強い光が宿っていた、断固意見を変えないつもりだ。
俺は彼女の気迫に圧されるかたちで、告げた。
「分かった、一緒に行こう」
*
俺はポルシェのハンドルを握りながら、助手席の美由紀の表情をバック・ミラーで覗いた。彼女は複雑な表情で、外の風景を見ていた。彼女の表情から俺が推察できるのは、一輝に対しての不安、それと俺に対しての疑念と失望、そして憤り。俺には、それに逆らう筋は持ち合わせていない。彼女の怒りは、事が終わった後で甘んじて受け入れよう、しかし、今はただ、一輝の無事を祈りながら、急いで彼のもとに向かうことだけに専念したい。
俺は再びフロント・ガラスに視線を戻し、アクセルを踏む足に力を込めた。
一輝、生きていてくれ――!
フロント・ガラスの向こうに、小さく保育園が見えてきた。時刻は五時四十分。爆発まで、あと五分だ。俺は祈るような気持ちで、保育園の門前に車を停めた。俺に続いて、ラルフもジャガーを停める。敷地内のガレージには、すでにパトカーや、万一のための救急車が何台も停められていた。
「ここからは俺一人で行く、美由紀ちゃんは車の中にいてくれ」
俺は美由紀の返事を聞く前に飛び出していた。
立ち入り禁止のロープをくぐり、警備の警官を押しのけ、年少組みのクラスに向かう。
そして、俺がドアに手を掛けようとした、まさにその時、中から爆発物処理班らしき中年の男性が出てきた。彼は、少し驚いた様子で俺を見て、「どなたでしょう?」と訊いてきた。
「私は、ここのクラスの担任をやっているものです」
俺が告げると、男性は「先生ですか」と呟き、こう言った。
「爆弾は、無事取り除きました。男の子も元気です」
「……はぁ、ホントですか!?」
俺はそれを聞いて、その場にへたり込んだ。今まで溜め込んできた疲れが、どっと噴出してきた。
「大丈夫ですか? あなた、怪我をしてらっしゃるようですが」
男性は、心配そうに言ってきた。
俺は「平気です」と告げ、彼に言った。
「それより、一輝の……男の子の顔を見せてください。
俺は教室に入ると、そこには、刑事が数人と、解体された机に座ったままの一輝がいた。刑事のうちの男が一人、俺のもとにやってきて、まず俺の傷を見て驚いた。職業柄、傷が銃で負ったものだと分かるのだろう。しかし言葉ではそれに触れず、「どなたでしょう?」と、先ほどの男性と同じ質問をしてきた。俺は例にならって「ここのクラスの担任です」と答える。
刑事は怪我を負っている俺をまず怪しいと見たか「あとで、先生には事情聴取に来てもらいます」と、告げた。
「それはかまいません、しかし、その前に男の子と話をさせてください」
俺は言うと、彼を押しのけるように一輝のもとに向かった。
「一輝!」
俺は彼に向かって叫ぶ。
「センセイ?」
一輝は、笑顔で俺を向かえた。
俺は一輝の肩を抱きしめると、許しを乞うように言葉を投げかける。
「すまない、危険な目にあわせてしまって。全部俺のせいだ、許してくれ!」
言っている間に、涙が溢れてくるのを止められなかった。
「センセイ、何で泣いてるの?」
一輝は、首を傾げて俺を見ている。彼にしてみれば、何が起こったのか理解できていないらしいが、だからと言って俺の罪が消えるわけではない。
一輝は、あどけない笑顔で、俺を慰めるように言った。
「センセイ、泣かないで。ずっと泣いてちゃいけないって、センセイが言ったじゃない」
「一輝……」
その言葉に、俺は余計に涙が止まらなくなり、ついには声をあげて泣き出してしまった。
大の男がわんわんと泣いているのを、刑事達が困った顔で見ていると、教室の扉が開いて、ラルフと美由紀、そして園長が入ってきた。
園長は刑事達に「保護者の方に来てもらうよう、連絡しておきました」と話している。
美由紀は、大声で泣いている俺を見て、驚いた表情で立っている。
ラルフが、「佐伯の泣いているところなんて、始めて見たぜ」と、何かやるせない顔で呟く。
と、刑事の一人が、俺の肩に手をやって、言ってくる。
「先生、そろそろ事情聴取に来てもらいますので」
「……はい」
俺は涙を拭うと、立ち上がり、刑事と向き合った。
終わった。事情聴取がすみ、俺の素性が明らかになると、もはや俺はこの保育園どころか、表の世界では生きていかれなくなる。
「佐伯先生……」
美由紀が、悲しそうな顔で俺を見る。
「センセイ……行っちゃうの? もどって、くるよね?」
一輝が行って、俺の足にしがみついた。子供ながら、これが最後の別れだと、本能で悟っているのだろう。俺は一輝の頭に手を乗せ、優しく告げた。
「一輝、俺がいなくても、強い男になるんだぞ。美由紀先生に、心配かけちゃ許さないからな」
言って、俺は一輝の手を振り切り、刑事に連れられて、ドアに向かった。
「センセイ、行かないで!」
背後で一輝が叫ぶ。俺は嗚咽をかみ殺し、気にしないふりをした。
と――背後から、突然誰かがしがみつき、俺を引き止める。
振り返ると、美由紀だった。
「先生、行っちゃダメ」
彼女は、目に涙を浮かべていた。
「美由紀ちゃん、俺は行かなきゃ。俺は、もうここには戻れない」
俺は彼女を振りほどこうとするが、彼女は放さない。
「ダメ! 行かないで!」
「……美由紀ちゃん……俺という人間は、もともとここには居ちゃいけない――」
言いかけて、俺の口が塞がれた。美由紀が、唇で俺の言葉を遮ったのだ。
「………」
美由紀は唇を離し、涙をこぼして、
「あなたが誰なのか、そんなことはどうでもいい。愛してます。だから、どこにも行かないで」
と呟いた。
もはや、俺に迷いはなかった。彼女の肩を抱き寄せ、再び彼女の唇にキスをした。
ラルフが頭を掻きながら「やれやれ」とぼやき、刑事達も困った顔をしているが、今の俺にはまったく気にするところではなかった。
俺はやわらかい美由紀の唇の感触を感じながら、思った。
俺は、一人じゃない。
この先、どんな不幸が待ちうけているとしても、俺は、ここに帰ってこれる。
キャリアウト〜Hold over operation らくだ @raguropu
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