第5話吼えろ、獣王!
美由紀が捕らえられている廃工場に俺のポルシェが到着したのは、電話があってから二時間後のことだった。
工場は、よくあるカマボコ型のものだ。俺は工場の敷地の原っぱにポルシェを停め、半開きになっている出入り口のシャッターに歩み寄った。
「美由紀ちゃん、どこだ!?」
俺は中に向かって呼びかける。
「ここです……」
中から、美由紀の声が聞こえた。
「入って来てください」
彼女が、弱々しい口調で言ってくる。シャッターの下から見える薄暗い内部に、彼女のものらしいシルエットが見える。
「分かった。今行く」
俺は言うと、シャッターをくぐって中に入った。当然のことながら、灯りはついていない。工場内を照らすのは、ガラスの無い窓から差し込む太陽の光だけだ。それでも、俺は長方形の空間の真ん中で、一人佇んでいる青い顔をした美由紀の姿を捉えることができた。疲労した表情をしているが、怪我をしている様子は無い。
「佐伯先生……」
美由紀は今にも泣きだしそうだ。
俺が美由紀に目で頷くと、入ってきたシャッターが、勢いよくガシャンと閉められ、俺達は閉じ込められた。
そして工場の隅に残されている機械類の陰から、柄の悪い男達がぞろぞろと姿を現す。連中が、例のヤクザ達だ。
「美由紀ちゃん、おいで」
俺は手を広げて彼女を呼び寄せた。美由紀は早足で俺の腕の中に飛び込んでくる。
「すまない、俺のせいで君を危険な目に合せてしまった」
俺は美由紀を後ろにかばいながら言った。
「……佐伯先生……一体どういうことですか? 彼らは――」
「……悪いが、今は説明している暇はない」
美由紀は無言を返した。表情は見えずとも、不安と困惑の色がうかがえる。
と、突然我々の上方から、英語で話す男の声が聞こえてきた。
『佐伯、久しいな!』
『……ダンプだな』
英語で答え、見上げると、建物の二階に相当する高さに設置されているギャラリーに、奴の姿を捉えることができた。年齢は四十そこそこ、真っ黒な顔に、目と歯だけがやけに白く光って見える。
『その後の生活はどうだった? 獄中の話を聞かせてくれよ』
俺はわざと相手を挑発する言葉を放った。
『その減らず口……二度ときけなくしてやるぜ』
ダンプは言い捨てると、ジーンズのポケットから取り出した拳銃の銃口を、こちらに向けて発砲した。弾は俺のスラックスを引き裂き、右足の腿の肉をえぐって地面に突き刺さった。俺はうめき声を漏らして膝をついた。美由紀は背後で悲鳴をあげ、俺の肩にしがみつく。
撃たれた。が、これも計算のうちだ。
俺が痛む右足をおさえていると、ダンプが高笑いをあげた。
『ハハハハ、馬鹿め! みすみす罠に掛かってくるとは……貴様もおちたな!」
「………」
俺は黙ってダンプの動きを見ていた。奴は満足げな笑みを浮かべながら、ゆったりとした動きで少しずつ横に移動している。その動きは、まるで歓喜に酔って踊っているかのようだ。俺の苦しむ姿が、相当愉快らしい。
俺は美由紀に、背中を向けたまま、彼女にだけ聞こえるよう小声で言った。
「美由紀ちゃん、聞いてくれ」
「……え?」
「右側にクレーン機がみえるだろう」
「……はい」
「もう少ししたら、俺が合図を送る。そしたら、あのクレーン機に向かって、思いっきり走るんだ」
「え――でも」
「考えてる暇はないんだ、頼む、俺を信じて」
「……はい」
『何を話している!?』
ギャラリーからダンプの罵声がとぶ。
『何を考えているか知らんが、貴様ら二人はどうせ死ぬんだ、変な悪あがきはよすんだな!』
『最後の別れの言葉を言っていたのさ』
俺は不敵な笑みを浮かべて返した。
『ふん、カタギぶりやがって。おい、野郎ども、やっちまえ!』
ダンプが叫び、手で合図を送ると、ヤクザ達が一斉に銃を構えた。
俺は立ち上がり、後ろの美由紀の盾になる。クレーン機までの距離は、凡そ二十メートル。
俺は胸中、叫んだ。――まだか、ラルフ!
と、その瞬間だった。ダンプが非常階段のドアの前にさしかかったとき、突然その非常階段のドアが爆発を起こした。ラルフがロケットランチャーを撃ち込んだのだ。
『うおおおおぉぉぉぉぉぉ!!』
爆風を受けたダンプが、手すりを飛び越えて、金切り声をあげながら一階の床に激突した。
ヤクザ達がそちらに気を取られているその隙をついて、俺は美由紀に叫んだ。
「今だ、走れ!」
それを合図に俺達は駆け出した。撃たれた足が痛むが、それを気にしている余裕はない。
俺達の行動に気づいたやくざ達が、こちらに向き直って銃を撃ってくる。俺はジャケットに隠してあった拳銃を抜いて応戦するが、走りながらではろくに狙いが定まるはずもなく、逆に相手の銃弾を肩に受けて、クレーン機の五メートル手前で転倒してしまった。美由紀は、すでにクレーン機の陰に隠れている。
俺は命の危険を予感したが、すでにギャラリーに来ていたラルフの、サブ・マシンガンの援護射撃で、追い撃ちをくらわずにすんだ。
俺は体全体を引きずるようにして、どうにかクレーン機の陰に逃げ込んだ。
俺は美由紀の頭を手でかばいながら相手の様子をうかがうと、ヤクザ達も機材の陰に逃げ込んで掃射を免れていた。しかし、彼らが元いた場所には、五人の死体が転がっており、そこから相手の勢力が半減したことが分かった。
俺とラルフは上下から攻撃をするが、奴らは数に物を言わせて弾幕を張るので、なかなか埒があかない。俺は何かないものかと、あたりを見渡し、自分の背後にドラム缶があることに気がついた。そこで俺は、一つの賭けに出てみることにした。ドラム缶の中身、それと、俺に残された僅かな力が、賭けに勝つ条件だ。
俺は円周二メートル、重さ五十キロほどのドラム缶を抱え込むと、唸り声をあげてそれを持ち上げた。傷口から血が迸り、気が遠くなりそうな激痛が俺を襲ったが、俺はそれらを振り切って、ありったけの力で、ヤクザ達が隠れている機材の方に、それを放り投げた。
ドラム缶は十メートル先でバウンドし、まっすぐ奴らの方に向かって転がってゆく。
「ラルフ、ドラム缶を撃て!!」
俺はギャラリーのラルフに叫んだ。
「あいよ!」
言って、彼はドラム缶にサブ・マシンガンの掃射をした。
弾がドラム缶を破壊すると、狙い通り、中の液体が爆発を起こした。俺は美由紀の上に覆いかぶさって、爆風から彼女を守った。
爆発が止んで立ち上がると、ヤクザ達が隠れていた機材は跡形もなく砕け散り、そこには全員まる焦げになったヤクザ達の死体が転がっていた。
「美由紀ちゃん……大丈夫?」
「…………」
美由紀は無言のまま、頭を抱えた状態から動かない。ただ、肩がさっきからずっと震えっぱなしだ。
「ここに居て」
俺は言い残すと、爆発の起こった辺りに歩を進めた。ここには何も残っていない。
「やったか」
ギャラリーから降りてきたラルフが言う。
「ああ」
俺は頷いた。が、辺りを見渡して、ある異変に気づく。
「……ダンプがいない!?」
「なんだって!」
ラルフも言って、ダンプの姿を探す。
「何処に行った」
俺は胸中で舌打ちした。あれだけの瀕死の重傷を負っていれば、そう遠くにはいけないはずだが。
「いたぞ!」
ラルフが奥の壊れたトラックにもたれているダンプを見つけて言った。奴は手に何か持っていて、それについているボタンらしきものを押した。そして、例の高笑いをあげる。
『フハハハハハ、もう終わりだ! 全部消えてしまえ!』
俺とラルフは奴のもとに走りより、問い詰める。
『何をした!?』
俺が言うと、ダンプは、血に染まった赤い歯をむき出しにして告げた。
『貴様の仕事場に仕掛けた爆弾を起動させた、あと一時間で爆発する』
『何だと――そんなもの、いつの間に』
言って、俺は思い出した。そういえば、今日の昼、業者が新しい机を運びにきていた。あれだったのか。おそらく、あの業者はヤクザの仲間で、本物と入れ替わっていたのだ。とすると、爆弾の仕掛けられた場所は――、一輝の机の中だ!
『フフ……もう終わりだ……あの爆弾は、少しの衝撃でも爆発する。子供が逃げようとすれば……その瞬間、ドカンだ……へ、ざまぁ見ろ、ブタ野ろ――」
ダンプが最後の言葉を告げる前に、ラルフの拳銃が、奴の頭を撃ちぬいた。
「どうする、佐伯!」
「……なんてことだ」
俺は絶望感にうちひしがれながら、携帯電話で、園長の携帯にコールした。
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