第4話獅子は目覚めた
ダンプを渋谷のバーで見かけて三日経つが、俺の生活にこれといって変わった点は見当たらない。懸念していた、奴が俺に抱いた恨みからの復讐も、今のところ、無いと言ってよい。果たして、あれが俺の思い過ごしだったのか、もしくは、ダンプが俺を見誤ったのか、それは定かではないが、ただ平和であるのならば、俺はそれに甘んじることにする。
俺はいつものように、朝九時に出勤し、自分のディスクに座って、営業用のパソコンの画面と向き合っている。
そして時刻が昼の十二時にさしかかったとき、客の来訪を知らせるチャイムが鳴った。
「誰だ?」
俺は煙草をもみ消して立ち上がろうとする。すると園長が声をかけてきた。
「佐伯先生、私が行きましょうか? まだお仕事が残っているでしょう」
「いえ、今ちょうど一段落したところなんで」
「そうですか、じゃあお願いします。多分配送の人だと思うんで、新しい机の。年少組みの机、一つ壊れてたでしょう? それと取り替えておいて下さい」
「分かりました」
いい終わると、俺は玄関口に向かった。外では、青い作業服を着た若い青年の運送業者が一人待っていた。
「お昼時にすみません、配送の者です」
「はい、聞いております。どうぞ、案内します」
俺は新しいパイプ机を抱えた業者を、年少組みの教室に案内した。
「ここです」
俺は言うと、扉をノックした。
「はい?」
美由紀が顔を出した。今は園児達と給食を食べている様子。
「昼ご飯中すまないね、新しい机が届いたんだよ、ほら、一輝のやつ」
「ああ、分かりました。じゃあ、後は私がやりますから、佐伯先生はお昼休みとってください」
「それはありがたいが……やはり男がやったほうが……」
俺が考えていると、業者の若者が言ってきた。
「それでしたら問題ないですよ、古い机を引き取るまでがウチの仕事ですから、取替えもウチがやります」
「ふむ……そういうことなら、そちらに任せることにします。それじゃ、美由紀ちゃん、後は頼んだよ」
「はぁい」
美由紀の返事を聞くと、俺は保育園の近くのファースト・フード店に向かった。
昼食をとり終えた俺は、美由紀と交代して教室に入った。
最初の時間は、適当に時間をつぶすため、俺はオルガンを弾いて、子供達に民謡を歌わせていた。
そして、そろそろこの時間も終わりにさしかかったとき、教室のドアが二度ノックされ、俺はドアを開けた。外には、園長が立っていた。
「どうしました?」
俺が言うと、園長は首を傾げ、「さっき事務室に電話がありましてね、安達先生から。何か佐伯先生にお話があるみたいで」
「美由紀ちゃんが? 分かりました、じゃあ、子供達をお願いできますか?」
「もちろんです」
「お願いします」
言い残すと、俺は事務室に向かった。
事務室に入ると、俺は園長のディスクの、電話の受話器を取った。
「もしもし……佐伯先生?」
「ああ、俺だが、何か用かい?」
「ええ、実は学校に向かう途中で、車が故障しちゃったみたいなんです」
「……車が」
「そうなんです。それで、近くの廃工場の中に停めてるんですけど……すみませんが、ちょっと来てもらえないでしょうか」
「…………」
俺は少し考えた。美由紀の声が、震えている。それに、美由紀は車の免許を持っていない。これは明らかに、異常のサインだ。
俺は「いいかい、落ち着いて」と、彼女をなだめ、少し声のトーンを落として言った。
「今から俺の言うことをよく聞いて。そして今から、いくつか質問をする、それに対して美由紀ちゃんは、ただ『はい』『いいえ』とだけ答えるんだ、分かったかい?」
「……はい」
「よし、では始めるぞ。美由紀ちゃん、近くに、誰かいるね?」
「はい」
「OK。じゃあ、俺の声はその人間に聞かれているかい?」
「いいえ」
「そうか……じゃあ次だ。周りの人間は一人か?」
「いいえ」
「彼らは銃を持っている?」
「はい」
美由紀が言い終わると、受話器から、少し離れた所かららしい「早くしろ!」という男の怒鳴り声が聞こえた。もう残された時間は少ない。
「落ち着いて。彼らの中に……黒人の男はいるか?」
「……はい」
「分かった。じゃあ、これが最後の質問だ。周りの人間は何人いる? これは『クラスの園児は〜人』というふうに答えてくれ。凡そでいい」
「はい……クラスの園児は……十人くらいだと思います」
「ふむ……ありがとう、そちらの状況は大体察している。安心しろ、今からそっちに向かう。場所を教えてくれ」
「そうですか、来てくれますか。はい、場所は京王線沿いに渋谷方面に真っ直ぐ行った所にある、今は使われていない無人の工場。多分左手に見えるはずです――」
言い終えるや否や、向こうの電源が一方的に切られた。
俺は受話器を置いて、エプロンからキャメルを取り出し、咥えて火をつけた。
ついに、恐れていた事が起こってしまったのだ。
俺は煙を胸一杯に吸い込むと、そいつを乱暴に吐き出し、煙草を灰皿に押し付けた。
そして自分の携帯電話を持って、着信履歴から、見慣れた番号をコールした。
「もしもし、俺だ」
2コールで男が応答した。
「ラルフか」
俺は彼の名を言って、続けた。
「有事だ。ダンプが、ウチの同僚……美由紀ちゃんを人質に捕った」
「なんだと!?」
「三日前、渋谷のバーでダンプと出くわしたんだ。奴はおそらく、七年前の復讐をしようとしているんだ。奴には仲間がいて、人数は、凡そ十人」
「なんて事だ! 奴から仕掛けてくるとは……その仲間というのは、おそらくダンプが武器を流しているヤクザ達だ。札束を握らせて雇ったに違いない」
「俺はすぐに奴の所に向かわなければならない。手を……かしてくれないか?」
「……五年前――」
ラルフは、声を低くして語りだした。
「シェリーが死んで、俺は何度もお前と手を組もうと持ちかけ続けた。俺はお前が賞金稼ぎを始めたときから、その素質を見抜いていたんだ。そして今は、お前から、俺の手をかりたいと言っている」
「言っておくが、俺が闇の世界に戻るのはこれっきりだ。お前が、恩を着せるつもりで俺に手をかすのであれば、俺は一人で美由紀ちゃんを助けに行く」
「分かってるよ、恩を着せるつもりはない。しかし、お前の正体が美由紀ちゃんに知られると、もう保育園には居られなくなるかもしれんのだぞ?」
「承知の上だ」
「……分かった、手をかそう。武器はこちらで用意する。何がいる?」
「オートの拳銃二丁と、サブ・マシンガン、それとロケット・ランチャーだ」
「OK、手配しよう」
「頼んだぞ」
「――さあ、始めようか、今から五年越しの『ホールド・オーバー・オペレーション』を遂行する」
俺は携帯電話の電源を切って、エプロンをロッカーに掛け、黒のジャケットを羽織った。
「どうしました、佐伯先生?」
一時間目の保育を追えた園長が、事務室の出口に立ってで言ってくる。
「園長、ちょっと用事が出来まして、出させてもらいます。残りの時間の保育、お願いできませんか」
「……それはいいですが……」
園長は何かを言いかけたが、俺の目を見て、それを飲み込んだ。
「失礼します」
言って、俺は事務室を出ようとした。すると、園長が俺を呼び止める。
「あの、佐伯先生……」
「はい」
「戻ってきますね、ちゃんと」
「………」
俺は少しの間沈黙し、園長に背を向けたまま、言った。
「もちろんです」
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