アホは、アルタネイティブな生き方

関西のひとが東京にいったときに、アホという言葉のとらえ方が違うことに軽く驚きをおぼえるのはよくあることだと思っています。
そこを軽く考えて不用意にアホを使うと、大惨事をまねいたりもします。

馬鹿とアホの違いをきちんと説明した文章にであったことはなくて、そこを判りやすく説明しておられるのに感動します。
けれど、この作品の素晴らしいところはそのことよりも、アホという言葉からアルタネイティブな生き方を示しておられるように思えるところです。

たとえば、誰かがこう言ったとき

「あなたは、馬鹿だ」

言外にこんなことを言っています。

「あなたは、賢くない」

つまり、馬鹿とは賢い/馬鹿の二項対立の上になりたつ言葉でありそれは、ある系列、ある序列、数値的に測りうる(テストの点数とか)ある段階的な差異をさししめしています。

けれど、アホはどうでしょうか。

「あんたは、アホやなあ」

こういったときに、それはひとつのアルタネイティブ、ひとつの特異点を指し示し、それはまたひとつの特殊な肯定であると思うのです。
作品の中では、アホとはひとつの肯定をうみだす生き方を指し示すものだと語っておられるように思います。

それは、ある序列、ある系列の中で閉塞的な生き方をしているものにとってのひとつの啓蒙であり、ひとつの救済となるものではないか思えるのです。