王宮麗人の鬱屈

第1話 その女

ここはグロント王国。

由緒ただしき血が流れ、世界でも有数の歴史を持ち、国王による専制君主制を敷いていて、貴族階級、伯爵など上位一部の上部議会、民衆の民意によって選ばれた下部議会、そして最終決定権を持つ国王の3部構成で国を動かしている。そう広くはない国土に2千万人程が住まい、古くより大国の一つとして名声を浴びて今なお衰えを知らない世界最大軍事国家である。

歴史には記録の残らない太古よりこの地には人が住まっていたようで、記録にある限り専制君主制は変わっていない。水に恵まれた豊かな国土に穏やかな風が吹き、人が生き死にをする場所としては最適だと言える。記録にある最古の国王はドゥ・ルファヌ。軍神として恐れられ、建てた武功は数知れず、恵まれた土地を巡って絶えない侵略者を根絶やしにすることで各国に恐れを与えた。裏切り者への制裁をまとめた文書が最近になって発見され大変話題になったが、同時に分かってきた徹底した民族主義と縦社会が今のグロント王国の基礎になるものである。

私は疲れた目をこすって伸びをする。『建国史』とだけ書かれた無表情な本にしおりを、閉じた手は差し水(※目薬のこと)を掴む。人の歴史本というのはいつも単調でいけない。そう急がずとも歴史は変わりやしないのに一所懸命に何万年という短い時間を1冊にまとめようとするのだ。

『それに、この国はもう、むかしがどうだったにせよ』

私の隣で”小さい人”がしゃべる。

小さい人とは所謂愛称であるが、正確には悪魔の類である。悪魔と言ったら君は何を想像するだろう?赤い目に黒い爪、正体は煙のようなもので見上げても足りないほど大きく、人の魂を食らう大鉤爪の生き物であるだろうか?

どんな解釈をしていようと彼らは気にしないだろう。間違ってはいないのかもしれないのだから。彼らは独りで生まれ独りで歩き、独りで死んでいく生き物だから、仲間を知らない。

だから彼らは自分の生きたいように生きるし中には人と共生するものもある。

『分かっているよ。人間は幾度も生きられるわけじゃない、仕方の無いことと言えばそれまでさ。』

『人間でも悪魔でもないお前に言われるたァ人間サマも閉じた毛穴が開くってもんだぜ?』彼らはどうやら毛穴が開くのが嫌らしい。

『それにしたってお前は綺麗だなァ』

悪魔は綺麗なものが好きだ。人間よりずっとシンプルな美しさを求めている。彼らはどんな姿にせよ、麗人であることに変わりはない。少なくとも私が数え切れぬほど付き合ってきた彼らはどんな姿をしていても美しかった。

『あぁ、ありがとう。折角だがね、君にくれてやる身体はないんだよ。』

『そう苦笑いせずとも分かっているさ。お前は俺らが手を出していいモノじゃねぇや。それでも惹き付けられてやまないお前は蜜さ。』

『蜜ねぇ……』

浅黒い褐色の肌に艶やかな紫がかった長い黒髪、何千年も地下で眠り続けた、意志を示す深い深いアメジストの瞳が美しい一つのアーチを描く。その上を髪色と同じ眉が黄金比で通る。低くとがった鼻筋は真っすぐ通り、明るくない色の唇は大振りで、こぼれる歯は真っ白い。シャープな角度の高い頬から無駄な肉を排除した顔のライン。黒の緩やかな曲線を描く上下の洋服に白いシャツを中に着て先の尖った靴を履く。体型は分かりづらい。柔らかそうな耳たぶから長く煌めくオレンジが閉じ込められたイヤリングがゆれ、手には栄冠を示す小ぶりな王家の指輪がはめられている。

そんな目を惹かずには居られない容姿の中で際立つ異質感があるのは首と肩との間、甲状腺のあたりに咲く蝶々の刻印。髪色と同じ色の蝶々が大きく羽を広げている。シャツから時たま除くタトゥーの色気は計り知れないものがあるだろう。まるで蝶の独占欲を、見てはいけないものを見てしまったようで。

私は美しい。

私は私の美しさを知っている。誰もが目を惹く女であることを。

父はいない。母は醜女だった。そして人間であった。私もまた、人間だった。

この国の街を歩けば世界最大軍事国家はどこへやら、戦争に貧民や乞食、世界中の汚物をも集めている。美しいものの裏には汚いゴミだめがある。それは私しかり、世界最大軍事国家グロント王国しかり。

『あぁ、夜も更けてきた。そろそろ休むことにしないかね?今日は正午には起きて陛下に謁見、仕事だ。』

『夜があければグロント王国も目を開ける。おやすみ、タ・パッシャ(美しい人)。』


重厚な木で出来たベッドに横になると、途端に思考の渦に飲み込まれた。よくある夜だ。そして思考に対しての答えは出ないまま、私が納得する形で今日もまた朝を迎えてしまった。

小さい人はまだ眠っている。眠る、という概念があるとするならばだが。

はらりと落とした服を拾いもせずそれなりに広い部屋を突っ切り奥にある扉を開く。それは見事な浴室が現れ、おっと、ここから先は国家最高機密だ。


『国王陛下に謁見賜わりたく、エスーニャ・トルナムめが参りました。』

『かしこまりました。お待ちください。』

バトラーのMr.イノウエが下がる。彼はバトラーながら王家に50年近く仕え、広く政治や外国、教育といった様々な分野で陛下の右腕として働いている。諸貴族曰く、

『彼に睨まれたが最後、王家に目通りは叶わずそのお家は没落する』

とまで言わしめる男である。素性は一切明かされておらず、ただ東の遠い国から来たとだけ聞いたことがある。

再び扉は開き、イノウエが言う。

『国王陛下へのお目通りの許可が出ました。お入りください。』

『ありがたく存じます。』

豪華絢爛、という言葉が似合う大広間謁見室。国王陛下は1日の大半をここで政務を行って過ごす。脇の部屋にはベットや浴室まで付いている。大きな、それは大きな赤い椅子に似つかわしくない少年が1人、座っていた。

この人こそこのグロント王国の国王、アーリーフ国王陛下である。

『国王陛下、おはようございます。本日もご気分麗しく……』

『からかうのはよせ。』

私は軽く笑う。

『おはようございます、陛下。』

『ああ。』

『して今日のご要件は?』

国王陛下の年齢、見た目、全てが国家機密である。公の場に出る国王は影武者だが、とても本物には似つかない大男が務めている。

国民にしてみてもまさかこんな幼い、女性らしさすら感じさせる華奢な少年が国王であるとは思わないだろう。長い睫毛に通った鼻筋、雪のように白い肌。だが彼の瞳を見ればただならぬ人であるとは明らかである。透き通ったエメラルドグリーンの大きな瞳には意志と闘士と思惑が満ち満ちていて、はっとするほどの美しさと体躯に見合わぬ強さをひしひしと伝える。

『仕事だ。』

人を使役するのに慣れた、声がいう。

『かしこまりました。』

私は椅子に近づき彼から直々に1通の薄い山吹色の封筒に赤い王家の文様入の封がしてあるものを受け取る。

『お前に限ってそんなことはないと思うが……ああ、期待しているよ。』

『確かに。この身に変えましても遂行致します。』

『あぁ、つまらない。この世界は本当に退屈だよ。出来ることなら余も同行したい。』

『陛下はいまや国王なのです。』

苦笑いで嗜める。

『昔が懐かしい、余はそちらの方が性に合っていると思わないか?』

イノウエが身を屈めて近づく。

『陛下。』

『分かっている、少しくらい待て。』

『失礼いたしました。』

彼は全ての事情を知っている数少ない人間の1人であるが、敢えて陛下に優しくしない。彼のすべてはこの国であり、今ここに座るのが誰であろうとこの国を正しく導く仕事をするのが彼なのだ。

『イノウエ様は今日も正しゅうございますな。』

『おや、エスーニャ様に皮肉を言われるとは、老体が軋みまする。』

この男は本当に強い。思わず笑うと陛下の指が伸びた。

『おい、お前の相手はこの私だ。』

『お戯れを。この程度のことで嫉妬とは陛下もまだまだお子様でございますなぁ。』

『お前ではない。イノウエに申しておるのだ。』

こうして中々上手くやっている。陛下の元を辞して王宮内の自室にもどり、施錠をする。私の部屋は陛下より直々に与えられた特別な部屋で、私が居る時には鍵を掛けることが認められ、何人たりとも足を踏み入れることは許されない。王宮の外れ、悪魔が宿る暗い角部屋に用がある者があるとするならば、の話であるが。

『おはよう、我がミスラル(女主人)。』

小さい人が起き出して言う。

『やあ、小さい人。君に寝るという概念はあるのかな?』

『さぁなぁ、朝から小難しい概念の話は辞めようぜ。それより何だ?こんな朝早くに間夫からのラブレター?』

小さい人はたまに異国語を織り交ぜて話す。

『間夫、か。君たちにかかってしまえば国王すら間夫になるのだね。まぁラブレターというのはあながち間違いではない。これは私にしか送られない紙であるのだから。』

『ふん、俺はあのガキはいけ好かないね。』

『彼は君たちに取って忌むべき存在だろうからね。』

『けっ。で?ラブレターの中身は?』

『うん、薄々予想をしていたのだがね、奇妙な死が続いているというんだ。』

『あー、あれは臭いぜ。しかも悪臭だ。鼻がひん曲がる匂いがする。卑怯な、仕向けられた死の匂いだ。俺はその死が嫌いだぜ。』

『三番目の事件の目撃者はね、踊っているのかと思ったと言ったそうだよ。年端も行かぬ娘が折れたヒールの靴で無我夢中に踊っていたというんだ。時計台の最上階の細い踊り場でね。そしてステップを踏んだまま踊り場を踏み外して死んだという。まるで夢遊病のような死だ。気味が悪いねえ。陛下も何か感じていたようだ。私は誰が死のうが構わないがね。だが陛下の、彼の其の眼が曇ってはいけないよ。彼の憂いを晴らし輝いた目でこの国をどうにか動かしてもらわにゃいけないねぇ。』

『あぁ、タ・パッシャ、その足の赴くままに。』



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