第5話「木霊と黒」

 言葉といっしょからみつく、黒い指。

 はだれているはずなのに、まるでかげつかもうとするくらいに手応えがない。

 けれど息苦しさがのどまらせて、声がく出てこなかった。

 

おれちがってないだろ?】

 

 少年とそっくりのりんかくで、だまが笑う。真っ黒な体に、白い口元がえがいていた。

 

「……」

 

 ゆっくりと、かわいた布地に水がむように。

 ひびいたこわが体の内部をしんしょくして、いやな気持ちをにじませる。

 指先が冷えていく。気温が低いのではなく、内側から体温をうばわれていた。

 

 そして少年は――。

 

「よくわかったね」

 

 いびつほほみをかべた。

 それはかたの上に乗っていたレオが、背筋が冷えていくような表情だった。

 

「ああ、でも困るな」

 

 がおのまま、少年が木霊の手首を掴もうとする。

 指先は空をかいたが、それでも少年のひとみは木霊をとらえ続けている。

 何度も、指を動かす。万に一つでもにぎることができたら、そこからへし折ろうとしているように。

 

「それはかくさなきゃだから」

【……】

「だって、そんなの、どうせ」

 

 言葉の勢いが弱くなっていく。

 木霊の黒いうでに指先がすりけていくのを理解しながら、止めることができない。

 

「俺を苦しめる」

 

 この世全てをのろいたいと願ったことがある。

 全てが黒いねんえきに包まれてしずみ、気持ち悪い底でくさっていけばいいと。

 そう考えるみにくい自分を、消したいと思った。

 

「だから」

 

 少年のかたうでが、だらりと下がる。

 

「ここでぶっちゃけようかな」

【……ん?】

「俺の本音を引きずり出したこと、こうかいすると思うけどいいよね?」

【んんん?】

 

 笑顔の質が変わった。歪さは消えたが、黒いしきさいが加わった気配。

 ミカは改めて地面の上にすわり、深いいきいた。

 

「別にこの国をほろぼせるなら、それでもいいかなって思う時あるんだよね」

(ミカ!?)

「俺はどうしてもここで生まれたかったわけじゃないし、物心ついた時から好き勝手言われるし……最悪」

【え、あ、うん。知ってる……けど】

「兄弟はこわやつばっかりで、父上は片手で数えるほどしか会ったことないし、城内には俺がきらいな使用人が多くてさ」

 

 延々と続くうらごとおよに対して、とうとうレオだけでなく木霊も返事ができなくなってしまった。

 三十分近くしゃべっても、きる様子のない言葉の数々。

 ている子犬の毛並みをでてもやされない、ちくせきされてきた負の感情は伊達だてではなかった。

 

「――でもさ」

 

 一時間近くった後、わずかならぎがおとずれた。

 

「嫌いになりきれないんだよなぁ」

 

 真っ黒な雨雲から、ぽつりと落ちたすいてきのように。とうめいぐな内容。

 

【……うん、知ってる】

 

 黒いかげが返事をする。

 人間の本心を口に出して、本人へと返す存在。

 少し声は大きくて、響いてしまうかもしれないけれど。

 

 木霊にいつわりはない。

 

【本当に鹿だよね。全部嫌いで、にくんで、傷つけてしまえばいいのに】

 

 気負った様子もなく、ごく自然に出てくる気持ち。

 

【好きなんだもんね】

 

 胸中はにごった黒でうずいて、どろどろにけ固まったぼくじゅうのように洗い流せないのに。

 最後に辿たどく答えだけが、嫌になるくらい同じで、不思議なほどにれいだった。

 それも割れくだけて、見る影もないくらいよごれてしまえと思うのに。

 どうしてもこわせなくて、くやしい気持ちをかかえたまま引き寄せてしまう。

 

「……うん」

 

 幼いころに両目をつぶそうとして、ふるえた手が動かなかった理由も同じだった。

 痛いとか、怖いではなかった。悲しいくらいに、知っている。

 ほんの少し残った――綺麗なもの。

 

「ヤーたちが好き」

 

 たましいまでえてしまう瞳が、否定を許さない。

 この世にはまだ信じていいものがあるのだと、いやおうなく教えてくる。

 

「会いたいなぁ」

 

 ほんの数時間の別れであるのに、こんなにも心細い。

 灰色の森、うすぐらい空。不気味なほど静かな場所で、少年がこぼした本音。

 それをった木霊は笑う。白い三日月のような口元が、楽しそうに弧を描く。

 

ごくりゅうと似たようなことを言うね】

「ん?」

【遠い昔の話さ。あれは――】

 

 声がれた。

 黒い首が一直線に切られ、影絵のような体がうすまっていく。

 空も地面も灰色の森で、しっこくのドレスのすそがふわりとう。

 

あきれます。おひとしもほどほどにしないと、で潰れそうです」

 

 黒い鋼のけんは細身だが、その切れ味はするどかった。なにより刀身にまとうしょうく、視ているだけで胸が苦しくなる。

 顔にかかったしらを指先で整え、あいいろの瞳がミカを映す。

 真っ黒な毛皮のがいとうに身を包み、その下も同じ色合いのかっちゅうドレスを見事に着こなしている少女。

 

「コルニクス……」

「ごげんうるわしゅう、いとしき友よ。森の木霊相手にまだ本音を隠すとは、められたものではございませんよ」

 

 美しい少女の姿をしているが、かみいろふんれたろうに近い。にこりと微笑む姿は、退たいはいてきあやしさをともなっている。

 しかしミカの目に映るのは、外見だけではない。内側――魂まで視る。

 

「……そっちだって本音じゃないくせに」

「ワタシのことなどお構いなく。うそと建前が大好きなしょうわるでございますから」

「その口調も演技なのに?」

で学んだことづかいでございます。醜いじんさわしいかと」

 

 子犬の二世を抱え、じりじりときょを取ろうとする。すわんでいたのがあだになり、すぐの移動は無理だった。

 ほほみを変えないまま、コルニクスもしんちょうに近づいてくる。藍色の瞳に映るのは、金色とだいだいいろ

 

「この森はいかがです? 楽しんでおられますか?」

「……」

「ああ、安心してください。この森の歪さに魔人もものかんしておりません」

 

 りょううでを広げて、害意はないと示すように。コルニクスは周囲でふさがる灰色の木々を指差す。

 

「森があること自体がおかしいのですから」

 

 美しい魔人の視点がわずかに移動した。追いかけるように、金色の瞳も動く。

 灰におおわれてほそった木々に、固まった地面。時間を感じさせない空間は、時が止まっているようだ。

 異常なせいせいとんせいれいと瘴気の明確な区分けをたりにしたミカは、意識をらされた。

 

「ていっ」

 

 かろやかな声。デコピンだけで、ミカの肩に乗っていたレオを後方五メートルまではじばした。

 しゅうにも似たあまにおいは、こうすいよりもきょうれつに頭を揺らす。目の前がくらりとゆがみ、よろめいた体を細い腕がせる。

 やすやすとコルニクスのむなもとに引き寄せられ、甲冑の角が額にぶつかる。三角形にふくらんでおり、その中身は成長した肉体が詰まっているようだ。

 

(な、なにを……っ!?)

 

 転がりながらも地面に四つ足で立ったレオは、目の前でじゃに走り寄ってくる子犬の姿をもくげきする。

 口元の毛をよだれまみれにしており、緑色の瞳は遊び相手しか見つめていない。

 もふもふ毛玉がとっしんしてくるのは、レオにとっては大岩がせまってくるきょうに似ていた。

 

(ぎゃあああああああ!!)

「犬のたわむれが本当に苦手ですね。まあ昔――」

 

 けらけらと笑っていたコルニクスだが、言葉のちゅうで表情を消す。

 おびえるねこのように走り回るレオから目をそむけ、胸元にぐったりと寄りかかるミカを見下ろす。

 少年の顔色は青白く、呼吸は浅い。目はしょうてんが合っておらず、肌を流れるあせじんじょうではない。

 

「……はぁ。新人はいそがしいので、ここらへんで失礼します」

(み、ミカをどうする気だ!?)

「教える義理はありませんね。アナタはこれからゆっくりと消えるのですから、気にしてもですよ」

(はぁ!?)

 

 木の皮につめを立て、太い枝の上までげたレオがとんきょうな声を上げる。

 下では子犬が困ったようにぐるぐると回っているが、気にしていられるゆうはない。

 

「意識って、魂からどれだけはなれたら消えるんでしょうね?」

 

 弧を描くくちびるから放たれた言葉に、ぞうが冷えていくような恐怖をひそませる。

 前世の意識をおくと一緒に魂からはなし、つながりをった。うすかわ一枚だとしても、無限にびるとは限らない。

 精神で繋がっているのか。それとも別の要因か。目に見えない繋がりというのは、不安をあおるのに最高の材料だ。

 

「死ぬよりもむごいでしょうね。転生などかなわないのですから」

(……)

「愛しき友よ、今度こそ永遠の別れをアナタにおくりましょう」

 

 少年の体を両腕で抱え、じゅつで消えようと矢先。

 

おうじんを作るための下準備のくせに雑な方法だ】

 

 木霊のささやき。しかしレオやコルニクスにとって、無視できない存在感。

 かち、こち……と時計の音が静かな森にひびわたる。それは小さな子犬の内部から鳴り、黒い影絵が少年の姿を模している。

 

「アナタは……」

【星の目覚まし時計】

 

 簡潔なしょうかい。しかしレオは全身の毛が逆立つほど、コルニクスよりも少年の影絵にけいかいする。

 ゆらりと揺れる影絵は不安定で、今にも消えそうなほどはかない。けれどコルニクスも視線を逸らせず、その場から一歩も動けなくなる。

 子犬はまるで置物のように静止し、ぴくりとも反応しなくなっていた。

 

きんきゅうヘルプで呼び出されたと思ったら、こちらの目覚まし時計は赤子……しかも犬の体を借りてるとはね。しゅっ事故とはおそれいったよ】

 

 感情はあまりめられていないが、言葉だけで多少呆れているのは理解できた。

 

「……また消すのですか?」

【必要とあらば。まあ君が星のきょうになるとは思えないけどね】

 

 影絵がひときわ大きく揺れて、今にもさんしそうだった。少年の姿も、まともに保っていられない。

 それと同調するように子犬の耳がぴくぴくと動き、静止からそうとしているようだった。

 

【時間切れか。まあこの森にいる間は、何度か機会はあるだろう……】

(ま、待て! ミカを助けにきたのではないか!?)

 

 あせるレオの言葉に、少年の影絵は木の上を見上げるように動く。

 

ぼく達は星のねむりを守るもの。それだけだ】

 

 機械的な返事は、説明書の文言をそのまま読んだようなたんぱくさ。

 そしてレオの目の前で影絵はけむりのように空気に溶けてしまい、ごり一つ残さずに消えてしまう。

 起きた子犬は静かだったのが嘘のように、またもや木の上にいるレオを見つめてぐるぐると走り回る。

 

「ちっ。時間かせぎか。めんどうなことをしてくれやがったな」

 

 展開に頭が追いつかないレオだったが、少女が零した悪態には覚えがあった。

 わざとらしい言葉遣い。けれどそれは素の口調を隠すのではなく、まるで親鳥の鳴き方をする小鳥のようなつたなさ。

 

(その口の悪さ……お前、まさか!)

 

 レオの言葉を待たずに、少女が走り出す。それは自分よりがらとはいえ、十五さいの少年を抱えて出せる速度ではない。

 馬よりも少しおそいが、人間では追いつけないスピードで去っていく。地面が固いせいであしあとは残らず、こんせきがあっという間に消えていく。

 

(こ、こうなったら)

 

 かくを決めたレオは、震えながらも枝から飛び降りる。

 もふん、と子犬の毛並みにもれる形で着地。ようやくレオが遊んでくれるとかんちがいした子犬が、ぴょんぴょことまわる。

 

(ミカの匂いを追いかけろ! 飼い主のためにがいを見せる時だぞ!)

 

 犬用の言語を使って話しかけるレオだが、子犬は赤子のような返事をするだけで走る様子がない。

 上下に大きく揺れる視界に気持ち悪さを覚えながら、レオは何度も子犬にうったえる。

 どこまで離れたら消えるのかわからない。それよりも恐ろしいのは「魔人がミカをなにかに仕立て上げようとしている」ことだ。

 

 魔王。

 

 人間にうとまれた人形王子が辿り着く果てとして、ありえるかもしれない可能性。

 その単語にふくまれた意味まではわからないが、世界を憎みきれない少年にとってはざんこくな玉座に思えた。

 

たのむから言うことを聞けぇええええ!)

 

 焦るレオがこんがんさけぶが、残念ながら子犬は事態の深刻さを理解できない。

 そして視界から黒い少女の姿は消え、灰色の光景が無情に広がっていた。

 

 

 

 精霊と瘴気のはんが明確な森だが、それは常に変動している。

 おだやかな海面が浮かべる光のあみのように、安定するということはない。

 あと数分早ければ森の外までいっしゅんで移動できたのだが、今はすきうようにしか歩めない。

 

「この森は来るたびにこうりゃく方法が変わるから嫌いなんですよ……」

 

 ぶつくさと文句をつぶやきながら、枯れた草地の上にミカの体を転がす。

 灰色のベッドシーツのようなかんしょくが、さらりとしていて悪くないここだ。

 あおけのまま動けない少年の顔をのぞみ、コルニクスはようえんな笑みを浮かべる。

 

「野外が初体験というのもいいかもしれませんね」

 

 ねばつく笑い方で、いそいそとマントや甲冑をいでいくコルニクス。

 しげもなくみずみずしい白のはだや、相手をりょうする膨らんだ胸をさらけ出していく。

 意識を失う寸前のミカは、きぬれの音などを聞きながら思い出す。

 

 女性が服を脱ぎ出したら警戒しろ。

 

 それはハクタが気まずそうに教えてくれた内容で、細かい意味をミカは知らない。

 しかし王族として問題が起きないための防衛みたいなもの、というのはまれていた。

 震える指先でくさを掴み、ごろりとうつせになって体を丸める。そうすることで、なにかを防げると覚えていた。

 

「おや。瘴気で弱らせたはずなんですが、中々しぶといようで」

 

 うすのドレス一枚だけになったコルニクスは、細長いあしで少年の背中を軽くる。

 それだけでまたもや仰向けにもどったミカは、ぼやける視界に映った少女の美しさに目を細める。

 星空のような漆黒のドレスに、白骨に似た肌。体全体が細いのに、何故なぜか胸だけにぼうがついている。クリスよりも女性らしく、あでやかさが異常にきわっている。

 

「まあ安心してください。前も後ろも、アナタの初めてを全部奪うだけですから」

 

 唇を赤い舌でめる姿は、えたにくしょくじゅうよりもどんよくそうだった。

 体をまたがってきた少女は、手のひらで服しにミカの胸を撫でる。それだけでとりはだが立ち、背筋にかんが走る。

 かんまんとした動きで両腕を動かしてていこうするが、片手であっさりとふうじられてしまう。頭上でひとまとめにされ、少女とは思えない力でおさえつけられた。

 

こいする少女が浮かべる絶望が楽しみでございますね」

 

 言葉の意味をあくしかねるミカの顔面に、コルニクスが唇を近づけたしゅんかん

 銀色の筋。光が残像となるほどの、綺麗ないっせんが二人の顔面の隙間をとおけた。

 薄いが目の前を通り過ぎたと理解する前に、少女がねるように後方へと退がった。

 

 いまだ視界がぼやけるミカの目前に、黒いひとかげがもう一つ。

 背中を向けて立つのは男のようで、視線を敵にしたままかない。

 その姿にはかんがあった。幼い頃から何度も助けてくれた背中とそっくりで、黒という色にあんを覚える。

 

「……ハクタ?」

 

 北にいるはずがない。

 それでも一番安心できる名前を、少年は呼んでいた。

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ミカミカミ 文丸くじら @kujiramaru000

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