第4話「お供は獅子と子犬」

 なつかしい声が聞こえた気がした。

 やさしい語り口に、頭をでる温かい手。

 せっけんかおりがほおをくすぐって、少しずつまぶたが重くなっていく。

 

 ――そのりゅうは人間にこいをしました。

 

 何度も聞いた昔話。

 その最後はいつも決まっている。

 

 ――大きな山になった竜は、今もねむっているのです。

 

 けれど一回だけ付け足された一文がある。

 

 ――人間が好きだった星に届くようにと、いのりながら。

 

 絵本にっていない、ささやかな童話。

 他にも様々な話を聞かせてくれたが、その物語が一番好きだった。

 

(……カ)

 

 だれかが呼ぶ声が聞こえ、ゆっくりと瞼を上げていく。

 体全体にけんたいかんと軽い痛みが残っているが、動かすのに支障はない。

 

(ミカ! ようやく起きたか)

 

 心配そうに顔をのぞむレオと目が合い、意識がはっきりした。

 ひざの上に軽い重みがあり、見下ろしてみれば子犬のメザマシ二世がている。

 

「……ヤーたちは?」

(はぐれたようだ。その時のじょうきょうを覚えているか?)

おれ……確か、落ちた?」

(そうだ。あそこからな)

 

 の視線を追いかければ、三メートルほどのがんぺき

 灰がこびりついているせいか、つかむ場所も少なくてもろそうだった。

 木の幹に背中を預けている状態で、地面にすわっている姿勢に首をかしげる。

 

「移動してる? レオが運んでくれた、とか」

(残念ながらちがう)

 

 かたの上に乗ったレオは、くやしそうに鼻を鳴らす。

 手の平に収まってしまう大きさの獅子では、十五さいの少年を運ぶのは無理だ。

 それは子犬の二世も同様である。

 

「じゃあ誰が?」

ようせいだ)

 

 返ってきた答えは、予想外のものだった。

 灰の森ゲルダ。そのくるい方を一部とはいえ、たりにしている。

 今もけものの気配はなく、灰におおわれた地面や樹木からはあまり正気を感じられない。

 

 せいれいの動きも異様であり、しょうたいりゅうしているしょが多い。

 人間でさえ生活が困難な場所で、自然に住む妖精がいるとは考えづらかった。

 

(お前を見つけ、かげに置いてくれた……が)

「なにかあったの?」

(我を無視した!!)

 

 相当腹が立ったのか、れつという言葉にさわしいいかりを見せる。

 耳元で大声を出されたミカとしては、少し落ち着いてほしいと思った。

 

「そんなにおこること?」

(小さくなったとはいえ、この体はかつて太陽のせいじゅうとしてかつやくした姿! 知らぬ妖精の方が少ないはずだ!)

「そういえばアトミスやホアルゥも尊敬してるもんね」

(ミカの体で意識だけ表に出した時でさえ、わかってもらえたというのに……)

 

 元はげんある存在だったせいか、ぞんざいなあつかいをされたのかつらかったらしい。

 肩の上でむ獅子の頭を撫でながら、ミカは少しかんがむ。

 

 確かにアトミス達は姿を見せずとも、意識だけのレオをにんしきした。

 人間が「前世は聖獣だった」と、あやしさ満点の発言をしたのに受け入れた。

 妖精にはとくしゅな知覚でもあるのか、と深くついきゅうせずにかんさぐる。

 

「じゃあレオが太陽の聖獣だとわからない妖精ってどんなの?」

(む? 考えられるのは……この二十年以内に誕生した妖精とかだな)

 

 太陽の聖獣レオンハルト・サニーは、他二ひきの聖獣と共に二十年前に死亡した。

 ユルザック王国でも一大事とさわがれ、五年前はぎの問題で大干ばつが起きている。

 それらをまえた上で、ミカは問いかける。

 

「妖精って発生しやすいの?」

かんきょうにもよるが、ここは百年前だったら問題ないはずだ)

「でも今は……」

 

 子犬をうでの中にかかえ、よろけながらも立ち上がる。

 周囲を見回しても、生命の気配がとてもうすかった。

 たましいまでるミカのひとみでさえ、殺風景としか映らない。

 

ものとかじんの可能性は?」

(ないな。確かに精霊の体をしていた。ただ……)

「なにか変だったの?」

(道具に宿るタイプに視えた。しかし、うーむ)

 

 手近にあったとがった石を拾い上げ、灰の地面に矢印の模様をえがく。

 木の幹に傷をつけるのは気が引けたミカは、固い地面に苦戦した。

 歩き出した少年の肩上でなやみ始めたレオは、思考をまとめるために解説を試みる。

 

(道具に宿るタイプの妖精は男の体をしていることが多い)

「そうなの?」

(ああ。作り手が魂をめるだろう。そのえいきょうで、作り手と同性の体になるのが基本だ)

「妖精の外見上の性別はこんぱくに由来するとか、ヤーが言っていたけど……」

 

 名前を口にして、少しだけさびしい気持ちを味わう。今や足音は一つ。

 いつもならば探究心にあふれた少女が反応し、そんの研究と照らし合わせて回答を探っていく。

 難しい話にミカをふくめ、二人の従者が苦笑いで聞き役になることが多いが――今はいない。

 

「ヤー達、どこかな」

(まずは自分の心配をした方がいい。転化術も使えず、武術の腕もない。サバイバル経験は?)

「……未経験です」

 

 思わず敬語で返事してしまい、ミカはじゃっかんなみだになった。

 

(まあわれが助言するから、それで乗り切ろう)

「レオはこういうの慣れてるの?」

(……未経験です)

 

 そっくりそのままの答えに、苦笑いすら消えた。

 王城育ちの第五王子と元太陽の聖獣コンビは、従者三人組よりもたよりなかった。

 そこに子犬一ぴき。旅のお供として、心細くなる一方である。

 

「食料とかもオウガやクリスに預けてたし、方位磁石もヤーが持ってたから……」

(木をけずるナイフや武具を所持してるわけでもないしな)

「水場を探した方が……ん?」

 

 問題に直面し、初めて違和感に気づく。

 のどかわいていない。空腹も感じず、ねむなどもさいだ。

 空を見上げれば重い暗雲が覆っており、時間のあくも難しかった。

 

「俺、どれくらい気絶してた?」

(一時間くらいだったと思うが)

「体の感覚が変だ。まるで時間が経過してないみたい」

(なんだと?)

みんきゅうの活動ができそうで、それが少しこわいや」

 

 食料や水の確保という不安は薄れたが、未知の体験にきょうを覚える。

 人間から外れていくような、世界から遠ざかるような。

 生死の判定に必要な感覚が、少しずつ消えている。

 

なぞの妖精さんも気になるけど、今はこの森から早く出たいかも」

(日暮れ前には一度もどる予定だったしな)

「そうなんだよね。ディートフリートさんが心配しちゃうかも……」

 

 木々のすきに黒いかげが見えた。足を止め、首を動かす。

 まるで円形のたいのように開けた場所。木々が見下ろすのはいんうつな男だ。

 風景が一部だけ館のげんかんぐちわっている。ディートフリート・タナトスの前には、膝をついて頭を下げるろうが泣いていた。

 

「領主様。どうかごを」

 

 腕の中にはわめあかぼう。小さな指がなにかを求めている。

 かのじょを先頭に大勢が列を作っており、誰もがしょうすいした顔で救いをうていた。

 メイドやしつわり、物資や言葉をわたしていく。それでも列がえることはない。

 

「領主様、助けてください」

ふんから一週間……なんする者達が絶えません」

「王都からきゅうえん物資が届くまで、家族が保つかどうか」

 

 何度もひびく「領主様」という名前に、ディートフリートは力強くうなずいていた。

 木々の隙間から見えるはんでは物足りず、ミカは開けた場所へと草むらをわけて近づく。

 ゆらゆらとれる人物達に、のうこうな火の精霊。それはまるで精霊のおくとうえいされているようだった。

 

「火の精霊しんこうは北のとくちょうだけど……まさか」

(どうだろうな。精霊が意思を持っているとは考えにくい)

 

 開けた場所へ足をれ、真正面からディートフリートの顔を覗き込む。

 館で見た時よりも若いが、苦労の色は何十倍にもい。それでも相談に来た領民達の言葉に耳をかたむけ、しんぼうづよく返事していた。

 時にはとうされ、意味もないかれた。それでもディートフリートはしんな態度をくずさず、最後には同じ言葉を渡す。

 

「人の強さを信じてくれ」

 

 雪に囲まれた北の領地では、ひときわ強い意味を持っていた。

 ゆらり、と領民の列が消えた。しつしつに力なく座るディートフリートだけが残され、眠れない夜をすように酒をあおっていた。

 はくいろの液体を喉にながみ、グラスをあらあらしい動作で机に置く。

 

「……気が狂いそうだ」

 

 重い息といっしょに吐かれた言葉。頬がこけ、今にも死神にへんぼうしそうな表情。

 ちょう簿ながめ、食料庫の一つにバツ印を記す。残された食料庫は十から三つにまで減っていた。

 それをかれの背中しにのぞたミカは、痛ましさで胸がめつけられた。

 

「十年前の噴火は雪が降り始めた初冬だって聞いてたけど……」

(これでは冬をせないな。秋のしゅうかく直後だったのが幸いだったんじゃないか?)

「北への道は雪でまるから、移動だって一苦労なはずだよ。王都からの物資が届かなければ、きんりんの領地に助けを求めないと」

(その返事がこの手紙か)

 

 しつづくえはしに置かれた、高級羊皮紙の紙。各領主の印がされており、相手がガロリア、ヘイゼル、セルゾンといった北の貴族達だ。

 そこにはどこもなんみんを受け入れ、ゆうがないとうったえていた。えんしたいがかなわないと、事務的につづられている。

 

「えっと、この時は確かディートフリートさんは三十七歳くらいだったかな?」

(若造に天災がおそいかかったというわけだ)

「セルゾン家も領主交代前だから、この時は北の四大貴族の中でも一番若かったはず」

(苦労するのを全部押しつけられたな。いんな姿はそのせいか)

 

 若い時の苦労がにじた結果、陰鬱な外見をかくとくした領主に敬礼したくなった。

 しかしディートフリートが急にかえり、ミカ達に気づいたように顔を明るくしてりょううでを広げた。

 

「え!?」

(これは記憶の光景では!?)

 

 同時におどろいたミカ達を無視して、足を進めたディートフリートがすりけた。

 体を撫でた熱気はろうそくの明かりに似ていて、火の精霊を強く感じ取る。

 

「君か! 待っていたぞ! おや……具合が悪いのか?」

 

 くうを見つめて問いかけるディートフリートの背中を眺め、ミカは疑問をく。

 

「ディートフリートさんは独身だけど、昔にいい人でもいたのかな?」

何故なぜか相手の姿がないな。しかしうれしそうだ)

 

 少しだけまわみ、ディートフリートの表情をうかがう。

 頬を染め、先ほどまでの苦労がんでいる。むしろ若返って、青春を喜ぶ青年のようにじゃだ。

 心配そうにまゆが八の字を描くが、がおは消えない。

 

「噴火のがいまぬがれたようで、安心した……ああ、私の仕事は気にしないでくれ。生きているだけ上々だ」

 

 しつ机の資料を片付けながら、少しだけうれいを含んだ笑顔を見せる。

 

「あ、それは苦情で……いや、君にはかくせないな」

「苦情?」

 

 執務机の引き出しが勝手に開き、ぐしゃぐしゃにまれた紙があふた。

 ゆかに散らばった紙には「げんきょうは全て北のせいだ」や「ディートフリートが領主だから」など、ぼう中傷がなぐられている。

 その言葉達に覚えがあるミカは、息をまらせた。

 

「山の近くに住んでいた者が石を投げられたと報告も受けてな。避難すらきょされたとなげく声も少なくない」

おろかな話だな)

「それに王都で不可解な病がり始めたようだ。物資がおくれている理由として、書かれていたよ……」

 

 執務用の椅子にこしをかけ、体を深くしずみこませる。

 その動作すらおっくうそうなディートフリートだが、弱々しいみをかべた。

 

「だがいずれわかってくれるさ。人間は強い生き物だ」

 

 彼の姿が風景ごとぼやけていき、またもや館の玄関口へと切り替わる。

 少し元気になった赤ん坊を抱えた老婆が、他の領民達と一緒に笑顔でいた。

 けれど――ディートフリートだけが絶望を目の当たりにした。

 

「今、なんと……」

「領主様はなにも悪くありません! 全ては第五王子のせいなのですから!」

 

 目を細めた老婆が、とうすいしたように吐いた言葉。

 それはミカにとってしょうげきてきで、思考が止まってしまう。

 無邪気な赤ん坊を優しくあやす老婆の背後で、農民の男が力強く告げる。

 

「そうだ! 西の大国の血が悪い! 絶対に第五王子が噴火を起こしたんだ!」

「……なにを言っているんだ?」

「だって領主様は俺達を助けてくれた! だから国王様にとついだ妹様はご無事じゃないですか!」

「でも第五王子の母親は違います。きっとむすに殺されたのよ」

 

 農民のおくがたが、旦那の言動にこんきょを持たせようとした。

 彼女の足元には幼い少女が立っていて、母親にあまえようと足にすがりついている。

 ディートフリートが口を開きかけた矢先、他の領民達が次々と発言していく。

 

「俺も第五王子が元凶だと思うぜ。なにせやつが五歳になったからな」

「きっと五年後も怖いことが起きる。それを国王に進言しましょう!」

ぼくとなりむらに知らせたら、みなも同意してくれた。だからこれが真実なんですよ」

「ひでぇ奴だよ。子供の姿をした邪な存在だ。誰か退治してくれないか」

「私の子供も第五王子のせいで死んだのよ。王族でなければ……」

 

 ディートフリートは口を半分開いたまま、くしていた。

 老婆が両手で手をにぎり、優しく「領主様はだいなお方です」と感謝する。

 彼は無害な老婆をじゃあくなものととらえるように、いまいましそうに見下ろしていた。

 

「……」

(待て。まさか)

 

 気づいたことを口に出そうとして、レオは急いで見上げる。

 ミカの表情は、目前のディートフリートと同じように絶望していた。

 

「ここ、だったんだ……」

 

 幼いころから苦しめられてきたうわさ

 時には全てをのろいたくなる感情に襲われる始まり。

 それは誰かを守るためにされた――善意だった。

 

「俺の噂はここからだったんだ……」

 

 よろよろと足がもつれ、木の幹にぶつかると同時にすわんでしまう。

 人望によって守られたのがディートフリートだった。そのだいしょうが幼い王子へ悪意が向かう形へと変貌した。

 

 風景がもう一度執務室へと変わった。

 頭を抱えたディートフリートは、机にひじいてのうする。

 

「すまない」

 

 しぼされた言葉は、謝罪だった。

 

「人間は弱かった……」

 

 その事実を認めた彼は、にぎこぶしを机にたたきつけた。

 手の平から一てきの血があふれ、じょうの手紙に付着する。

 領主への感謝が書かれた紙は、少しだけ赤く染まった。

 

「それ以上に私は無力だ。否定もできず、傷つくのをおそれた」

(ああ、お前は悪くないだろう)

「全ての罪を幼い王子に背負わせた。私は……」

 

 そのままくずれたディートフリートの背中に、届かないと知りながら声をかける。

 

(ただ苦しめ。善良な人間であるならば)

 

 元太陽の聖獣は、ちんつうな表情を浮かべて言い放った。

 ゆらり、とディートフリートの姿が風景と共に揺れていく。

 け落ちていく光景の中で、彼はなみだを流しながら求める。

 

「君に会いたい」

 

 そして重いせいじゃくが広がった。

 葉がこすれる音も聞こえず、暗雲からかみなりが落ちてくる様子もない。

 獣や虫の声も届かない森の中で、ミカはぼうぜんと座ったままだ。

 

(ミカ、だいじょうか?)

「……うん、平気。慣れっこだもん」

 

 子犬の毛並みにあごを埋めながら、少年は笑った。

 それは泣く寸前の表情に似ていて、獅子がなぐさめようとする。

 

【強がるなよ。本当はあいつら全員を呪ってやりたいくせに】

 

 ミカの声だった。けれど少年が発した言葉ではない。

 森の中に入って初めて、風がく。ざわざわと木々が騒ぎ、あざわらっているようだ。

 

【俺を苦しめて楽しかったですか、と言ってやれよ。ディートフリートさんが床に額擦りつけて、泣いてあやまってくれるかもよ】

(な、お前は……)

「……俺?」

 

 黒い影が笑っている。自らの足元からびて、目の前に立っていた。

 口元だけが白く切り取られて、を描いているのがわかる。

 まるで紙で作ったかげが、勝手に動き回っているようだった。

 

【そう。俺はお前。ミカルダ・レオナス・ユルザック】

 

 おどけるように両腕を広げた影を、ミカはじっくりと視つめる。

 

「土と水の精霊で姿を取って、風の精霊が声を作ってるよね」

【いきなり見破るって反則じゃないか?】

(というか、木霊エコーだろ……お前)

【レオもいるし、だから出たくなかったけど……これが役目だしなぁ】

 

 いきを吐く仕草さえミカにそっくりで、まるで鏡写しだった。

 あっさりと正体を看過されてしまった木霊は、めんどうそうに続ける。

 

【でも俺の言葉にうそいつわりはない。それはお前達が一番理解してるだろ】

「ちなみに木霊って山のはんきょうおんじゃないの?」

(精霊の木霊は少し違う。妖精とは異なり、魂がない。だが心を映す水鏡として、迷える人間の前に現れる)

「日常生活で見たことないけど」

がいとうする精霊が高密度に集まって、ようやく発生する。だから森や山にしか基本は出ない)

【解説される俺の身にもなってくれないか?】

 

 笑っていたはずの口元が、すっかりへの字を描いていた。

 

(だが奴が言った通り、本心を語る存在だ。隠しごと全てをふいちょうし、穴のおくさけんだ言葉さえ引きずり出す)

「噂好きなんだね」

【まとめが雑すぎるだろ、俺。まあいいや。その軽口もここまでだろうし】

 

 影が身を乗り出してくる。

 質量や圧が、絵とは違った。立体的で、いきづかいまで聞こえそうなほどの生々しさ。

 

【本当はこうやって殺してやりたいくせに】

 

 真っ黒な指が首にれる。

 首をめる仕草に、金色の瞳が見開かれた。

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