第3話「灰の森ゲルダ」

 雪道にあしあとをつけて進んだ先で、灰色の森が待っていた。

 緑色の一つも見つからず、樹木の全てに灰がこびりついていた。

 ミカがためしに手近な木の幹にれると、ぼろっと灰のかたまりくずちた。

 

「これは……」

 

 灰の下でねむっていた木は、老人のように白くれていた。

 だがミカのひとみには別のものがえていた。めいめつする光が内部でうずいている。

 

「この森、ひどいわね」

 

 厳しいまなしでヤーがつぶやき、口元を手でさえた。

 森の異常さはオウガやクリスも感じ取っているのか、もくしておくにらむ。

 灰色なのに、森全体がうすぐらい。粉雪を降らす雲の方が明るいくらいだ。

 

「でもなんか変だよ。まばらっていうか……まだら」

「それ、どうちがうんだよ」

「牛の模様みたいに、はっきり区別されてるみたいな?」

 

 説明している本人さえ自信がない様子だが、かたに乗っているレオが深くうなずく。

 

(まるでしょうせいれいなわり争いだ。下手に迷えば命すらあやういだろう)

(うーん、ホアルゥたちがいればある程度案内はできましゅけど)

(真っ先にえいきょうを受けるのもぼく達だ。鉱山のカナリアになった気分だよ)

 

 ようせい達が気難しい表情をかべ、ややおよごしだ。

 

「影響を受ける目安とかはないのですか?」

ぶつが混じったどろの中にどれくらい頭までかれますか、という問題だよ)

 

 疑問を投げたクリスの顔が真っ青になる。

 馬の世話で慣れているとはいえ、アトミスの例え話はわかりやすくもおぞましかった。

 

(おおげさでしゅねぇ。ぱらいのゲロのにおいに包まれている程度でしゅよ)

「アタシはそれでもいやなんだけど! 最悪じゃない!」

(呼吸するだけで気分が悪くなり、つられてく……なつかしいでしゅね)

「船の妖精だったころになにがあったのよ……」

 

 しみじみとかんがいぶかく思い出しているホアルゥに、ヤーはろんな目になった。

 ある意味箱入りむすだったアトミスは、みのない事例に首をかしげる。

 

(我はミカと行動する。念のためヤーとクリスにアトミス達が供をするべきだ)

「オウガは?」

(気配の読みがするどいからな。ある程度は自力でかいできるだろう)

 

 オウガの鋭い視線の先を視つめれば、確かに瘴気がい場所を的確にとらえていた。

 

「アタシは視える側なんだけど」

(ヤーはむしろ瘴気でくるいそうになった妖精の処置があるからな)

「もしかしてカロンの術で中和しろってこと?」

(その通りだ。体が小さいホアルゥが最も瘴気の影響を受ける。たのんだぞ)

 

 ミカがこしのベルトから花あかりの灯篭ランタンを外し、ヤーへと差し出す。

 両手で受け取ったヤーは、少しだけ不安そうにまゆじりを下げた。

 

「あれ、まだくわしく原理がわかってないんだけど」

(僕が尊敬するウラノスのたみの技術だ。心配ない!)

 

 力強く、それでいてうれしそうに言うアトミス。かれの本体である氷すいしょうの指輪は、クリスに預けられた。

 右手の薬指に指輪を装着し、クリスは喜びながらも気をめた。

 

「アトミス殿どのとはゆっくりお話がしたかったので、光栄です!」

(……はぁ)

「ああ、このことをシェーネフラウに話したかったのですが……」

 

 乗り気ではないアトミスの様子に気づかず、少しだけ残念そうに息を吐く。

 真っ白ないきよりも美しいひんシェーネフラウ。今回は城でお留守番であった。

 森の調査となると、馬での移動は難しい。乗馬の雪用装備も整わなかったのも原因だ。

 

「まあ思ったよりも寒いから、お留守番させてよかったかもよ」

「王子がそうおっしゃるのならば」

 

 む少女をなぐさめながら、ミカは赤いマフラーの位置を直す。

 南の領地でも着用していたもので、布地のはしには特務大使のもんしょうしゅうされている。

 マフラーは各人で色が異なり。オウガはあいいろ。クリスはももいろでヤーは水色だ。

 

「あの腹黒に主張が強すぎるとうったえてよかったよ」

「私は少し残念です。紋章はとても価値があるのですよ」

 

 ほこるオウガがみを浮かべる。彼の長槍太刀パルチザン部分に巻かれた布は、黒い無地である。

 落ち込むクリスの儀礼槍クーゼも同様に、白い無地の布でさきかくしていた。

 

「まあ迷子の目印に丁度いいわね」

「あははは……」

 

 目前の森は広大だ。右から左に視線を動かしても、木々が連なって続くのだ。

 見上げればわずかに山が見えるが、遠くにあるせいで山頂がほんの少しとがっている程度。

 入る前から用心を重ねていくが、不安の種はきることがない。

 

「ここで西の大国の軍人にじゅう職人、森のせいじゅうが集まっているのかぁ……」

「そういえばそろそろツッコミを入れようと思うんだけどよ」

 

 問題の多さにミカが遠い目をしている最中、オウガはわきかかえていたものを持ち上げる。

 

「なんで二世を連れてきた」

 

 楽しそうに足を動かす毛玉、もとい子犬は丸い瞳で森を見ている。

 あえてだれもが口に出さなかった同行者を、オウガはようやく提示した。

 

「森に入るなら、こいつも留守番じゃないのかよ?」

「えーと、信じてもらえるかわからないんだけど……」

 

 気まずそうに視線をさまわせ、しどろもどろに告げる。

 

「二世が連れて行けって……言ったんだ」

「……レオか?」

 

 きゅうしゃでシェーネフラウの通訳をしたに、オウガとクリスの視線が集まる。

 

「でも待ってください。確か二世殿の言葉はあかぼうのようだと……」

(昨日の夜、一言だけはっきりとしゃべってな……それ以降はいつも通り、意味不明だ)

「え? レオって動物の通訳もできるの!? あとで詳しく教えなさい」

 

 こうしんげきされたヤーが身を乗り出した矢先、森の中からほうこうひびいた。

 それはしょうげきのように空気をふるわせ、木の枝達を大きくらす。

 っていた粉雪さえもどうを変えるほど、その声はりょくともなっていた。

 

 同時にれつおんとどろき、耳のまくを震わした。

 しかし飛び立つ鳥の姿や走るけものの姿は見当たらない。

 不気味なせいじゃくさをもどした森は、雪風によるれの音すららさない。

 

「今のって兄上が説明してたやつかな?」

「は、破裂音は思ったよりも軽いわね」

 

 強がる少女の口元は引きつっていた。

 オウガのうでの中では子犬が暴れており、その身をよじらせてすりける。

 雪の上に着地し、一目散に森へとした子犬。

 

「二世!?」

「追いかけましょう!」

 

 地面の上にた太い根など構わず、子犬はもふもふした毛を揺らして走っていく。

 その姿を見失わないように追いかけ、手をばしてかくを試みる。

 半ばタックルする形で、ミカが子犬の体を抱える。暴れていたのもつかで、つかれたのかぐったりと体を預ける。

 

「よかった、なんとかつかまえ……」

(ミカ! ここからはなれろ!)

 

 肩に乗っているレオの大声に打たれ、顔を上げる。

 真っ赤な大樹が目前でかがやいていた。冬には似合わない熱気がほおでる。

 赤々と燃えるというが、その樹はほのおの紅葉が色づいていた。地面に落ちても、きないえんの葉。

 

 息苦しい。それが瘴気だと気づいた頃、衣服をつかまれて引きずられる感覚。

 けばオウガが腕を伸ばしており、数歩下がった場所でヤーとクリスがぼうぜんと見上げている。

 

「なによ、これ……」

「燃えているのに、あざやかに落葉し続けていますよね?」

 

 その光景に背を向けて、オウガは走り出した。二人の少女も彼らについていく。

 ミカは俵のようにかつがれながらも、金色の瞳で燃える紅葉樹をながめる。

 のうこうな瘴気が渦巻いている。しかし拡散せず、木を中心によどんでいた。

 

「オウガ殿、どちらへ走っているのですか?」

「森からす! ヤー、道案内できるか!?」

「そ、それが……無理、かも」

 

 いつもは自信にあふれている少女にしては、気弱な返事だった。

 オウガとクリスが足を止めた。花灯りのとうろうで手元を照らしているヤーは、しぶい顔で答える。

 

「方位磁石が役に立たないし、なんか変なの」

 

 落ち着かない様子で周囲に視線をめぐらし、クリスの腕にきつくヤー。

 降ろしてもらったミカも、ぐるりと見回す。腕の中にいる子犬はぐったりしたままだ。

 

「……精霊の流れにかんがあるね」

「それよ! こんな動きは視たことないわ!」

 

 ぐにゃりとたわんだかと思えば、時計回りに渦巻いている。

 精霊の動きは水やかみぶきに似ている。もっとふわりと浮き、川のように流れるものだ。

 視ているだけでいそうな動きをするのは、ミカも初めての体験だった。

 

「なんか意図的に力をかけられて、ねじ曲げられてる。けどそれがつうみたいな」

「不自然なのよ。人工的なのに、たんしてないの!」

「……わかります?」

「さっぱりだよ」

 

 ミカとヤーには通じているが、オウガとクリスはあいまいに頷くしかない。

 

(僕は覚えがあるけど)

「あ、氷水晶のしん殿でん!」

 

 ウラノスの民によって作られた建造物を思い出し、ミカは半分だけなっとくした。

 神殿の機能がそこなわれていた時、周囲の森も変化していた。似通ってはいる。

 しかし氷水晶の神殿周囲の森は、少しずつすい退たいしていた。

 

 今ミカ達がいる灰の森ゲルダには、そういった兆候が見当たらない。

 競争によって高め合うかのように、いびつな形ではんえいをしている。

 

われが昔ここに来た時、ちょっと変な森程度だったが……)

(それ何年前の話でしゅ?)

(少なくとも百年前だな。この土地はあまり太陽が顔を出さないからな。付き合いがうすかった)

 

 百年前とは違う姿。考えられるのは十年前のふん

 灰色の森、その上空を見上げる。暗雲が広がっているが、先ほどまで降っていた雪は消えていた。

 まるで森をするように、雪の気配がかいだった。

 

 地面も灰色だった。足を浮かせてみるが、くつあとすらつかない。

 灰がたいせきしたのだろうが、どうにもかたい。つまさきで地面をろうとするが、返ってきたのは強い痛みだった。

 木の幹は入る前に確かめたのと同じく、灰がくずれれば枯れた姿をわずかに現す。

 

けものみち、でしょうか? 歩くには困らないとは思います」

 

 獣の気配はないが、何度も通った跡が木々の折れ方でわかった。

 しかしみょうよこはばが大きい。不自然に草も生えず、小石が動線を作っている。

 人の手が加わっているように見えないが、自然発生したとは考えづらい道が存在していた。

 

「でもこの道、変だわ」

「またかよ」

 

 異変だらけの森にいやが差したオウガがうなだれる。

 それも無視してヤーは注意深く視つめる。明滅する光と共に、まばゆい光がただよっていた。

 瘴気と精霊がこんだくし、たがいにけている。詳しく確かめようと、ゴーグルを装着する。

 

「黒いのは瘴気で、他に緑と青、それに黄色……ん?」

「森の精霊で三属性が補えるんだ。けど火だけが足りないのかも」

(ケルウスは三色の角がれいだったな。瞳はりょぶかい黒で、体はせいれんな白だった)

「……レオ、百年前の森に瘴気は?」

(あるはずがなかろう!)

 

 ヤーの問いかけに答えたレオは、そくに頭を抱えた。

 そして妖精もふくめ、オウガ達も森の異常について理解する。

 

「この灰が十年前のものなら、火の精霊を多く含んでるわね……」

「火を中和できる三属性だけど、そのために精霊を大量にめばせいぎょが難しくなる」

「……狂ったんだわ。そうなると」

 

 ゴーグルを装着したままのヤーが顔を上げた時、争う声が聞こえた。

 それはミカ達も同様で、いっせいに同じ場所へと視線が向けられる。

 人間も、妖精も、元気を取り戻した子犬さえも。

 

 森の中で少し開けた場所。

 近寄っていけば、そのりんかくははっきりした。

 きんぱつの少年が地面の上にすわっている。赤いマフラーには見覚えがあった。

 彼が見上げているのはくろかみの青年だ。長槍太刀をげ、正気を失った瞳で見下ろしている。

 

おれ?』

 

 二人の声が重なった。

 オウガがミカをおそっている、そのしゅんかん

 本人達がそれをもくげきした。ゆらり、と光景が揺れる。

 

 まるでけむりのように消えてしまった。

 クリスやアトミス達が呆然とする中、ヤーがゴーグルをカチューシャのように頭へともどす。

 

「火の精霊がじょうに集まってたわね。しんろうの仕組みかしら?」

(で、でもモルガナのお化けファータ・モルガナだって、遠くの光景を映すだけでしゅよ!? 今はミカちゃま達が、自分達を見たでしゅ!)

「それにオウガ殿が王子を襲うなど、信じられません!」

 

 クリスの言葉に反応して、わずかにオウガの気配が変化した。

 それを察知したミカがたましいを視ようとしたが、背後から破裂音が広がった。

 あわててかえれば、黒いきょたいごうおんを上げてせまっている。牛のとっしんの方が生易しいほどのあつ

 

(ケルウス!?)

「あれが!?」

 

 三色の鮮やかな角は聞いた通りで、緑と青、そして黄色の輝きを放っていた。

 しかし体はほぼ黒く染められており、瞳は真っ赤に染まっている。

 立派なおじ鹿だが、そのたいは馬車よりも大きい。足だけで人間の体をトマトのようにつぶせるだろう。

 

「散れ!」

 

 オウガに背中をばされ、その反動で草むらにむ。

 ヤーやクリスの声は、ひづめが固い地面をる音で消される。安全な場所まで走ろうとした。

 

「え?」

 

 右足が空を蹴る。体が前のめりにかたむき、下をにんしきした矢先に左足も地面から離れた。

 三メートルほどのがんぺきから落下。ちゅうかべに生えていた木の枝に足が引っかかるが、体勢が変わっただけだった。

 背中から地面にぶつかり、強い痛みが全身を襲う。胸の中にあった空気もし、眼前が明滅する。

 

(ミカ!?)

 

 レオの声さえも遠くに感じられ、腕の感覚も消えていく。

 あおけになったミカの視界に、心配そうにのぞむ子犬の顔が映る。

 無傷な子犬にあんして、意識がれる。どれだけ獅子が呼びかけても起き上がらない。

 

 仲間とはぐれた事実すらも認識できず、ミカは無防備な姿をさらすのであった。

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