夕陽が明日を飲み干す前に

鷹宮 センジ

夕陽が明日を飲み干す前に

例えば、の話だけどさ。

もしも今日、太陽が沈んだ後に登らなくなったらどうする?


…あ、そんな理系っぽい否定は要らないから。ずっと朝が訪れない世界になったら。そういう話ね。

まず地球上ではずーっと灯りが点っていて、午前と午後の区別がつかなくなって、元日に山登りする人がいなくなる。ざっと思いつくのはこんな感じかな。他にも色々あると思うけど。


君はどう思う?……「蛍光灯の回りを延々飛び続ける蛾が哀れ」?成程。確かに蛾が可愛そうだ。僕だって一生数学の追試を受ける羽目に陥るのはゴメンだし、似たようなものでしょ?

でもさ…僕はもっと、単純な事に気づいたんだ。



永遠の夜っているのは、つまり朝日がやって来ないってことさ。


朝の風は吹かず、住宅街の雀は鳴かず、朝食用のトーストが焼ける匂いは漂ってこない。


それってこの世の楽しみを大幅に削ってる事になるよね。僕にとっては楽しめる事全てが希望に繋がっているのさ。一日の始まりは僕にとっての希望を詰め合わせパックにしたようなものなんだよ。


だからね、僕はメロスとか尊敬に値すると思う。太宰治の「走れメロス」は知ってる?。あの中でメロスが沈みゆく夕陽より早く走ろうとするシーン。あれとか良いよね。


勿論現実には無理なんだけど、僕からしたらメロスはヒーローそのものだよ。友達が生きているという希望が、太陽と一緒に沈んでいく。それでもメロスは希望を捨てたくない。夕陽が希望を、明日を飲み干す前に失いたくない大切なものを守りたい。だからこそ夕陽が沈むより早く走れた――途中で挫折しかけた所もあったけどね。


それでも立ち上がる不屈のメロス!メロスを信じて待つ誠実な友セリヌンティウス!まさしく理想の関係性だよね。


でも現実に理想は同居出来ない。物語でどれだけ素晴らしい世界を語っても、それは所詮窓に過ぎない。現実にいる僕達は登場人物達を羨みながら自分の事で精一杯な今を変えない努力をするだけ。世界を変えるのに必要なエネルギーは、自分の人生に注ぎ込むのがベストな選択肢なんだよ。


だからさ…。


…だから、さ。僕は君を責めたりなんてしないよ。もちろん呪ったりもしない。なにせほら、今みたいな時間帯は怖いしね。夜の間だけ逢えないのは中々寂しいものがあるけど、明日を待っている君が居れるなら夜も悪くはない――いや、どうして急に泣き出すんだよ。さっきまで凄い冷静に会話してた癖に。もっと理系らしく、ほら、俺の存在を否定するとかさ。


ほれほれ僕は幻覚さんですよぉ〜〜…いてっ。


おいおい、「ここまで人を煽ってくるタチの悪い幻覚は有り得ない」って理系トップの思考はどこいったんだよ。ひょっとしてあの世か?なら拾いに逝かないと…いてっ。いやここゲームの世界じゃないから。物理攻撃無効とか無いから。一方的に殴るのはちょっとどうかと思うぞ。


……どうせお前は「夕陽に明日を飲み干してほしい」とか思っていたんだろ?あ、知らん振りしても無駄だからね。日記覗いちゃったし。


いい?その考え方は全ッ然違うから。僕が生きている間にもわざわざ解説したでしょうが。僕は君にそんなこと考えて欲しくないからわざわざ解説しに来たの。「つまり私のトラウマを抉りに来たの?」――おうともさ。だからこうしてお盆未満四十九日以上という中途半端な時期に来訪した訳で…ちょっ!塩!塩はダメ!ダメージが深刻だから!しかも僕の葬式に用意されたお清めの塩って正気か!?ごめんごめんこの通り許して!


……あー、もう成仏するかと思ったわ。危ねぇ。死ぬ時ダンプに引かれる位の危機感だったわ――うん。あの時はその、ごめんな。目の前でミンチとかヤバかったよな。でも死ぬ間際に色々と伝えたいことは伝えられたし――だから塩はお辞めになって下さいお願い致します。



――いつの間にか話それたな。僕はね、要するに地縛霊的な感じで君の普段の様子見てるの。そしたら学校では普段通りの無口キャラ保ってんのに、家に帰ると俺の遺影を抱きしめて泣き出すからさ…心配だったんだよ。君の事が。本当はこうして成仏せずに姿見せるのはかなり不味いんだけど。


まあ成仏してもお盆には逢えるらしいんだけど、それ以外の時期には逢えなくなるからなあ。どうしようもないというか、選択肢が無いと言うか。


「夕陽飲み干す」の文句も元を正せば僕の言葉だけど、最近になってから日記に書いたでしょ?私の心に浮かぶ夕陽も全てを飲み干してしまいそうな程に云々。いやあ、傍目から見て恥ずかしい内容だった――ストップ!ストォォォップ!塩まぶした拳とか斬新すぎる!僕死んじゃうから!……いやもう死んでるけど!成仏したくな・い・の!


…まあ僕よりもずっと心が丈夫な君だから、これくらいの励ましで充分でしょ。世の中実は幽霊で溢れかえっていて、逢うたびに思い出して別れるたびに忘れるらしいよ。いや、この事も例に漏れずそれなんだけどね。

「……忘れていたくないよ」ってちょっとまた泣き出すの!?ほらティッシュティッシュ!ちゃんと拭かないと……。


もう……また何で君はすぐ泣くかな……ん?「君も泣いてるじゃない」って……あ、え、嘘。ホントだ。「私もティッシュで……」ごめん。残念ながら幽霊がティッシュで涙拭えても幽霊の涙はティッシュで拭えないんだな、これが。自分で拭けるから良いけど。



よし。言いたいことは言えたな。「他に未練とか無いの?」無いよ。別に。まあ未練なんて考えれば考える程出てくるものじゃないかな…だから考えません。


じゃあ、また今度ね。もうそろそろ丑三つ時が明けそうだし。もしもずっと夜のままが良かったのに…とか考えたらそれこそ呪っちゃうぞ?一日の始まりは希望で満ち溢れているんだよ。その始まりが失われてしまえば、もう明日が来ないようなものさ。明日が訪れない世界なんて僕は絶対嫌だね。希望が無くなった世界で生きる君を見ていたくなんてない。


幽霊になると色々出来るようになるよ?壁抜けとかいましたし。ノゾキも楽勝だし。あ、でもノゾキは今まで一回もしたことないぞ。幽霊にも警察機構みたいな所があってね。死後でも罪を犯すと簡単に地獄まで行けちゃうらしいよ。僕はよく知らないけど。




~・~・~・~




「お喋り幽霊は好きじゃないわ」


「無口な少女は嫌いじゃないね」


「…おやすみ、ケイタ君」


「…おやすみ、サクラ」


甘い言葉を往復させて、少しの間沈黙が舞い降りる。


ケイタ君が亡くなった2ヶ月前から今まで、私はケイタ君を記憶の彼方に葬り去ろうとしていた。埋めてしまえば掘り返すこともない。そう思って懸命に楽しい思い出も、辛い思い出も、一緒くたにして全部ゴミ箱に捨ててしまおうとした。でも、ケイタ君と過ごした時間があまりにも濃厚で多くて重すぎて……結局は埋めきれず捨てきれないと諦めるしかなかった。


全ての思い出が風化していく様を眺めていればそれで良かったのに、私はもう待てないと思い始めていた。そんな折に、ケイタ君の話を思い出した。夕陽が明日を飲み干してしまう、有り得ないのに胸に迫ってくる、そんな話。

日記の片隅から引っ張り出してきたその言葉に、私は必死に縋り付いた。日が沈むたびに、大きなオレンジ色の光が地平線に飲み込まれてそのままの世界を夢想した。もしそうなれば、明日が訪れなくなれば、思い出を徐々にすり減らしていく日常に恐怖する必要はなくなる。私にとって一日の始まりは、希望どころか一種の絶望だったのだ。


だから…私はこんな存在を無意識に求めてしまったのだろうか。


真に迫った幻覚かもしれないし、或いは本物の幽霊かもしれない。まあどっちにしろ大して変わらないし、それがケイタ君であれば何でも構いはしないのだ。つまり私は、ケイタ君の幽霊とも呼べる存在と会話出来ている訳で。それは私からすれば奇跡に違いなかった。


「…ほ、ほら。僕またお盆あたりに逢いに来るから。そんな怖い顔してたら折角の美人顔が台無しだぞ?」


沈黙に耐えきれなくなったお喋り男が再起動する。ケイタ君はお喋り男の代表格で、クラス代表のお調子者で、意外に約束を大事にする。


あの日も三十分遅刻した私を待ち合わせ場所でずっと待っていたのだけど、まさか……私が三十分遅刻したせいで、ケイタ君の居た待ち合わせ場所にダンプが突っ込むとは思わなかった。


だから後悔もしていたのだ。私が死なせてしまったんじゃないかと。ケイタ君にも多分だけど、間に合うはずだったメロスが遅刻してしまった位の後悔はあったのだろう。わざわざその例を持ち出してきたし。本当はずっと恨まれているんじゃないか、責められているんじゃないかとビクビクしていたんだけど……まあ本人がこの調子なのだから気にする必要は無いのかも。うん、無いな。


「…何か失礼な事を考えられている気がするなー」


「そんなことは、ない」


「まあ、いっか。じゃあ……待たねー」


去ろうとするケイタ君を、咄嗟に呼び止める。


「ちょい待ち」


どうやら幽霊でも襟は掴めるらしい。


手には感触が無くて、傍目には空中に座ったままで渾身の右ストレートを繰り出した様に見えるだろうが、私は直にケイタ君の襟を掴み引き留めることに成功した。クエッと情けない声が夜の空に響く。


「何すんだよ!さっきからの行動はまさか、幽霊でも実は殺せちゃうことを証明する為の実験的なアレなのかい!?」


「違う…未練、晴らしたいだけ」


月明かりが窓際から室内を薄ぼんやりと照らしてくる。伸びる影は一人分だけで、その一人分が少しだけ前に傾く。


甘く、冷たい味がした。


「……!?!?」


「……冷たい」


「じょっ。じょじょじょじょじょっ。じょっ」


衝撃でケイタ君がバグってしまった。


「じょじょ成仏!成仏しちゃうってこんなの!」


といった瞬間に、ケイタ君の体が薄くなり始める。


「えー!何この勝ち逃げフィニッシュ!嫌だよこんなの!彼女に負けたまま終わるってどんな屈辱だよ!敗北感半端ないよ!」


両腕をブンブン振り回しながら抗議するケイタ君に、私はもう少し言わなければならない事を言っておく。


「…この、嘘つき」


「…え?」


「また逢えるとか言っちゃってさ、本当は…もう逢えないんでしょ?」


また逢えるなら話す内容もこんなに哲学的て濃密な風になる訳がない。ぞんざいに話をして、じゃあまた明日ねーと気軽に別れるだけで良かった筈なのに。



やっぱり狡い。



ケイタ君は自分の嘘を見抜かれたことに驚きを隠せない様子だった。けど、完全に消える寸前は満足気な表情をしていた気がする。


色々言っておきながら、本人は自分が安心したいが為に逢いに来たのかも知れなかった。随分と利己的な事だ。


…例え、ケイタ君がよく出来た幻や夢だったとしても。


ファーストキスは初恋の人に捧げましたと証言する事にしよう。

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