・エピローグ

最終話「君に名を」

 空を見上げて、天へと手を伸ばした。

 太古の人間は、背にない翼をつかもうとしたのだ。そしてその手は火を、文明を得た。鳥が腕そのものを翼へ変えたのとは違って、なにかを拾って運ぶ、誰かと結ぶ手のままで空へと飛び立ったのだ。

 だが、蒼穹そうきゅうんだ青の中では、人間はあまりに色が複雑過ぎた。

 そして、心に宿した翼への想いは、容易ににごってよどむ。

 行き着く先は、暗い情念にした闇と虚無……霧崎迅矢キリサキジンヤは、自分のもう一つの可能性へとおちいってしまった、後輩の八谷拓海ヤタニタクミと戦った。そして、彼を本当の空へと解き放ってやったと思いたい。


「あーくそっ、なんて書きゃいいんだ? この手の仕事はなくならねえな、まったくよ」


 小八洲島こやしまとうの空港は今日も、離島らしいのんびりとした雰囲気に包まれていた。

 外は快晴、雲ひとつない青空が広がっている。

 陽炎かげろうゆらぐ滑走路を窓の外に見ながら、迅矢は机でノートパソコンと格闘していた。先程からずっと、件の事件の報告書作成は進んでいない。

 自衛官だった頃から、迅矢はこの手の仕事が大の苦手だった。

 だが、パイロットとは、飛んでる時間よりも飛ぶための訓練と手続きに時間を費やす仕事である。そのことに不満はないが、目の前に離着陸する飛行機を見ると血が騒ぐ。


「おーい、魔女子まじょこちゃん……ちょっと手伝ってくれねえか? なあってば」


 集中力を欠いたままで、迅矢はギシリと椅子を回転させる。

 ストラトストライカーズの詰め所には今、迅矢の他には一人しかいない。

 白いワンピース姿のストレガは、応接用のソファに寝転がって、手にした携帯ゲーム機にご執心である。うつ伏せに両足をぶらぶらさせながら、彼女は夢中で遊びに没頭していた。

 画面を見たままストレガは、そっけない声を返してくる。


「私は機械が苦手です。そのノートパソコン、およびデータの安全のために、私は手を貸さないほうがいいでしょう」

「……ゲーム機はいいのかよ」

「待ちに待っていた新作がようやく届いたんです。……苦労しました。未だにオンラインアップデートとかはやり方がわからりませんが、プレイ自体には問題ありません」

「あ、そ……」


 平日だし、いつもストレガの面倒を見てくれている倉木千小夜クラキチサヨは学校だ。あのヘリオンが真面目に詰め所で待機任務に付くはずもなく、バロンは格納庫ハンガーで手をオイルに汚している。

 二人きりだ。

 静かな室内には、エアコンの音にカチャカチャとストレガのボタンさばきが入り交じる。

 気を取り直して、再び迅矢はノートパソコンに向かった。


「さて、さっさと片付けて俺も格納庫へ行くぜ」


 いささか憂鬱ゆううつだったが、これも仕事だからしかたがない。

 観念して迅矢は、気合を入れ直す。

 背後で声がしたのは、そんな時だった。


「……どうしてもというなら、お手伝いします。ウォーロック、私の助けが……私が、必要ですか?」


 おもわず「へ?」と間抜けな声が出てしまった。

 肩越しに振り返ると、ストレガはごろんと仰向けに足を組んで寝返りをうっていた。そのまま両手を伸ばして天井へとゲーム機を掲げて、一生懸命にボタンを操作している。

 こっちを見もしないかと思ったが、ちらりと彼女は視線を投げてよこした。


「心の翼が濁れば、人は容易よういに自分を見失ってしまう。闇の深淵にとらわれた人間を、私は何人も見てきました。報告書に書くなら、いくらでも前例をご紹介します」

「……そりゃ助かるね、魔女子ちゃん。頼めるかい?」

「ええ。ですが、タダでという訳にはいきません」

「げっ、金を取るのかよ!」

「金銭は必要ありません。今月は、余裕があるので」


 まだ、とはどういう意味だろうか……こんな僻地へきちのド田舎いなかで、どうやったら高額の給料を使い果たすことができるのだろうか。

 だが、迅矢は知っている。

 定期的にストレガには、通信販売大手のダンボールが届くのだ。

 ゲームや漫画、アニメのBlue-rayブルーレイ……彼女は目下、日本のサブカルチャーに夢中である。

 だが、彼女はわずかにほおを赤らめると、目を逸らした。


「……名前を、ください」

「は?」

「ウォーロック、貴方あなたの名前を……霧崎迅矢という名前を、私にください。これから私が名乗るべき、私の名前と一緒に。私は、ストラトストライカーズのストレガであると同時に……貴方の、貴方達のよき隣人りんじん、仲間でいたいと思うのです」


 驚いた。

 彼女は照れ臭いのか、あっちを向いてしまった。

 だが、蒼い長髪がサラサラと流れる中に、僅かに見える耳が赤い。

 思わず迅矢は立ち上がり、彼女の側へと近付いてしまう。


「魔女子ちゃん、そりゃ……どういう、意味、かなあ」

「その、魔女子ちゃんというのも、少し聞き飽きました。……魔女にとって名前は特別な意味を持ちます。森羅万象しんらばんしょう、あらゆる存在は名前を定義されて初めて、価値と実在が証明されますので」

「そか、んじゃま……いいぜ。俺の名前くらい、いつでもいくらでもくれてやるさ」

「……嬉しい、です」


 存外かわいいところがある。

 思わず迅矢は、ニヤケ面になりそうな自分の表情を引き締めた。

 絶世の美少女が自分に心を開いた、そんな瞬間に思えたのだった。


「ジャンヌでマリーで、タックネームはストレガ……魔女子ちゃん、どんな名前がいい?」

「貴方がつけてくれるなら、どんな名でも。貴方は私を、どう呼びたいですか?」

「そうさなあ、夜毎ベッドでささやきあうなら……」


 ストレガに注ぐ日差しを遮って、そっと彼女の顔を覗き込もうとする。

 赤面にうつむく彼女は、ゲーム機で顔を覆った。

 ひょんなことから、この芸術的な美少女に名前をつけることになってしまった。俺みたいな人間が名付け親でもいいのかと、思わないでもない。だが、それで彼女が生まれ直せるなら……本当の仲間になってくれるなら、それはとても嬉しいことだった。


「んー、そうだなあ」

「かわいい名前がいいです」

「候補がざっと五十はあるんだが」

「……貴方の過去を通り過ぎた女性の名前は、ヤです」

「げっ、なんでわかんだよ」

「魔女の直感です」


 図星だった。

 浮世うきよを流した、流れて去った女達の名前を、迅矢は頭の中から追い出した。

 そして、改めて考え直す。

 ストレガは、どんな女の子なのか?

 自分にとって、どういう女の子なのだろうか……?

 すぐに答は脳裏に帰ってきた。

 そして初めて、迅矢は自分の気持ちに気付いた。

 だから自然と、好きな名前が思い浮かんだ。


「ミソラ! 美空、ってのはどうだ? 美しい空と書いて、美空だ」

「美空……それが、私の名前」

「俺はどんな空だって好きさ。晴れた空も、雨模様も、嵐や雷雨だってな。澄んだ蒼は、魔女子ちゃんに……美空に、似合う」


 そっと蒼髪に振れる。

 つやめく光沢がさざなみとなって、迅矢の指を流れていった。

 決まった……これで落ちない女はいない。

 楽しい毎日が、もっと楽しくなる。そう思った瞬間だった。

 だが、ストレガは……美空という名の少女は、小さくうなずきゲーム機を操作する。


「……では、ヒロインの名前はミソラにしましょう」

「ん? そ、それって」

「ゲームのキャラクターに名前を付けなければいけなかったのです。ま、まあ……美空という名前は私も気に入りました。……これで、よし。勇者ジンヤの冒険のはじまりです」

「ちょっと待て……もしかして、今までの話は、全部……おいおい、魔女子ちゃんっ!」


 思わずゲーム機を取り上げたら、自然と顔が近かった。

 珍しく恥ずかしげに表情を緩めて、ストレガは……美空という名の女の子は、不器用にはにかんだ。

 そのまま自然と、互いの距離がゼロになりそうだ。

 世界の時間が止まったかのような、そんな中で彼女の呼気が肌をくすぐった。

 だが、不意に空気が沸騰したように騒がしくなる。


『あー、マイクテス! テステス! ん、オッケーだね。緊急事態だ、ケースD発生……ストラトストライカーズ、出動! 繰り返す、ケースD発生――』


 館内に緊急放送が鳴り響いた。

 声の主は、緊張感に欠いたクサハェルだ。

 それで迅矢は、美空とのキスを取り逃がす。


「……タイミング、悪ぃな……ったく!」

「ふふ、ですね。では、行きましょうか……私達の空へ」

「ああ。エスコートすんぜ? しっかりついてきな」

「ええ」


 身を起こした迅矢は、美空へと手を差し出す。

 その手に手を重ねて、美空もゲーム機を片手に立ち上がった。

 おあずけを食らった気分だが、外の廊下が騒がしくなる。緊急のスクランブルで、この小さな空港はすでに最前線……今も、空の驚異が迅矢達を待っている。


「……迅矢、お仕事の時間です」

「あいよ。んじゃ、ま……片付けに行きますか!」


 あの日以来、ようやく迅矢の名を呼んでくれた。

 だから、二人は揃って駆け出す。

 互いを結んで包む、どこまでも続く青い空へ。

 平和な世界の誰もが知らぬ、絶対に名乗れぬその名は……蒼穹特戦隊そうききゅうとくせんたい。またの名を、ストラトストライカーズといった。

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ストラトストライカーズ!! ながやん @nagamono

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