第26話「心の神に祈れ」

 霧崎迅矢キリサキジンヤの背筋を戦慄せんりつのぼる。

 まるで冷たい稲妻いなずまに打たれたように、彼は身を硬くしながら天をあおいだ。

 上昇を念じて操縦桿スティックを握れども、愛機の翼が重く感じる。

 そして、今しがためすのドラゴンを鎧袖一触がいしゅういっしょくで撃墜した影は……どんどん高度を上げて黒い雲を引いた。

 そのエンジン音を迅矢は、嫌という程知っていた。


「馬鹿な……そんな、まさかっ! どうして、どうしてだっ!」


 仲間達が背後に遠ざかる。

 ストレガがなにかを叫んだような気がしたが、その声さえも置き去りに飛んだ。

 加速する中でビリビリと機体が震え、X-2心神しんしんが空気との摩擦で震え出す。

 加熱してゆく表面温度は、まるで迅矢の心そのものだ。

 怒りや憤りよりもまず、言葉にできない疑問符だけが胸を熱くする。


「どうしてだ、答えろ……なにやってんだよ、八谷拓海ヤタニタクミぃ!」


 アフターバーナーの炎が青く赤く、そして紫色で空気を沸騰させてゆく。

 まるで負荷を感じぬ姿で飛ぶ影に、迅矢は追いついた。限界ギリギリの力を振り絞る心神が、闇よりも暗い影に並ぶ。

 エンジン音はF-15Jイーグル……それも、すでに撃墜されて失われた機体だ。

 戦闘機は一機一機それぞれ、エンジン音が違う。

 迅矢ははっきりと見た。

 穢れをまとったイーグルのコクピットに、亡き友の姿を。


『国ヲ……奈美ナミヲ、守ル……僕ガ、マモル……!』


 地の底より湧き上がるような声が、冷たく無線から伝わる。

 間違いない、拓海の声だ。

 変わり果ててはいるが、後輩で相棒、一緒に飛んだ男の声だった。


「拓海っ、どうした……なんでそんなザマになっちまってる! お前、生きてたって感じじゃねえな! なあ、拓海!」

『……迅矢、先輩……アア、丁度ヨカッタ。手伝ッテ、クダ、サイヨ……化物バケモノガ、マダ』


 ふわりとイーグルが失速して、そのまま高度を落として真っ逆さま。真下へ機首を落とすその姿は、すでに黒い輪郭がほつれて揺らめいていた。まるでそう、彷徨さまよ幽鬼ゆうきごとく自分をこぼしながら飛んでゆく。

 憎しみの闇に染まったその姿に、言葉を失う迅矢。

 だが、次の瞬間には自分の愛機に黒い影を追わせていた。

 その周囲では、仲間達がフォローのために包囲を完了しつつある。

 改めてストレガが、ほうきを心神の横へと並べてくる。


『ウォーロック、あれが……心の翼をにごらせた者の末路まつろ。黒き闇をその身に招く時、大空の勇者は破壊の権化ごんげちる』

「心の翼……」

『皆さんはドラゴンをお願いします。……ウォーロック、覚悟を決めてください』

「覚悟を……ああ、そういう、そういうことかよ」


 迅矢は察した。

 ストレガの言葉は、いつもと変わらぬ怜悧れいりな冷たさをまとっている。平坦で抑揚よくように欠く、とても静かな声だ。だが、その中にひそんだ強い意思が、迅矢には感じられた。

 キャノピーの向こう側に、無表情をことさら悲痛に凍らせたストレガがいた。

 だから迅矢は、深呼吸してゆっくり仲間達を呼ぶ。


「……ドワーフのじいさんよお」

『なんじゃ、若いの。ホホホッ、あっちはワシ等に任せておけい』

「プリースト、キャバルリィ」

きみを呼んでるぞ、千小夜チサヨ

『ヘリオン君もですっ! ……大丈夫ですよ、迅矢さん。任されました!』

「それと、ヴァルキリー」

『はいっ! エルグリーズも頑張ります!』


 仲間達は黒いイーグルの機動をぎながら、その背にドラゴン達をかばう。

 つがいの雌を撃墜されたおすは、激昂げきこうに怒り狂っていた。

 その絶叫がさざなみとなって、音速に近いスピードで飛ぶ機体を震わせる。

 激怒げきどに燃える龍の意思が、空を覆う暗雲のように広がっていた。だが、意に介さず黒いイーグルは飛び続ける。既に戦闘機としての物理法則を無視し、有りえぬマニューバでドラゴンを狙ってくる。

 その背を追いかけながら、迅矢は絶叫をほとばしらせた。


「やめろと言ってやめるタマじゃねえよなあ、拓海っ! お前は頑固で堅物で、曲がったことが大嫌いな正義感に燃えて……そういう男だったよなあ!」

『守ル……ソノタメニ、墜トス』

「なら、お前を止めるのが俺の役目だ……お前が飛ぶ空はもう、ここじゃねえ!」


 怒りや憎しみではない、熱さと同時に温かさのある火が胸の奥に燃える。

 迅矢は雄叫おたけびと同時に、心神を加速させた。

 黒いイーグルの背後へと迫れば、有りえぬ角度で敵はスナップ・アップ。急上昇する翼から、まるで己をけずるように黒いはいがパラパラ落ちる。あれはけがれに満ちた自分を燃やして飛ぶ、燃え尽きる先へと飛ぶ翼……まさに、血を吐くような痛々しい飛び方だった。

 重力と空力に縛られながらも、迅矢は必死でその背を追う。


『ウォーロック、援護します』

「ストレガか! 頼むっ! 奴を……あいつを、止めてやりてえ!」

『ならば迷わず撃墜を……銃爪ひきがね、引けますか?』


 ストレガの言葉が、何度も脳裏にリフレインする。

 操縦桿を握る手の人差し指が、僅かにトリガーを引けば……法儀礼済ほうぎれいずみの銀の弾丸が拓海を貫くだろう。ケースDと呼ばれる空の驚異に対して、地上のあらゆる聖職者や術者が願いを込めた聖なる弾丸だ。いかなる闇をも許さず穿うがち、その力を霧散させる。

 それをストレガは、迅矢にできるかと聞いているのだ。


「そんなん、決まって、ええええ……っはあ! ぐうううっ! き、決まってええええ!」


 激しいアクロバットの中で、全身が引き千切ちぎられるかのような衝撃が迅矢を襲う。肺腑はいふを出入りする空気でさえ、酸素を運ぶ刃のように感じられた。

 胸が痛い。

 血中の酸素濃度が低下してゆく。

 胸がとても痛い。

 ブラックアウトすれすれの中で、世界が何度も上下を入れ替える。

 胸が痛い、苦しくて切ない。

 それでも迅矢は、呼吸よりも決意の宣誓せんせいを優先していた。


「んんんんっ、っくあ――だらっしゃああああ! 決まってんだろ、ストレガ!」

『ええ。では、そのように』

「俺は、俺はあ! あいつにこれ以上……あいつの翼をこれ以上、濁らせねえ!」


 狭くなってゆく視界の中で、黒いイーグルが機体を立てて失速する。

 コブラ運動と呼ばれるマニューバだ。

 瞬間、迅矢も横に並べた心神を天へと突きつける。

 急激な減速で空気を抱き留め、二機の戦闘機が対峙たいじしていた。

 先に機体を立て直した方が、撃たれる。

 そして、それが拓海でももう、迅矢は銃爪を迷わない。


『ナゼ……ドウ、シテ……迅矢、先輩』

「お前が馬鹿やってっからだろお! こん、のおおおおお!」


 大胆にして繊細、無茶で無謀ながらも丁寧な操縦で翼を寄せる。

 迅矢が操る心神はもう、翼端よくたんが触れ合う距離、わずか数センチの場所に機体を寄せていた。

 この速度、この高度での接触は、イコール撃墜と同義である。

 だが、迅矢は迷わず躊躇ためらわない。

 体ごとぶつかってゆく気合、一緒に落ちてやるくらいの気概がなければ、想いは通せないと感じたのだ。理屈や理論を超えた彼岸ひがんで、彼の魂は友の名を叫んでいた。

 その声に弾かれるように、黒いイーグルが機体をひるがえす。


『今ですっ、!』


 ストレガが迅矢の名を呼んだ。

 彼女のまたがる箒が加速、逃げようとする黒いイーグルの頭を抑える。

 なんとか敵のコクピットにと、ストレガが手を伸ばした、その時だった。


『オ前カ……オ前ガ、迅矢先輩、ヲ……オ前カァ!』


 聴き慣れた機関砲の音が、一瞬だけ響いた。

 ほんの一秒にも満たない、一斉射。

 ストレガの箒が消し飛び、木の葉のように少女が舞い上がる。

 それを見た瞬間、迅矢の決意と覚悟が研ぎ澄まされた。


「やめろってんだ、拓海ぃ!」


 ストレガを撃ったその瞬間、黒いイーグルの動きは単調になっていた。その背後へと愛機をねじ込み、迅矢はトリガーを引く。

 見慣れたイーグルの直線的なシルエットが、黒い波動に泡立あわだちながら揺れた。

 銀の弾丸は狙いたがわず、濁った翼を蜂の巣に変えていった。

 そのまま迅矢は黒いイーグルを追い越し、ふわりと落ち始めたストレガに近付く。


「おいっ、ストレガ! なにやってんだお前っ、なあ!」

『……聴こえていますから、怒鳴どならないでください。私は平気です、ウォーロック』

「知ってるよ! 魔女は死なねえんだろ? でもなあ、見てるこっちの寿命が縮むんだよ」

『そう、ですか。それは困り物ですね』

「だろ? なあ……だから、さ」


 速度を落とした心神の上に、なにごともなかったようにストレガは着地した。そのまま両の脚で立つ彼女は、そこだけ気流が避けているかのように平然としている。

 ストレガが振り向く先へと、迅矢も首を巡らせた。

 小さな爆発を咲かせる黒いイーグルは……徐々にまとった穢れを脱ぎながら横に並ぶ。

 そこには、あの日一緒に飛んでいた男の、自衛隊の日の丸が描かれたF-15Jイーグルが飛んでいた。


『迅矢先輩、僕は……』

「拓海、悪いな。もうお前の空はここじゃねえ。けど、お前の空ごと俺は……俺達は、全てを守って飛ぶ」

『……僕は、守れましたか? 先輩……奈美を』

「ああ、今も守ってる。だから、守り通せ。見守ってやれ……奈美と、これから奈美が産むお前の子供をよ……」


 別れの時が訪れた。

 終わる間際の刹那せつな、ほんの一瞬だけの幻想だったかもしれない。

 キャノピーの向こうで、いつものイーグルに乗った拓海が微笑ほほえんでいた。

 そっとストレガが片手をあげると、ゆっくりほつれながらイーグルが高度をあげる。


『天へとおかえりなさい。貴方あなたにはもう、戦いの空は必要ないでしょう』


 ストレガの声は静謐せいひつに満ちて、清らかな調べはまるで聖歌アンセムのよう。

 ゆっくりと天へ昇るイーグルは、すぐにその輪郭が周囲に溶け消えた。

 同時に、迅矢の心神も高度を落として仲間達と合流する。最後にストラトストライカーズの面々は、悲しげにえるドラゴンの上をフライパスして帰投した。

 失い亡くす中で尚も、空は血と鉄の色に染まらない。

 憎しみもかなしみも、広がる蒼穹そうきゅうだけは濁らせることができないのだった。

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