第25話「真実を前に、黒き心の翼が飛ぶ」

 高度一万メートル……雲海を見下ろすあおの世界。

 どこまでも続く空は、霧崎迅矢キリサキジンヤと仲間達に白い雲を棚引たなびかせる。

 静寂の中、行き交う声はくだらないお喋りばかり。


『ええと、か、か、か……カニカマ?』

『マトリョーシカ』

『また、か……なんで。えっと……カ、カツオ!』

千小夜チサヨは食べるものばかりだね。なら、僕もだ。オカカ』

『エリオン君っ、性格悪いです! ん……カカオ』

『それは107手前にすでに言ったね。千小夜、君の負けだ』


 バロンの笑い声が響いて、倉木千小夜とヘリオンのしりとりに決着がついたようだ。

 黙って聞いてた迅矢も、酸素マスクの奥で笑う。

 快晴、好天に恵まれどこまでも蒼穹そうきゅうは高く広く続く。

 そして、ダイヤモンド編隊を組む四つの影の先頭に、白い魔女が飛んでいた。今日も白い帽子ぼうしに白いころもで、ストレガは脚を揃えて箒に腰掛けている。

 優雅ですらあるその姿は、既存きぞんの魔女という概念をくつがえすほど美しい。

 だが、静かな時間はそこまでだった。


『みなさーんっ! こっちです! お待ちしてましたっ!』

『だ、そうです。降りましょう』


 迅矢達が飛ぶ先に、大きな銀色のおおかみが滑り込んできた。その背には、甲冑を着込んで槍を持つワルキューレ……エルグリーズの姿がある。

 彼女の声に導かれて、迅矢も高度を落とす。

 雲の中を突っ切れば、眼下は海。

 そして、遥か下に小さな小さな島が見えた。

 ここは太平洋、そのド真ん中である。


「なんだありゃ……こんな場所に奴が?」


 迅矢は、いぶかしげに島を見下ろす。

 何の変哲もない、ごく普通の無人島だ。大きさも、直径100mもない。申し訳程度に緑が覆っており、島というよりは浮かぶ岩山である。

 だが、すぐにレーダーは敵影を捉えた。

 緊張感が走る中で、ストレガの声だけが冷静だ。


『……少し様子を見ましょう。ヴァルキリー、確かにあの島なんですね?』

『はいっ! と、いうわけでっ! みなさーん、攻撃は少し待ってくださいねっ』


 ゆうゆうと翼を広げて、巨大なドラゴンが迫る。

 だが、不思議と今日の動きは少し鈍い。

 音の速さで空気を切り裂く、絶叫をまとった圧倒的なプレッシャーが感じられない。その違和感の正体に、迅矢はすぐに気がついた。


「なんだ……? あの島を、守ってんのか?」


 ドラゴンの位置取りは、眼下の小さな島を守っているかのようだ。

 常に島を背に、迅矢達ストラトストライカーズへ牽制の眼光を放って唸る。

 臨戦態勢を取りつつ、迅矢は旋回しながら距離を保った。不思議と、因縁の敵への妙な信頼感があった。向けられた敵意との、声無き会話……何時にもまして強烈な殺気を放ちながらも、ドラゴンは襲いかかってこない。

 そして、バロンの声に思わず迅矢は聞き返してしまった。


『なるほど、のう。やっこさん、そういう訳があったんじゃな』

「な、なんだよドワーフ、なんかわかったのか?」

『単純な話じゃ、ウォーロック。ほれ、見てみんか』


 その時、島から何かが飛び立った。

 それを確認して、エルグリーズがなにかを相棒のフレキへと囁く。銀狼ぎんろうは一声鳴くと、急降下で浮上する巨体へと駆け寄った。

 大きな翼を広げた、それはだ。

 その姿は、今まで何度も攻防を繰り返してきた個体より、一回り大きい。

 そして、空へと飛び立ったのはめすのドラゴンだけではなかった。

 そう、雌……例のドラゴンはつがいだったのだ。


「なんてこった……こりゃ、雌か。で、あのちっこいのが」

『卵が無事にかえったようじゃなあ』

「番のドラゴンだったのか」

営巣先えいそうさきを探してたんじゃろう。そして、ほれ。どうやら子供も飛べる日が来たようじゃ』


 子供のドラゴンは小さくて、その数は三匹。

 おっかなびっくりという様子で、母親へと口々に声をあげる。

 まるで雛鳥ひなどりのようだが、既に翼は風をつかんでいる。ここにまた三匹、この空で生きる命が羽撃はばたいていた。まだ小さく弱く、迅矢が乗るX-2心神しんしんよりも小ぶりだ。

 だが、二匹の親ドラゴンが大きく旋回して、その円の中心に子を導く。

 ストレガはそれを見届け、ほうきを迅矢の横へと並べてきた。


『もしやと思って、ヴァルキリーに調査を依頼していました』

「エルちゃんに?」

『はい』


 ストレガは、今回のドラゴン襲来事件の顛末てんまつを教えてくれた。

 ドラゴンとは全生物で最も神に近い存在。人間をも凌駕りょうがする、この世界の摂理せつりの代弁者である。ゆえに、その個体数は少なく、雄と雌が番となることは数百年に一度らしい。

 ドラゴンはその強さ故、この地球でも数匹しかいない。

 そして、常に星々の海を渡って宇宙を駆け巡るのだ。

 あのドラゴンも、水の惑星地球に来て雌を見つけ、子をなした。そしてまた、時期がくれば子は親離れして、違う星へと旅立ってゆくのだという。


『営巣前後のドラゴンは、非常に好戦的になります。それは全て、卵を守るため』

「なるほどな。クソッ、こりゃお手上げだな」

『ウォーロック、お願いがあります』

「わーってるよ! わーってる、わかってる。いや、頭で理解する以上に……こりゃ、手打ちにするしかねえ。子持ちは俺にゃあ撃てねえよ」


 大事な後輩で、相棒だった。

 そして、新しい家族の誕生すら知らずに、散っていった。

 そんな彼が今、生きていたらきっとこういうはずだ。


 ――先輩、先輩の翼はなにかを守って飛ぶものじゃないですか。


 これ以上、握る操縦桿スティックに憎しみも恨みも込められない。

 心の翼をもう、迅矢は濁らせる訳にはいかなかった。

 勿論もちろん八谷拓海ヤタニタクミの死は今でも、心の中に重い。許せぬ気持ちもあるが、人ならざる龍を裁く法はないし、それを自分の手ではなく心に委ねるべきだ。

 ドラゴンもまた、この空で共に生きる命。

 空の果て、宇宙の彼方かなたまでも住処すみかとする、人とは異なる生命いのち……ただそれだけのことなのだ。地球という大自然を相手に、デカい顔している人間がアレコレ言えたことではないのだ。


「……なあ、ストレガ」

『はい』

「あいつら、いつかは地球を出て宇宙へ……そして、命を全うすれば天国に行くのかな」

『クサハェルに聞いてみないことには、なんとも。ただ』

「ただ?」

『命は死ねば全て無にかえる……ただそれだけでは、残された命は救われません。だからこそ、人は心の中に想像力という名の神を持ち、そこそこゆだねているのです』

「そこそこね……いいね、そこそこ。んじゃま、俺もそこそこ許すとしますか」

『ええ、そうしてください。私もそこそこ、そんなウォーロックが好きですから』


 思わず、えっ? と迅矢はキャノピーの上を見上げる。

 ふわりと浮かび上がるストレガは、その蒼い髪を風に遊ばせ……笑ったような気がした。

 気がしただけで十分な程に、迅矢ははっきりと感じてしまった。

 どうやら彼は、魔女の魅了チャームの魔法にたぶらかされているらしい。

 久しく忘れていた気持ちを自覚して、そのことを否定する必要がなかった。どうやら迅矢は、ストレガに恋をしたらしい。プレイボーイを気取って、恋に恋して愛は別腹、そんな浮世を流していた迅矢がである。


「へっ、参ったね……俺を撃墜おとすなんざ、やるじゃねえかよ」

『なにか言いましたか? ウォーロック』

「いーや、別に!」


 迅矢も機体を風に乗せ、高度をとってドラゴン達を見送る。

 妻と子等を守るように、悠々と飛ぶ雄のドラゴンが振り向いた。

 その大きな大きな目が、ギョロリと迅矢をにらむ。

 馴れ合いはしないし、仲間でも友達でもない。だが、ストラトストライカーズの仕事は戦争ではないし、戦闘は手段でしかない。営巣と産卵を終えたドラゴンが、再び人間の社会へ分け入ってくることはないだろう。

 何故なら、人間達の暮らす世界は騒がし過ぎる。

 そして、そんな世界が地球中に広がってしまったので、ドラゴンには狭さが息苦しいかもしれない。だが、そんな地球を宇宙の星々から見つけて、あのドラゴンはやってきたのだ。


「なあ、ストレガ」

『はい』

「……そろそろ、さ。俺のことは名前で呼んじゃくれないか?」

『どうやって、でしょうか』

「今夜ベッドで教えるよ」

『今夜は徹夜でゲームをする予定なので、お断りします。けど』

「けど?」

『条件付きでなら――』


 その時だった。

 鋭敏な迅矢の耳は、穏やかな空の空気を震わせる轟音を聴いた。

 同時に、ヘリオンが千小夜の悲鳴を引き連れひづめを高鳴らせる。ペガサスの白い馬体が駆け抜ける先へと、強烈な殺気が凝縮してゆく。

 そして、黒い点が見えたと思った瞬間……影が視界を横切った。

 遅れて衝撃波が、心神の機体をビリビリと震わせる。

 音速でなにかが、すぐ近くを駆け抜けた。

 バロンが驚きに叫ぶ。


『なんてこった! 雌の方が!』


 眼の前で今、短く一声鳴いて……雌のドラゴンが鮮血を吹き出し墜落ちてゆく。ピャアピャアと子供達が混乱する中で、雄のドラゴンが絶叫をほとばしらせた。

 そして、迅矢は驚愕の中で機体を翻す。

 先程通り過ぎた、影……そのエンジン音を、迅矢は嫌というほど知っていた。

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