第24話「決着へのテイクオフ」

 あの墜落から、三日。

 わずか三日で、X-2心神しんしんは蘇った。

 昼夜を問わぬ作業と、ストラトストライカーズの仲間達のおかげだ。特に、ストレガの魔法が大きな役目を果たした。時には宙へと心神を浮かせてひっくり返し、足りないパーツも鉄をおどらせし作る。

 指示さえしてやれば、ストレガはなんでもやってくれた。

 だが、機械音痴きかいおんちなので機体には触らせてもらえなかったが。


「アイドルアップ!」

「そこぉ! 吸い込まれるぞ! さっさとどきなさいよね!」

給弾作業きゅうだんさぎょう、終了!」


 整備員達元気のいい声が、格納庫ハンガー内に満ちる。

 ジェットエンジンのけた臭いが、霧崎迅矢キリサキジンヤ肺腑はいふに満ちる。懐かしい轟音が腹に響いて、整備員達の緊張感が心地良い。

 再び今、迅矢の翼が蘇る。

 感慨に熱い目頭を手で抑えていると、バン! と背を叩かれた。


「ハッハッハ、どうだい若いの! しゃんと直ったじゃないか。ええ?」

「ああ、みんなのおかげだ。バロン、あんたも」


 古めかしい飛行服の男は、髭面ひげづらをくしゃくしゃにして笑う。

 バロン達ストラトストライカーズの仲間が助けてくれなければ、こんなに早く心神は直らなかっただろう。そして、迅矢の心も救われなかった。

 三度みたび飛びたいと願ったのは、すでに自分だけのためじゃなかった。

 信じてくれる仲間達のためにこそ、飛びたい。

 世界の空を守るために、自分を必要だと思ってくれる仲間がいる。失意の迅矢をなぐさめるより先に、彼の翼をいやそうとした者達だ。その献身的な想いが、迅矢に自分で立ち上がる力をくれたのである。


「じゃが、若いの……心しておくんじゃ。飛行機とは精密機械のかたまり、ようするに人格も感情もないマシーンでの。一度墜落した機体が抱える不安要素は、絶対に消えん」

「ああ、わかってる」

「それでも飛ぶか?」

勿論もちろんだ。こいつはもう、俺じゃなきゃ真っ直ぐ飛ばないぜ。こいつに消えぬ傷があって、悪癖あくへきひそんでいるなら……それすらも、俺の翼として受け止めてみせる」


 一瞬きょとんと目を丸くしたバロンは、再度大きな声で笑った。

 そして、少し背伸びして耳元でささやく。


「時にお前さん、どうじゃ……ストレガとなにかあったか?」

「なにか、って」

「とぼけなさんな、カカカッ! 最近、いつも以上にストレガが色っぽくてのう。女の自分を思い出したか、はてさて……どうじゃ?」

「なんもねえよ! ねえ、けど……ま、そりゃおいおいな」


 迅矢も肩を組み返して小さく笑う。

 そのストレガだが、離陸準備を始める心神の前にっ立っている。白いワンピースは、ジェットの気流でスカートがばたばたとはためいていた。

 彼女は機首の先端に手を触れ、次いでひたいを押し当てる。

 あおい髪がゆるゆると棚引き、なにかをささやいている声が運ばれてくる。

 迅矢はバロンから離れると、ストレガの傍らに歩み寄った。


「なにしてんだ、魔女子まじょこちゃん」

「おまじないです」

「そりゃ、ありがたいね。魔女のまじないなら、効果覿面こうかてきめんだろうさ。……もう、俺はちねえよ。誰にも、何にも墜とさせねえ」

「ええ」


 ストレガはゆっくり心神から離れると、まるで歌うように言葉をつむぐ。


「翼よ、翼。飛びなさい……なんじは風なり。烈風れっぷうとなりて空を裂き、疾風しっぷうの速さで敵を討つ……民と国とを守る翼よ、今……蘇るべし」


 祝詞のりとささげるようなストレガの声に、僅かに心神が震えたように見えた。

 だが、彼女はいつもの無表情で振り返る。


「おまじないをしておきました。因みに、魔力がどうこう、魔法がどうこういう話ではありません。ただ、私が母から聞いた、祖母の代からあるおまじないです」

「おう、サンキュな」

「……もう、墜ちないでください」

「へへ、わーってるよ。魔女子ちゃんみたいなカワイコチャン、絶対に泣かせないぜ」

「泣きはしませんが、面倒見きれないので」


 ――かわいくない。

 だが、口ではそう言いつつ、ストレガはじっと真っ直ぐ迅矢を見詰めてくる。

 その視線は心なしか、とても温かく感じられた。

 熱視線と言えるほどに熱い気もする。

 だから迅矢は、安心させるように彼女の頭へポンと手を乗せた。


「大丈夫さ。なにせ、あれだけのことがあってまだ……まだ、俺は飛びてぇんだ。今度はもう、心の翼をにごらせたりしない。憎しみも悲しみも超えた空へ、俺は飛ぶ」

「そうですか。……格好いい、ですね」

「へっ?」

「いえ、なんでもないです。それより――」


 ストレガがなにか言いかけた、その時だった。

 倉木千小夜クラキチサヨとヘリオンを連れて、クサハェルがやってきた。彼は今日もスーツ姿だが、その表情は逼迫ひっぱくしている。

 瞬時に迅矢は、ケースDの発生を察した。

 ケースD、それは世界の空に危険が訪れる時。現代の科学では解明不可能な、神話や幻想の世界が侵食してくる瞬間だ。その驚異を、人類社会に知られぬように排除する。それこそが、ストラトストライカーズの使命だ。

 クサハェルは迅矢の元までやってきて、両膝りょうひざに手を置き呼吸をむさぼる。

 天使でも息が切れるのかと、迅矢は緊張感のないことを考えてしまった。


「ハァ、ハァ……みんな揃ってるかい? ハァ、ふう……ストラトストライカーズ、出動だ。例の……あのドラゴンの所在が、判明した」


 胸を抑えて面をあげながら、クサハェルは途切れ途切れに話す。

 バロンも集まって、ストラトストライカーズの面々は全員で囲むように言葉を待った。


「今、欧州ユーロから応援に来てくれてる、エルグリーズがね……彼女は幻獣や神獣のプロフェッショナルだから。彼女が、あのドラゴンの居場所を突き止めた。この日本で暴れてる理由も、どうやら彼女の予想が……まあ、それは現地で合流して直接聞いてほしい」

「っしゃ、了解だぜ! 行こうぜ、みんな。テスト飛行は中止だ、そのまま出撃する!」


 迅矢の言葉に、整備員達は手を止め言葉を失った。

 だが、次の瞬間には異論も口にせず作業を再開する。

 既に千小夜は巫女装束みこしょうぞくに弓を持っており、ストレガに白い魔女の戦衣を渡している。そういえば、何故なぜストレガの服は白いのだろう? 以前、迅矢が夢の中で見た彼女は、これぞ魔女という黒装束だった。

 黒いとがった帽子に、黒い衣、黒いマント。

 それをまとった彼女の名は、ジャンヌといった。

 そして、その名を与えた救国の乙女ラピュセルは、救った国に裏切られて死んだ。魔女として処刑されたのだ。本当のジャンヌことストレガが愛した、ストレガを愛していた少女だった。

 次の名は、マリー……マリー・アントワネット。

 ストレガは傾国けいこくの王妃としてフランスに戻り、フランス革命の中で断頭台ギロチンにかけられた。自ら首を落されることで、フランスの敬虔けいけんな心、他者の信仰心への敬意を殺したのである。


「ま、確かに……フランスはそういうとこがあるわな。風刺大国ふうしたいこくだし、民衆自身の政治と引き換えに、あらゆる権威を失ったんだろうな」

「ウォーロック? なにか言いましたか?」

「いや、別に……って、おい! 待て待て、待てっ! 魔女子ちゃん!」


 ストレガは平気な顔で、

 このは本当に、時々局所的に常識がない。

 あわてて止める千小夜が、すったもんだで格納庫の外へとストレガを連れ出す。その背を見送っていると、いつのまにか隣にヘリオンが立っていた。


「鼻の下が伸びてるぞ、人間」

「へへっ、あんたは嫌かい? 美少女のはだか

「……まあ、主神ゼウスはそういうのが好きだったかな? 美女と見れば見境みさかいがなくてね。時には僕は、オリュンポスから地上までのハイヤー代わりさ」

「お、おう。苦労したんだな、あんたも」


 ヘリオンは改めて、離陸準備中の心神を振り返る。

 膨大な熱量を発する戦闘機を前に、彼は目を細めながら呟いた。


「心神、と言ったな。この翼は」

「ああ。俺の翼だ」

「……。信仰を持たぬ者は、人間ではないという意味じゃないが……神を信じるなら、それは心の中でいつも見ているのだ」

「おいおい、どした? 悪いもんでも食ったか?」

「いや? 長年生きてきた幻獣としてのアドバイスさ。迅矢、今はもう心の翼に濁りを感じない。なら、お前は僕と共に飛べるだろう。せいぜい今度はもっと上手く墜ちるんだね」


 それだけ言うと、彼も陽光の下へと歩き出す。

 午後の熱気の中で、ヘリオンは人の姿を解いて天馬になった。

 なんのかんので、心配してくれたのかもしれない。

 ペガサスが人の世でどう生きてきたか、神話の時代から生きる彼のことを思うと迅矢も複雑な思いだ。ストレガよりずっと長生きで、人が空を求めるサガ、その欲と罪を見てきたヘリオン。

 そんな彼が今、人間の千小夜を背に乗せ、人間の迅矢と共に飛んでくれる。

 理由はどうあれ、彼も人間社会を守るストラトストライカーズの一員である。


「うし、行くか……あの空へ飛ぼうぜ、相棒!」


 もうパイロットスーツに着替えてある。

 ヘルメットを渡され、迅矢はタラップを蹴ってコクピットに収まった。

 誘導の係に従い、ゆっくりと心神は滑走路へと進み出す。

 タキシングの微動に震えるその翼は、迅矢の帰りを待ちわびていたかのよう。今にも飛び出さん勢いで、焦れる迅矢にエンジンの高音が心地よい。

 バロンの言葉は真実で、そして真理だ。

 飛行機はマシーンであり、そこに心も感情も存在しない。不思議な力でパイロットを助けてくれる飛行機は、創作物の中にしか飛んでいないのだ。

 だからこそ、迅矢は改めて誓う。

 心の中に神がいるとすれば、それは迅矢にとってはパイロットの挟持きょうじだ。最後まであきらめず、機体の全てに責任を持つ。そして、駆け上がる空から再び大地へ戻ってくる。


「コントロール! 霧崎迅矢、X-2心神! 離陸するテイクオフ!」


 最終チェックを手早く済ませて、滑走路を翼は走り出した。

 迅矢の気持ちを再び飛ばすため、よみがえった翼が空気を切り裂き舞い上がった。

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