第23話「翼と共に、どこまでも」

 いつもの基地につくと、霧崎迅矢キリサキジンヤは運転席を飛び出るなり走り出す。

 いてもたってもいられないとは、このことだ。

 関係者以外を通さぬゲートをくぐり、守衛しゅえいの男達と挨拶もそこそこに走る。背後で倉木千小夜クラキチサヨの声がして、彼は慌てて取って返した。


「すまん、千小夜ちゃん! 荷物、半分……いや、全部持つぜ!」

「あ、あのっ、迅矢さん」

「いいんだ。ちょっと先に行ってる! なんか俺、馬鹿みたいだったぜ……もっと早く、こうしてりゃよかったんだよ!」


 おにぎりの入ったバスケットと、熱いお茶の魔法瓶。それを両手に抱えて、迅矢は走った。すぐに滑走路が広がる空港が視界を満たした。

 真っ直ぐにストラトストライカーズの格納庫へと走る。

 それは、中から多くの作業員が出てくるのと同時だった。

 丁度今、時刻は正午を回ったらしい。

 作業用のツナギを着た者達の中で、ステテコにランニングというラフな格好の老人が声をあげた。仲間のバロンだ。


「おや、若いの。遅かったのう……心配しとったぞ」

「すまん、バロン! 遅かったよな……でも、遅過ぎたとは思いたくねえよ」

勿論もちろんじゃとも。今、昼の休憩を取るとこじゃよ」

「そっか。あ、これ! 千小夜ちゃんから昼飯の差し入れだ。……悪かった、バロン。みんなも、ごめん! 俺が間違ってたんだ。この通り! すまなかった!」


 皆の前で、迅矢は頭を下げた。

 バロンに、そして振り返って整備班の全員にも。

 自分だけが悲劇に沈んでいた、そのことを素直に詫びたら……不思議と、かけられる言葉は優しかった。作業員達も突貫作業で働き通しなのに、文句も悪態も出てこない。


「頼むぜー、迅矢? 世界に一機しかない、貴重なX-2心神しんしんなんだからさ」

「そうだ、言うなれば空飛ぶ文化遺産……今度として見ろ、ブン殴るぞ!」

「まあまあ、班長。ストレガちゃんの魔法もあって、凄いスピードで修理できてんだ」

「そそ、クサハェルさんが部品のストックを以前から手配してくれてたしな」

「そういう訳で、迅矢! 会ってこいよ……お前の翼に」


 バロンがバスケットをそっと取り上げ、おにぎりを配り出した。皆、手と顔を油で汚したままである。追いついてきた千小夜からタオルなどを受け取り、昼食が始まった。

 皆、食堂に行く間も惜しんでくれている。

 きっと、小休止のあとまた作業に戻るのだろう。

 改めて迅矢は、皆に頭を下げた。

 感謝の気持ちで目頭が熱くなるが、ぐっとまぶたに力を入れて格納庫へと走る。

 薄暗い中には、整備台に乗った愛機の姿があった。


「よぉ、会いに来たぜ……お前にも、謝らないとな」


 迅矢の愛機は、物言わぬ鉄の固まりとなっていた。すでにエンジンは降ろされ、機体の各所にも手が加えられている。見た目には、そう大きな損傷があるようには見えない。

 だが、戦闘機というのは世界で最も精密にして繊細な兵器だ。

 一度不時着を経験すれば、そのボディは絶対に元通りにはならない。ミクロン単位の歪みが、空では致命的な事故に繋がることもあるのだ。ゆえに、大きな事故を起こした機体はスクラップとして処分される運命にある。


「俺の相棒、心神……お前が俺の翼だ。そして、最後まで俺はお前と飛びたい」


 まるで女性を口説くような、口説いた女性に愛をささやくような言葉だった。

 だが、本音の本心で、偽らざる正直な気持ちだった。

 もう一度、この機体で空を飛びたい。

 国防の翼として開発されながら、防衛省はF-35を米国から購入して配備する道を選んだ。純国産に限りなく近いX-2心神は、開発を凍結されたとも言われている。しかし、目の前に心神は存在しているし、先日まで迅矢と共に空を守っていた。

 このまま歴史の影に埋もれていい翼ではない。

 開発者、研究者、そして整備班にストラトストライカーズの仲間達……多くの者達が支えてくれた中で、迅矢が手にした最後の翼なのだ。

 その時、ふと整備台の影から白いワンピース姿が現れた。


「ウォーロック、お疲れ様です」

魔女子まじょこちゃん……お、おう。いたのか? いるならいるって言ってくれよな、もう」

「はい、では……います」

「おせーよ、もう」

「イマス!」

「早口で喋れって意味じゃねぇよ」


 迅矢は思わず笑ってしまった。

 そういえばと先程の話を思い出す。

 ストレガは今日も、涼しい無表情で心神に寄り添っていた。


「魔法で修理を手伝ってるんだって? 悪いな……いや、もっとちゃんと謝りてぇ。すまなかった!」

「いえ……もとあと言えば、私にも責任はあったのです。ウォーロック、貴方あなたが心の翼を濁らせていると……何故なぜか私は、とても悲しくなる。憎しみはとても強い力だけど、とても代償の大きなものなんです」


 迅矢の前まで来て、ストレガは真っ直ぐ見詰めてきた。

 蒼くんだ瞳に、自分の顔が映っている。

 少し情けない顔で、なんだかおかしい。


「魔女子ちゃんは悪かねぇよ。むしろ、助けてくれたじゃねえか」

「もっと綺麗に、静かに下ろせればよかったんですが。限りなく墜落に近い不時着になってしまいました。きっと、痛かったと思います」

「ああ。俺も今はわかる。きっと、すげぇ痛かった筈だ」


 よっ、と整備台に飛び乗り、相棒に手で触れる。

 ひんやりとした金属の感触は、あの日からエンジンの排熱と轟音を忘れてしまっている。アチコチのメンテハッチが開いた状態で、文字通りがらんどうだ。

 そして、目に見えぬダメージを受けて、機体そのものは歪んでしまった。

 こればかりは、どんな技術があっても直らないだろう。

 修理を手伝うストレガの魔法だって、そこまで万能ではないはずだ。


「ウォーロック、一つだけ確認です」

「ん?」

「この子は、もう……元通りにはなりません。ストックされたパーツと私の魔法、なにより整備班の皆さんの力で修理されますが。それでも、全てが元通りとはいかないでしょう」

「ああ、わかってる」


 ストレガの魔法にかかれば、あらゆる金属が踊るように形を変える。足りない部品や難しい加工を、指示された通りに彼女はこなしているという。それに、霊体であるバロンも機体の中をするりと通り抜けられるので、細かな作業も驚くほど早い。

 それでも、心神は元通りにはならない。


「魔女子ちゃん、俺はこいつとこれからも飛ぶ。ずっとだ」

「そう、ですか」

「アライメントの数値はあとで確認するが、なぁに……俺くらいの腕っこきじゃなきゃ飛べないくらいが、俺の愛機には丁度いいのさ」


 強がりでもあるが、譲れない決意でもあった。

 機械に対して愛着を持ち、それ以上に接することは危険とされている。マシーンはあくまでもマシーンでしかなく、そこには感情も人格もない。当然、奇跡を期待することなどナンセンスだ。

 心神はこれからは、危険ないわくつきの機体となるのだ。

 昔の迅矢だったら、そんな愛機では飛べないだろう。

 だが、今ならハッキリと言える……この場所で再びパイロットとして飛び、仲間を得て戦うからこそ、強く思うのだ。最後まで心神と飛ぶ、そしてそのことに対して全ての責任を自分が背負う。


「俺ぁ死なないぜ、魔女子ちゃん。そして、絶対にもうこいつを墜とさねえ。約束する」

「では、私も約束しましょう。ウォーロック、貴方が飛び続ける限り……貴方の心の翼が澄んで輝く限り、私達ストラトストライカーズの仲間が貴方を支えます」

「そりゃ、こっちの台詞さ。もちつもたれず、改めてよろしくな」

「はい」


 ストレガが手を伸べてくるので、握って整備台に引っ張り上げる。

 酷く華奢きゃしゃな彼女を受け止める形になって、ふわりと蒼い髪が甘やかな匂いを振りまいた。グリスとオイルの臭いが充満する中で、不思議と彼女だけが違う空気を纏っている。

 二人は並んで、改めて心神を見やる。


「なあ、魔女子ちゃん……俺、さ。やられた時……見たんだよ」

「なにを、ですか?」

「魔女子ちゃんの過去。何故か、夢みたいなものになって見えた」

「そうですか……できれば忘れてください。でも、知ってください。心の翼を濁らせた、憎悪に身を委ねたあわれな女の末路まつろを。むなしいものですので」

「末路はねぇだろ? 魔女子ちゃん、あんたは俺と今こうして生きてる」


 そっと、隣のストレガの手を握った。

 小さくてひんやりとした手だ。

 ストレガもまた、不思議と手を握り返してくる。


「ジャンヌ、って呼んでもいいか? なあ」

「その名はもう、あの人にあげてしまいました。私の愛と共に、あの人に」

「そっか……恋人、だったんだよな。じゃあ……マリーは?」

「その名で非道な復讐を遂げたのが、私という女です」

「んなら、足してジャリーとか?」


 小さくストレガは笑った。

 それは、春待ちの寒い日に咲いた、氷雪を割って伸びる小さな花のようだった。

 ストレガは「変な人ですね」とだけ呟いたが、気を悪くしたようには見えなかった。

 迅矢は覇気と自信を取り戻し、そして女好きの一面を発揮させれる程に精神的な回復を遂げていた。そっと放した手で、今度はストレガの細い腰を抱き寄せる。

 だが、そんなおいしい時間はすぐに打ち破られた。


「ストレガちゃんっ! ここですか? いますか? フレキさんがここだって……あっ、いました! 二人でなにしてるんですか? 今、ちょっといい雰囲気でした?」


 突然、エルグリーズがやってきた。今日は甲冑姿ではなく、何故か浴衣ゆかたを着ている。カラコロと下駄げたを鳴らして走るので、両肩から着物がずり落ちて危ない感じだ。

 胸の谷間もあらわに、彼女は二人のところまでやってくる。

 参ったね、と迅矢が苦笑していると、ストレガも小さく「ええ」とつぶやいた。


「ストレガちゃん、わたし調べてきましたっ! あのドラゴン、やっぱり思った通りです。だからこそ危険度が高くて、でも、うーん……」

「クサハェルさんには報告してもらえましたか?」

「あっ、まだです! そうでした、先にそっちに行くべきでした……」

「あと、浴衣が脱げかけてます。ちょっと待ってください」

「あ、これね! 前からかわいいなーって思ってて、着たいなーって思ってたら、旅館の女将おかみさんが貸してくれたのです。わたし、ここでは外国人観光客みたいなものですから」


 整備台を降りたストレガが、エルグリーズの帯などを直し出す。着付けができるのかと驚いたが、慌てて迅矢は背を向けた。

 そして、エルグリーズの言葉が気になる。

 あのドラゴンにどんな事情があるのか、それにどう対応すべきか……だが、もう迅矢は迷わないし、ひとりよがりな仇討かたきうちも考えてなどいなかった。

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