第22話「背を向けたもの、背負ったもの」

 霧崎迅矢キリサキジンヤが経験する、二度目の撃墜。

 絶望からの再起が、再びついえたかに思えた。しかも、その相手は以前と同じドラゴン……相棒にして後輩、八谷拓海ヤタニタクミの命を奪った驚異なのだ。

 同じ相手への、連敗。

 しかも、今回は完璧に自分のミスだった。

 最高の仲間と愛機を得て尚、自分の不甲斐なさがもたらした結果。心の翼をにごらせるな、とはこういうことだったのだ。憎しみで空を飛ぶ時、人間は容易たやく技術と経験をにぶらせる。


「……腹ぁ、減ったな」


 宿舎の自室で今、迅矢は大の字に天井を見上げていた。

 あれから諸手続きを経て、X-2心神しんしんは回収された。スクラップも同然の機体と一緒に、迅矢は再び小八洲島こやしまとうに返ってきた。そこからのことは、あまり覚えていない。書類を提出したりしたらしいが、そのまま宿舎に戻って泥のように眠っていた。

 そういえば朝飯も食べてないと気付く。

 とっくに時間は昼前になっていた。


「しゃーねぇ、パイロットは身体が資本だ。なんか食いに出るか」


 宿舎で家事一切を仕切っているのは、倉木千小夜クラキチサヨだ。彼女はまだ、女子高生である。この時間は当然、学校に通っているのだ。

 台所に残り物でもあればと、部屋を出る。

 階段を降りたところで、意外な顔が出迎えてくれた。


「あっ、おはようございますっ! あの、迅矢さん……怪我とか、ないですよね? 痛いとこあります? ……昨日は夕食も食べずに部屋に行っちゃったので、心配しました」


 何故なぜか、割烹着かっぽうぎを脱ぐ千小夜の姿があった。

 いないはずの人間の存在に、思わず迅矢は動揺した。

 誰にとってもお母さんのような、十代の若さが嘘のような母性に触れたからだ。いつも千小夜は優しいし、今日も笑顔を向けてくれる。そして、なにがあったかは聞かないのだ。

 思わず迅矢は、口ごもってうつむき……無理に笑って頭をガシガシかいた。


「よ、よお、千小夜ちゃん。おはよ! なんか食うもん、ある? 腹ぁ減ったぜ!」


 我ながら無様だと思った。

 見え透いた強がりも、それで取り繕うしかない程に傷付いた自分自身も。

 だが、千小夜はいつもの微笑ほほえみを向けてくれる。


「おにぎりがありますよ、迅矢さん。それでちょっと、お願いがあるんですけど」

「おう! かわいい千小夜ちゃんのためなら、なーんでもするぜぇ?」

「車、運転大丈夫ですか? バロンさんも基地に行っちゃってるんで、誰も運転できなくて。これから基地に、おにぎりとお茶の差し入れに行くんです」

「あ、ああ……基地で? な、なにしてんだろな、ええと、じゃあ――」


 焼けたアスファルトと、航空燃料の臭い。

 ジェットの轟音が反響する、青い空。

 民間の空港に隣接した、小さな小さな格納庫……そこに今、夢の残滓ざんしがある。再び空を掴んで、そこからずり落ちた男を体現する残骸だ。

 迅矢は自分でも情けないくらい、しどろもどろになった。

 別に運転くらいいいじゃないか。

 だが、自分はもうあの場所には行きたくない。

 行く資格もないと思ったし、行く価値のない人間だと感じたのだ。

 そんな迅矢を背後から、冷たい声が串刺しにした。


「フン! 恐いのか、人間。無様だな。撃墜された挙げ句、レディの頼みもきけないような男に落ちぶれたのか」


 千小夜が「ヘリオン君っ!」と小さく叫ぶ。

 振り向くとそこには、半ズボンにサスペンダー姿の少年が立っていた。

 普段は男児の姿を取っている、ペガサスのヘリオンだ。

 彼は容赦のない言葉を続ける。


「千小夜が、あの真面目な千小夜が学校をサボタージュしてまで、働いてるんだ。少しは協力したまえよ。それに……もう気付いてるんだろう? 仲間が、みんながなにをしてるか」


 ドキリとした。

 妙な汗がにじんで、可能性が口をついて出る。

 今、基地で行われていること……その想像はつく。

 願望が形になったように、ありありと目に浮かぶ。

 ストレガもバロンもいないし、勿論もちろんクサハェルも姿が見えない。


「むっ、無理だ……あそこまでなっちまった機体を直すなんざ」

「そう、普通では無理だ。そして、一度墜落した飛行機というのはね……完全に元通りには戻らない。心神という名の翼は、君が殺したんだ、人間」


 胸に深々と刺さる言葉だった。

 そう、迅矢の責任だ。

 戦闘機の全てに対して、パイロットは責任を持つ。だからこそ、万全の整備がなされた機体でも自分でチェックするし、厳しい項目をクリアし、マニュアル化するのだ。それを十全にこなす者だけが、栄誉ある蒼穹そうきゅうの騎士となって飛ぶ。

 そういう意味では、墜落は全て迅矢のせいである。


「おいおい、マジかよ……キツいな、ペガサス様はよぉ」

「僕は人間が嫌いでね。ストラトストライカーズに入ったのも、ケースDと戦うためだけじゃない……組織の庇護下に入ることで、身の安全を選んだんだ」


 ヘリオンは話してくれた……彼の過去、何百年も前の話だ。

 かつて天馬は、想像上の動物とは思われていなかった。神々に対する信仰心で満ちていた時代、天馬は空を駆ける実在の動物だと思われていたのだ。

 そして、多くの騎士や貴族達が天馬を欲した。

 人間はヘリオンやその一族を、自分達のためだけに追い立てたのである。


「人間というのは本当に嫌な存在だよ。空を飛びたくて僕達を求め、力ずくで従えようとする。エゴと欲が強過ぎる、神の唯一の失敗作さ。でもね、迅矢」


 不意にヘリオンの声が柔らかくなる。

 彼はそのまま迅矢の横を通り過ぎ、エントランスを玄関へと向かった。

 一度だけ肩越しに振り返ると、彼は初めて見せる悲しげな表情で言い放った。


「人間は同時に、強い意思を持っている。他者をいたわる優しさ、他者のために戦える勇気も。……残念だよ、迅矢。君は不遜ふそんで自信過剰な愚か者だが、卑怯者じゃないと思ってたがね」


 ヘリオンは出ていってしまった。

 立ち尽くす迅矢は、言葉が見つからない。

 自分がどうしようもない人間なのは、もうわかった。嫌という程、思い知らされた。

 だが、自分の仲間達はどうだ?

 自分と同等に、どうしようもない連中なのか?

 答は、いなだ。

 そして、素晴らしい仲間達に応えるために、迅矢がすべきことは一つしか無い。


「あの、迅矢さん……ヘリオン君も心配してたんです。朝からずっと、迅矢の奴はどうした、迅矢はくたばったのか、誰か迅矢を見てき給えよ、って」

「はは……あいつも色々あったんだな」

「ヘリオンさんは人間嫌いなんです。でも、仲間のことは信頼してくれる、わたし達の仲間の一人なんです」


 千小夜は畳んだ割烹着を手に、ゆっくりと話してくれた。


「今日、あの……生まれて初めて、学校をサボりました。家族が寝込んでしまって、って」

「なんか……すまねぇな。悪かったよ。嘘までつかせて、さ」

「嘘なんかじゃない、です……迅矢さんは、皆さんは、わたしの家族なんですから」

「……式、いつにしようか? 新婚旅行、どこ行きたい?」

「もぉ、迅矢さん? 冗談じゃないんですよ? わたし……神社の娘なんです。でも、家にいずらくて。そんな時、クサハェルさんに誘ってもらえて、嬉しかったんです」

「そっか」


 千小夜の家は、日本人ならば誰もが知ってる有名な神社だ。そして、そこでは今も力を持つ巫女みこ凶祓まがばらいとして戦っている。ケースDは空だけではない……この世界にはまだ、科学で解明されていない驚異が満ちている。

 闇から闇へと影の中、百鬼夜行ひゃっきやこう魑魅魍魎ちみもうりょうを退治する……それが千小夜の家の使命だ。

 だが、千小夜はその中では落ちこぼれなのだと笑った。

 皆、過去を背負って事情を抱えている。

 それでも、空を守るために集まった仲間だ。

 そして、目の前の少女は家族だと行ってくれたのだ。


「オートマの車、あっかな? 千小夜ちゃん」

「えっ? あ、はい。宿舎に備え付けのライトバンなら、多分……ふふっ」

「え、なんで? どして笑うの、俺は変なこと言ったか?」

「だって、パイロットなのにオートマって、なんだか」

「マニュアルは運転できるが、苦手なんだよ。バロンの車で思い知ったしな」

「大丈夫です、ストレガさんでも運転できるオートマ車ですから」

「げっ、あいつも運転すんのか? めた方がいいぜ、あの機械音痴きかいおんちが運転……危険だ」

「わたしもそう思うんですけど、田舎いなかは車がないと不便ですし。あ、助手席にいつも誰かに乗ってもらって、変な運転しないように見張ってもらうんですけどね」


 パタパタと千小夜は台所に戻って、大量のおにぎりをバスケットに入れる。

 迅矢も車の鍵を受け取り、靴を履いて外に出た。

 そこには、ヘリオンがいた。

 純白の天馬が、翼を畳んで立っていた。


「遅いぞ、人間。フン、少しはシャンとしたか?」

「……まあな」

「なら、いい。僕も不本意だが手伝おう」

「へぇ、流石さすがはペガサス様だ。ありがたいねえ。……ありがとよ、ヘリオン。で、具体的には?」

「ストレガを見張ろう。……想像してみろ、精密機械を修理する場に、あの機械音痴がうろうろしてたらどうだ?」

「……た、頼まれてくれるか?」

「いいとも」


 それだけ言うと、ヘリオンはバッ! と翼を広げる。

 一声高くいななくと、そのまま彼は空へと舞い上がった。

 純白の羽毛が舞い散る中で、迅矢は天をける仲間へ目を細める。


「準備できましたっ、迅矢さん」

「うし、じゃあ行くか。俺なりにけじめもつけなきゃいけねえ……悠長におちこんでなんかいられねえぜ。だろ?」

「はいっ!」


 二度あることは三度ある。

 だが、何度叩き落とされようとも、飛ぶことをやめない。

 やめてやらない。

 迅矢は今、自分のためにと汗を流してくれてる仲間のもとへ走り出す。その先へは、仲間達と一緒にまた進む。そう誓って、再び彼の中で心の翼が羽撃はばたきだしたのだった。

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