第21話「復讐の真実、憎悪の真理」

 霧崎迅矢キリサキジンヤは、落ちていた。

 そう、撃墜おとされたのだ。

 気付いた時には、全てが遅かった。自分の黒く暗い情念を、ストレガがいさめてくれたのに。それなのに、憎しみをしずめた瞬間の、その隙に付け込まれたのだ。

 背後からドラゴンに攻撃された、それだけしかわからなかった。


(俺は……死んだ、のか?)


 なにもない空間を今、どこまでも迅矢は落ちてゆく。

 痛みは感じないし、なにも見えず聴こえない。

 暑くも寒くもないし、無味無臭の虚無きょむが広がっていた。その中で、ただ落ちてゆく感覚だけが確かだった。


(お前も……やられてここへ来たのか? なあ、拓海タクミ


 後輩の名を呼んだ。

 あの日、ドラゴンによって殺された相棒、八谷拓海ヤタニタクミ。彼のかたきが取りたかった。同じ後輩で、拓海と結婚した奈美ナミには新しい命が宿っている。

 そのことを知らずに、拓海はってしまった。

 失われた命は、もう戻らない。

 それならばと、迅矢は仇討かたきうちを決意したのだ。人の死は、残された人間の中で記憶を殺す。美化されてゆく思い出も今は、迅矢も奈美も振り返られない。

 去った人のいた時間全てが、殺されてしまうのだ。


(そっか、はは……情けねえな。ミイラ取りがミイラになっちまった。仇を討つつもりがよ、ざまぁねえな。これが、心の翼を濁らせるってことか)


 苦笑が浮かんだが、声が出ない。

 薄れゆく意識は今、現実ではない場所からも消えようとしていた。

 だが、それでいいのかもしれない……ふと、そう思った。

 もしも拓海と同じ場所にいけるなら、その時は笑顔で再会して伝えよう。お前は父親になった、父として子が生まれる国を守ろうとしたのだと。

 そんなことを考えていると……突然、頭の中に映像が飛び込んできた。

 そして、少女の声が響き渡る。


『待って、駄目……もう戦争は終わるのよ』


 ストレガの声だ。

 だが、彼女は迅矢に語りかけているのではない。

 そして、目にする風景は小さな教会だった。

 此処ここではない時、今ではない場所……そんなフレーズが脳裏をよぎる。


(なんだ、ありゃ……あの黒服の女の子は、魔女子まじょこちゃん? 相手は……あれは、もうひとりの女の子は、誰だ?)


 今と違って、いかにも魔女というふうな黒い服を着たストレガ。教会の前でほうきを握り締める彼女の前に、白銀の鎧を着た少女が立っていた。短く髪を切り揃え、男装しているが若い女性だ。

 年の頃は丁度、ストレガと同じか、少し上か。

 まるで映画の中の光景で、それは目を閉じても迅矢の中で広がり続ける。

 ストレガの懇願こんがんする声は、まるで泣いているようだった。


『お願い、行かないで……フランスはもう、救われたのよ? 貴女あなたが救ったの』

『救われた……そう、私達で救った。でも、まだなんだ。まだ終われない……イングランドとの停戦じゃ無意味なんだ。この百年、停戦と開戦を繰り返してきたよね? それじゃ、駄目……本当に戦いを終わらせるためには、もう一つだけ勝利が必要なんだ』


 フランス? イングランド? そして、百年の戦争……世界史に疎い迅矢でも、おぼろげながら時代背景が見えてきた。

 そして、もしやと思えばひらめきが走る。

 直感だが、これは恐らくストレガの記憶だ。

 どういう仕組みかはわからないが、死にゆく中で迅矢はストレガの過去を見ているのだ。

 その舞台は、フランス……恐らくオルレアン。

 英仏百年戦争えいふつひゃくねんせんそうといえば、14世紀に戦われた大昔の戦争である。


『ヘンリー王子の戴冠式たいかんしきを見たでしょう? 彼の治世ちせいでフランスは立ち直る。だから、お願い……これ以上、その手を血で染めないで』

『大丈夫だよ、ね? 笑って……お願いだよ、私のかわいい人。貴女がくれた名が、このジャンヌという聖乙女ラ・ピュセルの名が、本当に戦いを終わらせるべきだと教えてくれるんだ』

『私、そんなことのために名前をあげたんじゃないわ。魔女の真名なまえは力の象徴……その名を得れば力をも得られる。でも、でも、ジャンヌ』

『そう、今のジャンヌは私。その力をくれたジャンヌは貴女だ……安心して。戦争を終わらせたら、この名を返して……そして、また一緒に二人で暮らそうよ』

『……わかったわ、ジャンヌ。私のかわいいジャンヌ。オーストリアで待ってる。ふふ……あそこ、私の小さな家があるのよ?』

『いいね。小さな家に二人で暮らそう。互いだけを見て、二人だけの時間を過ごすんだ』


 ――愛してる、愛してるのよ……ジャンヌ。

 。間違いない、これは百年戦争の記憶。そして……以前、ストレガは言っていた。と。その時、どこかさびしげだった意味がやっとわかった。

 魔女にとって名前は、特別なものらしい。

 それを得ることは、魔女の力を得ること。

 救国きゅうこくの聖乙女と呼ばれたジャンヌ・ダルクの、その奇跡とも思える活躍の秘密。それを今、迅矢は見ているのだ。ジャンヌとはストレガの名……かつての名前。それを彼女は愛する女性へ捧げ、自らの力の一部を渡したのだ。

 徐々に景色が遠ざかり、記憶の映像が途切れてゆく。

 そして、二人は別れた。

 ストレガを残して、歴史に名をきざんだジャンヌ・ダルクは行ってしまった。

 そのあとの結末くらい、迅矢でも知っている……正しい歴史、おぞましい悲劇へと向かって、愛し合う二人は別れた。女性同士であるとか、人間と魔女であるとか、そんなことがちっぽけに思えるくらい、それは綺麗で、美しくて、そして残酷なまでにはかない。


(なんてこった、魔女子ちゃん……お前さん……っ! こ、今度はなんだ!?)


 突然、別の映像が割り込んできた。

 少し時代が進んだのか、百年戦争より現代に近付いた気がする。銃を持った兵士達がいるし、今度は大勢の市民が集っていた。

 だが、やはり荒んだ時代に思えた。

 何故なぜなら……見せられた光景の中央には、巨大な断頭台ギロチンが置かれているからだ。

 そして、今まさに首をねられようとしてる女性の姿がある。


(なっ……魔女子ちゃんっ! なにが……どういう繋がりだ? ここはフランスなのか? ええい、なんの話だ。魔女は死なねえって言ってが、これは)


 熱狂する市民達の声が、怒号となって叫ばれた。


『魔女め! 傾国けいこくの魔女、マリー・アントワネットめ!』

堕落だらくの象徴、放蕩ほうとう好きの淫売いんばいに死を!』

『フランス市民として処刑される栄誉を胸に、地獄の底で死に続けろ!』


 怒りに満ちて狂気さえ帯び、空気を沸騰ふっとうさせる声が名を叫んだ。

 そして、断頭台の前に引きずり出されたストレガもまた叫ぶ。

 そこには、普段は絶対に見られない彼女の激昂げきこうの表情があった。

 美貌を燃やしてストレガは憎悪を叫んでいた。


『死ぬのは貴方達あなたたちよ、フランス市民! いいえ、フランスは死ぬ……私が殺すの! 私の大事な、大切な人を奪ったフランスへの、これは復讐。フランスよ、その信仰心を私が殺してあげる!』


 ストレガは今、フランス革命で処刑されるマリー・アントワネットだった。なにがどうなっているのか、迅矢にはよくわからない。

 だが、堂々とした態度で、ストレガは処刑人に挟まれながらも絶叫を張り上げる。


『魔女は私、私なのに! あの人をお前達は、フランスは魔女として殺した。だから、私は復讐のためにオーストリアから来た! この時をずっと、待っていた! 死になさい……信仰心も、権威への敬意も、死に絶えなさい! フランスよ、お前達はこれからずっと、文字と数字、実態あるものしか信じられない存在になるの。永遠に!』


 あっという間に目の前の光景が遠ざかった。

 そして、歴史は教えてくれる。

 フランス革命によって、自由の権利を民はつかんだ。王制は廃止され、フランス市民は人間の残虐性を余すことなく発揮したのだ。

 以来、フランスは優れた先進国であると同時に……見えないものを信じられず、見えぬものを信じる者への敬意を失った。マリー・アントワネットが……ストレガが、自らの首を使って敬虔けいけんさを殺したのだ。


(よせ……やめろ、魔女子ちゃん! なんで……そうか、これが……これが復讐かっ!」


 目を見開いて、気付けば迅矢は絶叫していた。

 そして、自分が大地に横たわっているのに気付く。そして、見上げればそこには、膝枕ひざまくらをして見下ろすストレガの無表情があった。

 彼女は、どうやら自分の過去を見られたことに気付いていないらしい。


「目が覚めましたか? ウォーロック」

「あ、ああ……俺は?」

「間一髪、私の魔法が間に合ったようです。ですが」


 つい、と顔を上げたストレガが視線を放る。

 身を起こして、その視線に迅矢も視線を重ねた。

 そこには……墜落ついらくしたX-2心神しんしんの姿があった。

 原型こそとどめているが、不時着と呼ぶにはあまりにも痛々しい。あの時、ドラゴンの不意打ちを喰らったのだ。そして、ストレガが魔法で守ってくれた。

 迅矢が生きている理由がそれで、しかし翼はもがれてしまった。


「は、はは……これが復讐心の代償、か。俺はまた、翼を失ったのか」

「心の翼が濁れば、それを空は遠ざけます。広がる蒼穹そうきゅうは常に、けがれを知らぬ青に満ちているから」

「……なあ、魔女子ちゃん」


 迅矢は顔を手で覆った。

 静かな森の中、ストレガと二人きりだから涙は恥ずかしくなかった。声を出して泣き叫びたい中、ぐっとこらえて手の中で泣く。

 そんな迅矢を、背後からストレガは優しく抱きしめてくれた。

 迅矢はまた、愛機を失ってしまったのだ。

 物言わぬ翼は今、大地に横たわりながら無言で迅矢を責めてくるように沈黙している。プロのパイロット、戦闘機乗りだからわかる……心神はもう、飛べない。

 あまりに大きな代償に、迅矢はただただ幼子のように泣きじゃくるしかできなかった。

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