第20話「穢れた翼を癒やす白」

 飛び立ったラピュタが、あっという間に背後に消え去った。

 怒りと憎しみで凝縮された気持ちが、熱く煮えたぎる。

 霧崎迅矢キリサキジンヤは今、血走る瞳でキャノピーの前をにらみつけていた。手の感覚がなくなるくらい、堅く操縦桿スティックを握り締める。

 全身の血を沸騰ふっとうさせて飛ぶ先には、あの因縁のドラゴンが飛んでいる。

 そう思うと、彼の闘志は猛り荒ぶった。


「逃がしゃしねえぜ、トカゲ野郎……今度こそ、決着をつけてやるっ!」


 音速を超えた時、人間の視界は限りなく狭くなってゆく。

 そして、鋭く研ぎ澄まされて尖ってゆくのだ。

 ただ一点を見詰めて、そこへ精神力と集中力を収斂しゅうれんさせてゆく。その時、パイロットは機体の部品となって一体化するのだ。

 今、X-2心神しんしんは迅矢と人機一体となって飛んでいた。

 耳元では、背後を飛ぶ声が響く。


『こりゃ! ウォーロック、応答せんか! なにがあったんじゃ、いなくなったと思ったら突然飛び出しおって!』


 ドワーフのタックネームでお馴染み、バロンの声だ。

 いくら無数の術で強化されているとは言え、彼の愛機はTa152H-1フォッケウルフ……レシプロ戦闘機である。マッハで飛ぶ迅矢のレーダーでも、じりじり遅れているのが見えた。


「心配すんな、じいさん! 因縁にケリをつける、それだけだ」

『やめんか! 例のドラゴンじゃな? 復讐などむなしいとは思わんか』


 悪いが、全く思わない。

 後輩の八谷拓海ヤタニタクミはこの空で死んだ。

 国を守って殉職じゅんしょくし、妻の身に宿った我が子を知らずに旅立ったのだ。

 この無念を自分の無能さに置き換えての、悲劇を気取ったエゴに見えるだろうか? そう見えるならそれでいいし、人がどういう話を聞こうが知ったことではない。

 仲間のかたきは、討つ。

 因果いんが往訪おうほうせよと、戦士の誇りが自分にささやいている気がした。


「さあ、出てこい! 手前ぇみたいなトカゲ畜生ちくしょうになあ……大事な仲間をやられたままで、人間様が引っ込めるかよ!」


 殺意の塊となって、殺意を翼に込める。

 フル加速で飛翔する心神は、あっという間にバロンのフォッケウルフを置き去りにした。

 だが、まだ回線の向こうから声が響く。

 無線機は逼迫ひっぱくした少女の声を、ありえない音と共に運んでくる。


『迅矢さんっ! いけないです……もしドラゴンを探してるなら、やめてくださーいっ!』


 エルグリーズだ。

 そして、後方警戒用のレーダーが高速の飛翔体を捉える。

 しかも、迅矢は確かに聴いた。

 巨大なけものが大地を駆ける、その雄々しい足音が響いているのだ。


「おいおい、高度一万メートルだぜ? ……クソッ、平気で追いついてきやがった」


 息を荒げて疾駆する四本脚は、銀色の獣だ。

 あっという間に、巨大な天狼てんろうが横に並ぶ。その背に、槍を手にしたエルグリーズがまたがっていた。ワルキューレの彼女が使役するのは、確かフレキとかいう幻獣である。

 悪い夢を見ているような光景だったが、すでに迅矢は慣れ始めていた。

 そして、誰が止めたって立ち止まらない。

 不思議とストレガの顔が思い出されたが、彼女の言葉でも同じだろう。


「なんつーバケモノだよ」

『友達のフレキさんです!』

「名前を聞いてるんじゃねーって、はは……ま、俺には俺のやり方がある。後のドワーフに伝えてくれ。無茶はしねえ、今ので冷静になった。そして冷徹に、冷酷に驚異を排除する。淡々とな」

『待ってください、あのっ! わたし、ストレガちゃんから連絡もらってて!』


 その時だった。

 ついにレーダーは、龍の影を捉えた。

 瞬間、翼は復讐鬼アヴェンジャーの刃と成り果てる。

 レーダーの上の光点でしかない敵意が、迅矢にははっきりと感じ取れた。間違いなく、例のドラゴンだ。パイロットとしての直感がそう訴えてくる。

 隣のエルグリーズは、加速する迅矢の横をまだ走り続けていた。


『迅矢さんっ、早まっちゃだめですぅ! あのドラゴンは、もしかしたら――』

「見付けたぜ! ウォーロック、エンゲージ! おおおおっ!」


 雄叫びが自然とほとばしる。

 後方に気付いたドラゴンは、蒼穹の黒い点から急激に膨れ上がった。そのシルエットがハッキリ見える距離まで近付いた時点で、物理法則を無視するようにドラゴンはダイブする。

 だが、その人智を超えたマニューバに、迅矢は追いついていた。

 機体の性能もある……ステルス性を持ちながらも、心神の運動性と格納能力は極めて高い。そして、二度に渡るドラゴンとの遭遇が、迅矢の中に龍殺しドラゴンスレイヤーの覚悟を育てていた。


「見えてるぜ……手前ぇのその、ありえねえ動きがな。読める……手に取るように、わかるんだよぉ!」


 オカルトのたぐいは信じないたちだが、こんな任務ばかりで迅矢も変わったのかもしれない。密教の高僧が祈祷きとうしてくれた機体だし、仲間は魔女ストレガ天馬ペガサス幽霊ゴーストファイターだ。

 おまけにすぐ横を、北欧神話の戦乙女ワルキューレが走っている。

 もう、疑う気持ちを信じるのはやめていた。

 ドラゴンは首をめぐらし背後を見て、驚いたように瞳孔を収縮させる。そのわずかな動作まで、迅矢の動体視力は捉えていた。目で見ているのではない……額の奥の何かが、見定めている気がした。


『もぉ、どーしたら……フレキさーん、どうしましょう! 困ったよぅ』


 狼狽うろたえるエルグリーズを、はるか前方に置き去りにする。

 ほぼ同時のタイミングで、ドラゴンと迅矢は同時に空気をつかんだ。

 心神が直立に近い形で天をき、全身で風を受けて減速する。高度な姿勢制御システムを持つ心神と、類まれなる操縦技術を持つ迅矢のコブラ機動。

 ドラゴンも翼を広げて隣に並びながら、こっちを向いて口を開いた。

 だが、心神の機銃は当然のように前方しか撃てない。

 首を巡らせ真横に狙いを定めて、ドラゴンの口が燃え盛る。

 だが、迅矢は冷静だった。

 さらなる失速……そのまま背後に倒れるように心神は背面飛行、そして安定性を失って震えながら落ち出す。

 一瞬前の迅矢と心神が、まばゆい火球の爆発で蒸発した。


「避けたっ! っしゃあ……次はっ、こっちの番っ、だああああっ!」


 制御不能の失速状態から、強引に機体を立て直す。

 木の葉のように宙を待っていた心神は、再び迅矢の闘争心こころを体現する戦神かみとなってえた。ジェットの轟音がアフターバーナーで雲を引き、勝ち誇ったドラゴンへとすぐさま上昇する。

 意表を突かれたらしく、全くの無防備な背がそこには見えた。

 トリガーへと指が乗る。

 秒間百発を超える発射速度で、銀の弾丸がぶちまけられる瞬間だった。

 だが、音の速さで戦う迅矢を、空気の震えで声が止めた。


『いけません、ウォーロック! 濁った心の翼では、闇のふちとらわれます!』


 少女の声だった。

 だが、いつもの冷静で平坦な声じゃない。

 初めて聴く、それはストレガの叫びだった。

 咄嗟とっさに迅矢は、射撃ポジションを捨てた。

 一度離れつつ、ドラゴンをいつでも追撃できる場所で首を巡らす。酸素マスクを外して視界を確保すれば、ほうきまたがった白い魔女が浮かんでいた。

 エルグリーズの安渡の声に、ストレガはいつもの抑揚に欠いた声を返す。

 先程の、撃発するような声は勘違いか?

 だが、確かに迅矢は聴いた……魔女の叫び、悲痛な声を。


『ストレガちゃんっ、よかったあ。わたし、お手紙もらって気になってて』

『ええ、ヴァルキリー。ラピュタに立ち寄ったと聞いて、迎えに来ました』

『ストレガちゃん、またヴァルキリーって。それ、お仕事用の名前ですよぉ? お友達なんだから、エルグリーズのことはエルって呼んでくださいっ』

『……名の無い私には、その名はまぶぎます』


 ゆっくりと迅矢の横に、ストレガが箒を寄せてきた。

 コンコン、と外からキャノピーを叩いて、そして仰天の行動に出る。

 思わず迅矢は絶叫してしまった。


「おいっ、馬鹿野郎! 落ちるぞ!」

『ご心配なく。私は魔女ですので』

「死ななきゃいいって話じゃねえ!」


 ストレガは「よいしょ」と、少し年寄り臭いことを言って……なんと、。外は高度一万メートル、大気と気圧は地上とはまるで別物だ。

 だが、まるでそよ風の中で散歩するかのように、心神の機首ノーズにストレガは立った。

 そして、腰に両手を当てて僅かに身をかがめ、キャノピーのすぐ前まで歩く。

 もはや魔法というレベルじゃない、ある種の奇跡だ。


『ウォーロック、真っ先に貴方あなたに話をしておくべきでした。あのドラゴンには事情があります。そして……復讐は虚しい、などとは私は言いません。ですが、

「……やられて、やりかえして、またやられかえす……そう言いたいのか?」

『老婆心からの忠告です。……経験則、とも言いますね』


 相変わらず怜悧れいりな無表情だ。

 だが、不思議とその目元はさびしげで、そして優しい気がした。

 迅矢は戸惑いながらも、決意が鈍って揺らぐ。覚悟ももう、胸の奥へ引っ込んでしまった。ひょっとしたらストレガは、自ら危ない行動で迅矢の目を覚まさせてくれたのかもしれない。

 変な笑いが出て、迅矢はどっとコクピットのシートに寄りかかった。


「なあ、魔女子ちゃん」

『はい』

「ぱんつ、丸見えだぜ? 下着まで白か」

『……見られて恥ずかしい程、汚れてるはずがありません。

「毎日着替えろよ! なにしてたんだ!」

『病院から戻ったので、溜まった録画のアニメをずっと見てました……16時間位でしょうか』

「は、はは……女の子がいけねえよなあ、それ。アホか。……着替えさせてやろうか? 言われりゃ脱がして、朝にまたはかせてやるさ」


 ストレガが『おかまいなく』と、僅かに笑った気がした。あるいは、安渡の表情か。

 だが、その時迅矢は気が付かなかった。

 静かに浮かぶ心神の背後に、ドラゴンが回り込んでいたのを。

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