05:囮と罠

「私たちどうなっちゃうんだろうね」


 ラフィの呼びかけにシデからの返事はない。二人は今、荷車の上に乗せられ、背中合わせになるよう縄で縛りつけられていた。外套を取られたせいで正直寒い。


 場所は里から南、森の途切れたあたりの開けた所だ。自分たちとは別に、両脇に隠されるように大きな弓のような装置が乗せられた荷車が見える。


 もともと昼まで見せつけ、その後開拓についての話し合いをする予定だったのだが、御使みつかいと別れて満面の笑みで戻って来たラフィはそのまま捕まってしまった。


 雪が音を吸い、あたりは静寂に包まれている。シデによるとあの男たちは隠蔽術とかいう技を使うらしく、周囲に誰も居ないような気がしてしまうくらい気配がなかった。本当に居ないならラフィとしては逃げ出したい。


 今、ラフィは御使い様を呼ぶための餌扱いをされていた。今日は早めに切り上げたが、いつもなら昼から夕方まで一緒なのだ。何時自分のもとへ来てもおかしくない。

 御使い様はここ数年匂いか何かで何処に居ても自分のもとへ来てくれるようになっていて、それがラフィとしては嬉しかった。


 けれども、今だけは来て欲しくない。騙して自分たちを捕らえるような、御使い様を敬わない野蛮で卑怯な人間たちの思惑通りになんて行って欲しくない。あれだけ優しい御使い様を傷つけて欲しくない。


 しかしラフィの願いは届かなかった。白い獣、御使いは何の警戒もなくラフィの視線の先に顔を出す。

 最近合流するのは西が多かったせいか、首を傾げるように様子を見ている獣だったが、ラフィが近寄って来ないのを見て、自分からゆっくりと向かって来た。


「御使いさ」


 警告しようとしたラフィの口は突然塞がれる。全く気配を感じなかったというのに、いつの間にか真横には男が一人座り込んでいた。

 ここまでわからないなんて、とラフィはぞくりと寒気がしてしまう。こんなおそろしい術を、こんな奴らが平然と自分たちのために使っているのだ。


 神の遣いである優しい御使い様には通じないと、そう信じたいラフィだったが。ここまで用意周到で手慣れている男たちの様子を見ると不安で仕方なかった。


「きゅい?」


 こちらへ悠々と歩いきながらしきりに首を傾げる獣は、ラフィのことばかり見ていて、周囲の状況は気にしていない。それだけ、これまで自分を脅かす存在が居なかったのだろう。


 その無防備な歩行に、両脇の幅6mはある大きな弓のような兵器は照準をつけていた。隠蔽状態の男たちはラフィからも見えなかったが、白い獣が射程に入るのを待っている。

 ラフィは居てもたってもいられず、首を振りどうにか口を押える手をどけようともがき、指がずれた瞬間に思いっきり噛みついた。


「いってぇこのガキ!」

「逃げて御使い様ー!!」

「放て!」


 噛みつかれた怒りでラフィを蹴ろうとする男。ラフィをかばい、身をよじって男との間に割り込んだシデ。

 叫びはしたがシデに押しのけられて荷台へと倒れ込むラフィ。急な叫びに足を止めた獣と、それを見て即座に命令を下した隊長と呼ばれる男。


 全ては一斉に起こり、放たれた巨大な槍は一直線に獣へと飛んでいた。


 何頭もの馬の腱を捩り合わせ、金具を用いて固定し、その強力な張力を持って太く巨大な槍を飛ばす攻城兵器。荷台に積まれ、隠蔽されていた二つのそれが逃げ場のない十字射撃となるよう放たれた。

 高速で飛びかかる、大人の胴並に太い槍。そしてその先に備わった大きな金属製のやじりは空気を切り裂き、動きの止まっていた白い獣へと吸い込まれ――。


 甲高い悲鳴が平原に鳴り響いた。


 立ち上がりかけていた獣は一本目を避けようと動いて胸あたりを抉られ、体勢を崩したところに二本目が命中し、左翼を貫通して背中へ突き刺さっていた。

 飛び散って舞う白い毛に、赤い血が混じる。真っ白な雪と毛が赤く染まり、獣はよろめいて踏みとどまった。


「そんな、御使い様!」

「ようし命中! 見たかガキども!」

「追い打ちをかけるぞ野郎ども!」


 にわかに周囲が騒がしくなる。隠蔽を解いたのか、左右の兵器はそれぞれ三人がかりで握りを回して巻き取りを開始し、どちらも一人ずつ新たな槍を運んでいる。

 残りの一人、作業をしていない火傷の男は鋭く獣の動向を見ていた。


「なんだ?」


 白い獣は翼を広げるような恰好をし、四本の尻尾を大きく広げて威嚇するような格好になっている。

 これまで男が相対してきた竜も、不意打ちを受けると一旦飛んで距離を取ろうとするものが少なからず居た。


 臆病な竜がそれであり、今回もそれを警戒して槍は翼を狙うように言ってあったし、重量のある槍がそれをさせないはずである。


 男の見ている前で、ぱちぱちと空気を叩くような音がし始めた。獣の膨らむ毛並みから、ここまで聞こえるほどの何かが起きている。それが何なのか見極めようと、男は身を低くして事態に備えた。


「逃げて御使い様ー!!」


 そんな緊張感をラフィの叫びが割る。途端、白い獣はぴたりと止まり、その言葉を理解したかのように反転、来た方角へと走り出した。あまりの変わり身に男たちは虚をつかれたように固まってしまう。

 これまで相手にして来た竜は炎など何等かの攻撃手段を持っていたから、今回もそれを警戒し見切るつもりでいたというのに手札を拝めなかった。


「ちっ、ここまで来て言うこと聞くかね普通。予定変更、追いかけるぞ。追跡はどうだ!」

「これだけ奴の毛があれば行けますぜ」

「移動準備! 致命傷は与えてねぇ。きっちり追って仕留めるぞ」


 男たちは車輪の固定を外していく。逃がしたというのに全く焦っていないのを見て、ラフィの方が焦りを感じてしまった。

 転がった状態でちらりと振り返れば、同じ荷台には祭りで使うはずだった御使いの毛束で覆われた御柱みはしらが何本か転がっている。


 どういう原理かはわからなかったが、あいつらは巫女の御役目として何年もかけて集めたこれを使って御使い様を追うつもりなのだ。それが、とてつもなく悔しい。


「隊長、ガキ共どうします?」

「こっからは要らねぇ。適当に降ろしとけ」

「待てよ。このままじゃ凍死するだろ。俺たちを殺す気か?」


 先ほどのどさくさで小柄な男に散々蹴られていたシデが絞るような声をあげる。ラフィは御使いや自分のことばかり気にしていて、自分をかばった幼馴染のことがすっかり頭から抜けていた。

 シデは果たして無事なのか、後ろ手同士を縛り付けられているためその確認すらできない。


「殺しゃしねぇよ。竜はともかく、長の孫と巫女を殺したなんて要らぬ恨みを買っちゃおいしくねぇし、領主に捕まっちまう。ま、精々俺らがうまくいくことを祈っておくんだな青年団長殿。無事仕事を終えたら解放してやるよ」


 男たちは乱暴に二人を降ろし、荷車を動かして行ってしまった。日がまだ高いとは言え、外套もなく雪原に置き去りでは凍えてしまう。けれども、ラフィが心配していたのは自分のことではなく御使いのことだった。


 槍が刺さり、逃げていくその姿を思い起こす。傷のせいか槍が重いのか、その動きはラフィの知っているものより少し鈍かった。

 無事に逃げ切って欲しいが、男たちは探知術とかいう秘術も使うらしいし。柱もなく、里も吹雪をどう凌ぐのか。


 とりとめなく考えに入り込んでいたラフィは、後ろでもぞもぞと動く気配を察し、幼馴染のことも思い出した。そうだった。自分をかばってくれたシデは無事なのか。


「シデ! シデ大丈夫なの!?」

「……ああ。くそっ、あいつら。すまんラフィ。俺が迂闊だったばかりに。でも、あいつら見張りを置いていかなかった」

「え、ちょっと。シデ、何を」


 見る事は出来なかったが、シデが何やらぐいぐいと押して来るのがわかる。一体何をしているのだろうか。


「良し。あいつら、俺らを舐めすぎだよなラフィ!」

「え? え??」


 ラフィが混乱している間に縄を切ったシデは手早くラフィの縄も解いていく。よくわからぬうちに解放されたラフィは自分を縛っていた縄を見て、結び目が鋭利な刃物で切られていることに気が付いた。

 見れば、シデが小さな刃物を手にして笑ってみせている。その笑みを見せる口元が少し赤くなっていた。


「シデ、血が」

「口の中を切っただけだ。それよりラフィ、お前は今すぐ里へ行ってこのことを伝えるんだ」

「でも御使い様が」

「御使い様は俺に任せろ。あいつらの好きになんてさせてたまるか。絶対阻止してやる」

「うん。うん!」


「だからお前は里に戻って、人を。あと柱のことと風対策も」

「うん、わかった。シデ、お願いだから。御使い様を助けてあげて」

「ああ」

「それと、シデも。シデも死んじゃ嫌だからね」

「……ああ。ったく、縁起でもないこと言うなよな」


 二人は苦笑し合い、それぞれの針路をとった。シデはわだちを追って、ラフィは里へと走る。様々なことが間に合うようにと。


 しかし里周辺では二人を追い立てるように、冷たい風が吹き始めていた。

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