御使い様と巫女少女
草詩
01:御使い様と巫女
“遠き百山の裾野にて、
そのもの四つの尾を持ち。
鋭き爪と空を覆いし翼を振るい。
美しき純白の毛を携えていたという”
一面真っ白の雪に覆われた森に、木々の間を進む小さな背中があった。何度も同じ所を行き来しては地面を踏み固めるその動きは、ちょこまかと動きまわる小動物のようである。
「よいしょよいしょ。この辺り踏み固めが甘いなぁ。手抜きだぞー」
ぶつぶつと呟きながら動き回るのは十代前半ほどの少女だった。膨らませた頬は真ん丸で、まだまだ幼気は抜けきらず。淡い褐色の瞳でしきりに後方確認しながら、ぴょんぴょん跳ねては雪を踏み固めていた。
分厚く大きな外套を頭まで被った少女はひとしきり跳んだかと思うと、今度は四つ這いとなって足下を確認し始める。
踏み固められた雪には白い毛束のようなものが埋め込まれており、少女はその状態を見ているようだった。
「とりあえずこんなものかな。間に合いそうで良かった。というわけで、お待たせ!」
少女が振り返った先、木々の向こうにそれは居た。
少女が森から抜け出し、身を投げ出すように跳躍すれば、その獣は身を反転。真っ白でふわふわな毛並みに覆われた立派な尻尾を差し出して、少女を上手に受け止めた。
「待っててくれてありがとう御使い様。今日は何処行く?」
少女は尻尾に掴まりながら笑顔で問いかけた。御使いと呼ばれた獣はただ「きゅーい」と短めな返事をし、雪の中を進んで行く。
そのどれもが白く綿毛のように空気を孕んだ毛並みに覆われているのだから、傍から見れば動く毛玉のような変わった獣だった。
唯一毛に覆われていないのは前腕くらいで、そこだけは肘先から指先まで毛ではなく鱗に包まれ、大きな爪が生えている。まるで鳥の脚みたい、と少女は初めてこの獣に会った時に思ったものだ。
「川に行くの? あそこ私寒いんだけどー」
尻尾に乗った少女の不満気な声に、獣は「きゅい」と小さく鳴いて応えた。わかっているのかいないのか、どうやら進路を変更する気はないようだ。
かくして辿り着いた川縁で、白き獣は横たわる。そのままちょっとだけ翼を動かして振るい、尻尾を丸めて少女を引き寄せた。
翼と思われる部分まで綿毛が覆っていて、あれで飛べるのかなぁと少女はいつも不思議に思う。飛ぶところは見たことがないので、もしかしたらただの名残なのかもしれない。
川縁は少し開けた場所となっていて、ひんやりとした石がいくつも転がって、通る風も冷たいので少女はとても寒かった。とはいえ、寒さに負けてもいられない。
「じゃ、いつものお仕事。やるからね?」
尻尾から降りて、少女はそう宣言した。言って取り出したのは少女の手には少し大きい刷毛(櫛。この場合はブラシのこと)である。
木彫りの四角い台にいくつもの小さな毛束が植え込まれたもので、それを用いて獣の毛を
獣の方も手慣れたもので、少女がそれを掲げた途端、四本の尻尾を向けて少女を包んでしまう。
これなら暖かいでしょとでも言いたげに一声鳴くと、獣は少女の被っていた外套の頭巾を口で外していた。
「あ、もー。本当、御使い様は私の髪好きだよね。しょうがないなぁ」
頭巾に仕舞われていた長い三つ編みが獣の尻尾へ落ちていく。少女の髪は雪や獣の毛並みに負けないくらい真っ白で、それこそが里において御使いの世話をする巫女の証となっていた。
生まれてから一度も切ったことがないその証を、ことさら獣は好きなようで。遠慮なく鼻を突っ込んでくるから少女としては困りものである。
そうして少女は全身をふわふわな尻尾に包まれつつ、そのうちの一つに刷毛を通し。獣の方は丸まった姿勢で鼻先を少女の頭付近に近づける。
高くなった太陽の下、そうやって時を過ごすのが、一人と一頭の日課であり仕事だった。
少女が一通り仕事を終え、里へと戻った頃には日が傾き始めていた。山麓の森に紛れるように存在する里では方々に篝火が焚かれ、道行く人の数も少ない。
木造の家々からも煙が立ち昇っているので、どこも夕餉の時間なのだろう。
「お、ラフィ。今日はちょっと早いか?」
「お、ラフィじゃないよシデ」
里の入り口で、
シデと呼ばれたのは黒の短髪に人懐っこい笑みをした快活そうな青年で、ラフィの様子を見て首を傾げている。
「なんだラフィ、餌でも溜め込んでるのか?」
「違う。私はお怒りなの。青年団、西のあたり手抜きだった。大事な大事な準備なのに!」
「わかったわかった。団長としてしっかり伝えておくよ。西の担当は誰だったかな」
「もー、そんな簡単な話じゃないのに!」
地団駄を踏むラフィに苦笑してシデは手をひらひらと振った。シデが勤める青年団は里の若者たちによる自警団である。
普段から雑務など様々な仕事をこなす彼らは、今回もとある祭事の準備を行っていたのだが、ラフィはその仕事ぶりに不満なのだった。
そうやって騒がしく二人が櫓の上と下で押し問答をしていると、奥の建物から一人の老人がやってきた。
白髪まじりの髪をまとめ、髭を生やしたその人物はラフィの姿を見てにこりと微笑む。
「おお、待っとったぞ」
「あ、長。今日もちゃんと御役目は果たしたよ。はいこれ!」
ラフィは元気に言うと、外套の下をまさぐって30cmほどの白い毛束を取り出した。それはさっきまでラフィが相手をしていた獣、御使いと呼ばれるものの抜け毛である。
「どれどれ。今代のトガは良い仕事をしよるのう」
「長、またトガって呼んだー」
「ああ、すまんすまん。どうにも古い呼び名が出てしもうて。ほい、今日の分は確かに」
「長、それで足りそう?」
「ふむ。
「じゃぁ明日も行ってくるね」
“
今年はその祭事の年であり、ラフィにとっては大事な時期なのだ。十年前は先代が成功させたというが、当時のラフィは四歳だったでほとんど覚えていない。
そしてその先代も旅立った今、全てはラフィの小さな肩にかかっているのであった。
「うむ、頼んだぞ。それと」
「なに爺ちゃん」
おもむろに櫓の上へと視線を向けた長に、シデが気付いてぼんやりと返事をしていた。その瞬間、ラフィには好々爺のように接していた長が豹変する。
「今は長じゃ馬鹿者。いいか青年団長。十年に一度の大事な祭事、手抜きをした団員はしっかり教育しておくように」
「は、はい!」
「しかし、なに爺ちゃんとは腑抜けておる。この様子ではまだまだ教育が必要かもしれんのう」
「……勘弁してくれよ」
シデは長の孫であり、その立場もあって青年団長に選ばれていた。しかしその経緯だからこそ舐められてはいかん、と厳しい教育が日夜行われているらしい。
そう小耳に挟んでいた、というか本人から愚痴られていたラフィは少しだけ同情の眼差しを送りつつ、その場を離れていった。触らぬ神に祟りなしである。
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