最終話 それが恋だというのなら

 体育祭での振替休日も明け、いつもどおりの日常が始まろうとしていた。


「たどっち、元気だしてよ・・・」


「・・・まぁ、仕方ないさ。そんなに落ち込むなよ田所」


 始まろうとしているのに、俺の気持ちはどうしてもついてきてはくれなかった。


「それにしても、望月先生もなかなか大人な対応だよな」


「確かにね。たどっちを傷付けないようにと、言葉を選んでくれたんだろうね」


 そう、体育祭のあの日。望月先生が来てくれる最後の日。俺は望月先生に告白しようと決意し、勇気を出して俺の思いを伝えたのだ。しかし、結果は惨敗。綺麗さっぱりフラれてしまったのだ。



*****



「田所君の気持ちはとても嬉しいわ。でもね、私と会うことはもうないのよ?そんな人を思うよりも、田所君の近くにいる、田所君と一緒に居てくれる人にも目を向けてあげて。きっと、田所君が見てこなかっただけで、たくさんの人が田所君の素敵なところを知ってるわ。だから、私じゃなくて他の人を好きになってあげて」



*****



 何ともまあ遠回しな言い方ではあったが、俺の初恋は儚くも散っていったのだ。


「元気出せよ田所。初恋が叶う確率なんて、これっぽっちなんだぜ?だったら、望月先生が言ってくれたように他の人を好きになればいいだろ?」


 「他の人を好きになる」。テレビでも、そんなことを簡単に言ってはいるけど、失恋を知って初めて分かった。人の恋心は、そう簡単に割り切れるものじゃない。


 きっと、他の皆も俺の知らないところで誰かを好きになって、その人のことを思い続けて、色んなこと必死になって、そうやって日々を過ごしているのかもしれない。バドミントン部の部長であり、クラスメイトの長瀬さんもそうなのかもしれない。口にしていないだけで、悩みや不安や、その逆、嬉しいことや、楽しいこと、たくさんの感情を抱いているのかもしれない。


 今まで俺は、恋愛には無頓着だった。それはきっと、自分とは程遠い世界のものなんだと、勝手に決め込んで、自ら距離を取っていたのかもしれない。世間で描かれる恋愛は、複雑で、面倒で、下手をすれば傷つけ合うもの。そんなイメージに囚われていたのかもしれない。でも、実際に恋をして分かったのは、誰かを思って悩むことは苦ではなかった。どれだけ悩んだって、あの人の笑顔が見れればそれで満足できたんだ。きっと、俺は単純なこと男だ。あの日、最後に「ありがとう」と言ってくれた望月先生の笑顔が、今でも忘れられない。


「はぁ・・・何で教育実習生っていなくなっちゃうんだろうな・・・」


 俺はふと、そんな不満を呟いていた。


「そりゃぁ、実習生とはいえ大学生だからな。終わったら大学に戻るんだよ。それに、この時期だと教員採用試験とかあるだろうし、大学で勉強するんだろ」


 体育祭が終わって、何故か髪を切ってきた林田がそう言った。普通、体育祭後に髪を切るのではなく、体育祭前に切るものではないのかと思ってしまったが、そこはあえて黙っておいた。髪が短くなった分、寝癖が無くなり、少しはまともに見えるようになったからか、いつにも増して林田が真っ当な人に思えてきた。


「・・・いや、何で林田はそんなに詳しいんだ・・・?」


 いくら体育祭で大活躍だった林田とはいえ、休みが明けた途端に人が変わったかのように、博識になるなんて少々気味が悪い。


「何でって、そりゃ俺の兄ちゃん学校の先生だし?何年か前に、教育実習もやってたし、試験だってやってたからさ。もしかしたら、望月先生も同じなのかなって」


 意外だった。まさか、林田にお兄さんがいて、しかも学校の先生とは。もしかすると、実は林田は頭がいいのかもしれない。あくまでも、かもしれないの話だが。


「なるほどね───、って、待てよ・・・」


 突然、自分でも素晴らしいと思えてしまう程のアイデアが降ってきた。


「どうしたの?」


「なんだ?」


 二人が心配そうに俺の事を見ているが、そんな顔をする必要なんて何処にもない。寧ろ、その逆、一筋の光が見えたのだ。


「あのさ───」



*****



 それから数週間後。体育祭の余韻も程々に、学年の雰囲気は少しばかり緊張感を帯び始めていた。そう、予想していた通り、先生達が高校受験を意識させ始めてきたのだ。毎朝の様に、勉強は一日最低三時間はしろだとか、小学校から中学校の復習を今のうちから始めろだとか、先生達は口を開けば勉強のことばかりである。


 そうなれば、こちらは勉強をする気力などなかなか湧いてこない。と、体育祭の時は思っていたのだが、俺にはある目標が出来ていた。




 この日は、担任の熊谷くまがや先生と放課後に一体一の進路相談での個人面談が行われることになっていた。


「田所、お前最近少し変わったよな」


 放課後の教室には熊谷先生と俺の二人だけ。しかも、机を向かい合わせて座っている。覚悟はしていたが、やはり緊張はする。


「そうですか?自分はそうは思わないですけど」


「まぁ、自分の評価ってのは、自分では分からないもんだ。これからも、その調子で頑張れよ」


「はぁ・・・」


 一体何のことを言われているのか、よく分からない。これは、褒められていると受け取っていいのだろうか。だとしたら、先生に褒められるなんて中学入ってから初めてかもしれない。あ、でも体育祭の時に望月先生に「かっこいい」って言われてたっけ。


「さて、本題だが、田所。お前は、卒業後の進路はどうするつもりだ」


 あの日から、色んなことを考えた。俺が、何をしたいのか。どうなりたいのか。そして、望月先生のことをどう思っているのか。そして、富田と林田にも相談に乗ってもらい、俺はこういう決断を下した。


「高校進学します。志望校は、成陵せいりょう高校です」


 俺がそう言うと、熊谷先生は予想通り目を丸くして俺のじっと見詰めていた。


「お前、本気で言ってるのか?」


「はい」


成陵せいりょう高校って言ったら、公立高校の中でも県内有数の進学校だぞ?こんなことを直線本人に言うのも何だが、いまの成績じゃ到底無理だぞ?」


「分かってます」


「分かってますって、どうするつもりなんだよ。まさか、記念受験とかじゃないだろうな?言っておくが、公立高校は一校しか受験出来ないんだぞ?」


「それも知ってます。それでも、成陵高校に行きたいんです」


「どうしたんだよ田所君。もう少し、色んなところを見た方がいいんじゃないのか?」


「いや、成陵がいいんです」


「・・・何か理由があるのか?」


「先生、俺、先生になりたいんです」


 先生になる。それが俺の決断だ。


 成陵高校はその偏差値の高さから、上位に位置する大学への進学率も高くなっている。そう、俺はいい高校に入って、いい大学に入り、教員になろうと考えたのだ。


「なるほどな。田所の考えは分かった。しかしな、いい高校に入ったからって、いい大学に入れるとは限らんぞ?それに、いい大学だからって、いい先生になれるとも限らん。その事は分かってくれよ」


 てっきり、俺は頭ごなしに進路を否定されると思っていた。


 熊谷先生が言っていたように、正直俺の成績は良くない。寧ろ、悪い。だからこそ、俺は高めの目標を設定したんだ。


「世間じゃ受験を人生の分岐点とか、これからの人生を決めるだとか、そんなことを言われてるがな、俺はそうは思わない」


 いつも何処と無く抜けている熊谷先生が、突然真面目な顔で語り始めた。


「人生の分岐点なんてこれから先何度だって直面する。その度に、自分でこれからを決めていかなければならはい。世間の評価や、戯言に流されるより、自分で決めた道を進んで欲しい。俺はな、クラスの皆にそうなって欲しいと思ってる。田所、確認だが、お前はこれを自分で考えて決断したんだよな?」


「はい!」


 無謀とも言えよう。無理だとも言えよう。それでも、担任の熊谷先生は「分かった」と言って親身に相談に乗ってくれた。




 自分がどんな奴かと問われても、大したことの無い人間だとしか言えないだろう。それでも、そんな俺でも、必死になって叶えたいと思えたことが出来たんだ。それがいつ叶うのか。そもそも、叶わないかもしれない。それでも、俺はそれに向かって走り続けたいと思えたんだ。そう思えたのも、背中を押してくれた友人の林田と富田の二人がいたからなのかもしれない。


 そして、俺に恋を教えてくれた望月先生がいたからかもしれない。




 それから、俺はがむしゃらに勉強を続けた。



*****



 中学を卒業して10年が経った。満開の桜の木々が、街を色鮮やかに、春を演出している。


 俺は卸したてのスーツに腕を通すと、慣れた手つきでネクタイを締める。そして、リュックを背負うと学校に向かった。


 新入生だろうか、ぶかぶかの制服に包まれ、大きなメインバッグを背負った生徒が列を成して正門を通っていく。俺はそれを横目に、校舎へと向かう。その途中、一人の女性の後ろ姿が目に入り挨拶をした。


「おはようございます!望月先生!」


「あら、田所先生。おはようございます」

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それが恋だというのなら 新成 成之 @viyon0613

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