第7話 最後くらい勇気を出してもいいですよね
雲一つ無い青空に、肌を指すような陽射し。六月だというのに、まるで夏のような気温だが、体育祭を行うにはもってこいの天気である。
「毎回思うんだけど、開会式長くねぇか?」
白が眩い体操着を身にまとい、相変わらずの寝癖に赤色のハチマキを巻いた林田が、あくびをしながらそう言った。
「確かにね。でも、小学校の時に比べたら短いんじゃない?」
富田も、体操着に赤いハチマキで、朝礼台の方を見つめながら呟いた。
「何でもいいけど、さっさと終わらねぇかな。暑いんだけど・・・」
背の順で並んでいる為、俺の隣には林田が、その後ろには富田がいる。そして、望月先生はというと、俺達のクラスの列の後ろで立っている。
何だかんだで、望月先生が俺達のクラスに来てから三週間が経ってしまった。そして、今日が望月先生が学校に来る最後の日なのだ。
「教育実習生で、今月までしかいられないのは最初から分かってたけど、最後ってなるとなんか寂しくなるな」
「何だ、
「うるっせぇな!」
そう、分かってはいたけれど、いざなってみると改めて感じる寂しさ。これまで、仲の良かった友達が転校するとか、そういった別れは経験してきたけれど、今回のはそれまでの別れとは違う。きっと根本的に違うのかもしれない。
「まぁ、俺よりも田所の方が辛いだろうしな」
「そう、だよね・・・」
俺はこれまで、女性に興味が無かった。興味というのは、恋愛対象としてだ。けれど、望月先生に会って、初めて人を好きになるという感覚が分かったような気がした。でも、それはあくまでも主観的でしかなくて、厳密にこれが恋なのかは分からない。それでも、俺がこれまで感じてきたことに、嘘は付けない。だから、俺はこの思いを恋だと名付けることにした。きっと、これが俺の初恋なのだと。
「それでは、準備体操を行います───」
開会式も遂に最後の項目に移り、放送委員の指示で、全校生徒が一斉に校庭に広がる。
「やっとだな」
「たどっちが活躍できるように、サポートするからね」
初夏の空に、俺達の声が響いていく。
*****
俺がまず初めに出場したのは、富田とペアでの二人三脚だ。これまで、放課後に二人で練習を重ねてきたが、脚は合えども、速さがいまいちのまま本番当日を迎えてしまった。
「なあ、富田」
「ん?どうしたのたどっち?」
富田は自身の右脚と、俺の左脚を紐でしっかりと結ぶと、解けないか入念に確認していた。
「どう見ても、周りサッカー部とか野球部とか走る系の部活の奴等だよな・・・」
そう、俺等が走る順番には、どう見てもスポーツマンという風格の野郎共が立ち並んでいるのだ。
二人三脚のコースは、トラック一周。走順は、一年生から、二年生、そして俺達三年生と続いていく。なので、下級生は既に走り終え、残すところ三年生のレースのみとなっている。その為、今俺達の横で、首を鳴らし、手首、指先をバキバキと鳴らし準備万全と言わんばかりの連中は、皆同級生というわけだ。
「確かに、外部活の人が多いかもね」
「おいおい・・・、こんなん相手に俺達勝てるのか?」
何度も言うが、俺は別にスポーツマンではない。部活は、バドミントン部に所属しているものの、あのスポーツは走るのに特化したものではない。そして、相方の富田はといえば、同じく中部活のバスケットボール部だ。いくら富田がスポーツマンタイプだといっても、俺との組み合わせでは、この連中に勝てる確率は、限りなく低いだろう。
「でもさ、勝負なんて、実際にやってみないと分からないじゃん?」
普段温厚な富田は、いつもにこにこしている。今だって、俺にそんなことを言いながら、にっこりと笑っている。けれど、その笑みの裏に、何かが潜んでいるのを俺は見逃さなかった。
「それでは、スタート位置についてください」
体育委員のスターターに誘導され、スタート位置に立たされた。
「いい、たどっち?練習通りのペースで行けば、大丈夫だからね」
俺の肩をぎゅっと抱き寄せて、それでいて、前を見つめながら富田は呟いた。この時、俺は初めて富田の真剣な表情を見た。
(なるほどね。確かに、富田の言う通りだ)
俺もそれに応えようと、富田の肩をぎゅっと抱き寄せた。
「本部テントの前で、望月先生見てるよ」
「知ってるよ。知ってるからこそ、かっこ悪いところは見せられないからな 」
「流石、たどっち。そうでなくっちゃ」
スターターが耳栓をはめる。そして、ゆっくりと右手のピストルを天に向けると、俺達は一斉に構えを取る。
「位置について」
いつも通り、練習通り。
「よーい」
そう、最初は外側の脚から。
「バンッ!!」
ピストルの合図で、息を揃えて、俺は右脚を前に出す。そして、左、右。掛け声と共に、ひたすらに踏み出す。
「いっち!に!いっち!に!」
二人の息が合わず、出遅れる人達。順調にスタートするも、途中で横転する人達。そして、固く肩を抱き合い、馬鹿みたいにでかい声で足並み揃えて走り続ける俺達。
「いっち!に!いっち!に!」
自分でも笑っちゃうくらい、富田とのタイミングはピッタリで、二人でただ並んで走っているかのような、そんな感覚で俺達は走り続けた。
結果は、堂々の一位だ。
*****
校庭では、全学年の男女で二人三脚が走り終わり、次の競技が行われている。俺と富田はクラスの応援席に凱旋し、クラスの皆から盛大な拍手を受けていた。
「でもね、最初たどっちはビビってたんだよ?」
「んな!そりゃ、ビビるだろ!あんな連中前にしたら!」
「まあ、とりあえず田所も富田も、お疲れ」
そうして、三人で喜びを分かち合っていると、突然背後から声を掛けられた。
「田所くん!富田くん!一位おめでとう!」
振り返ると、そこにいたのは望月先生だった。いつものスーツ姿とは違い、スポーツジャージを着ていながら、それでも尚美しいと思える容姿。そして、こうして俺達のことを褒めてくれる優しい心遣い。ああ、何て素敵な女性なんだ。
「あ、ありがとうございます!!」
俺は思わず、声が裏返ってしまった。
「何してんの、たどっち!」
「なかなか笑えるぞ」
この二人、後で覚えておけよ。
「ふふっ、でも二人で独走している姿は、二人とも本当にかっこよかったわよ」
『かっこよかった』。もしかしたら、人生で初めて女性にこの言葉を言われたかもしれない。これまで、女性と関わってこなかったせいなのか、『かっこよかった』と、ただ一言言われただけで、舞い踊る様な気持ちになってしまった。いや、実際脳内の俺は舞踊っていた。
「たどっち、かっこよかったってよ」
「うっ、うるせぇな!」
冷やかす富田を肘で払いのけながら、必死に照れ隠しをしようにも、顔のにやけが収まらない。隠そうとすればする程、二人は実にいやらしい顔で俺を煽って来るのだ。
「次の全員リレーも期待してるね!林田くんがアンカーで、その前が田所くんだもんね!」
そうだ。俺が次に出る競技は、クラス対抗の全員リレーだ。しかも、そこで俺はアンカーである林田にバトンを繋ぐ、重大な役割を任されている。といっても、それに指名したのはアンカー、林田本人なのだが。
「任せてくださいよ望月先生。どんなにビリッけつだろうと、田所が繋いだバトンで、俺が一位でゴールしてみせますよ」
「流石、林田くん!頼もしいわね!それなら、私も安心して皆のリレーが見れるわね。あら、そろそろ本部の方に行かなくちゃ。それじゃ、引き続き、優勝目指して頑張ってね!」
そう言って、駆け足で本部テントの方へと戻っていく望月先生。その後ろ姿でさえ、見とれてしまうほどだった。
「さあて、そろそろアップでもしときますか」
「お?元基も、俄然やる気になってきた?」
「当たり前だろ。一位でゴールするって宣言しちまったんだ。これで、出来なきゃ恥ずかしいからな。ほら、田所もバトンパスの練習するから付き合えよ」
今、こうしてこの三人で笑い合いながら、俺は実に友人に恵まれたのだと、柄にもないことを思ってしまった。
*****
そして、体育祭は順調に行われ、遂に待ち望んでいたクラス対抗全員リレーの時がやって来た。一人の走る距離は、トラックの半周。それをバトンで繋ぎながら、最終的には一番でゴールしたクラスに高得点が入る種目になっている。そう、この種目は他の種目に比べて一気に高得点が狙える、いわばチャンス競技でもあるのだ。そのため、陸上部が多いクラスが有利にも思えるが、そこはクラス分けがしっかりされており、クラス全体走力は五分五分と言ったところになっている。つまり、富田の言葉を借りれば、勝負はやってみないと分からないのだ。
「じゃ、頼んだぜ田所」
選手入場門から、奇数番目の走者と、偶数番目の走者が別れて入場する。俺の隣で入場した林田は、俺にそう伝えると、背中に闘気を込めてくれた。
「いってぇ!って、分かってるよ!」
そのお返しに、俺も林田の背中に闘気を込めてやった。
「っだ!やるじゃねぇか。少しは、俺にいい順位でバトン渡せよ」
そう笑いあって、俺達はそれぞれの準備位置についた。
レースは体育委員のピストルの合図で始まり、各クラスのスターターがトップスピードで走り抜けていった。そして、各クラスほぼ横並びの状態で、第二走者にバトンが繋がれた。
「何か、皆速いな・・・」
いつもは教室で本を読んでいるような奴も、実は走ると速いとか。一見運動できそうな奴でも、バトンパスが下手だったりと、なかなか面白いレース展開になってきた。
そして、とうとう俺がスタート位置につく順番まで回ってきた。現在、俺達のクラスの順位は四クラス中、三位。しかも、そのすぐ後ろには四位である白組の奴が迫って来ている状況だ。
(前とはかなり距離があるから、抜かされないように林田にバトンを繋ぐしかないな)
前の走者が近付くに連れて、俺も少しずつ走り出しスピードに乗る。そして、バトンパスが可能なエリアギリギリで、バトンを受け取る。
「頼んだ!」
しかし、その瞬間手にしていたはずのバトンがこぼれ落ち、あろう事かバトンに砂をつけてしまった。
「赤組、バトンを落としてしまいました。その隙に、白組が追い抜きます。赤組頑張ってください」
その一瞬の隙に、四位だった白組に抜かれ、俺は最下位になってしまった。それでも、すぐ様バトンを拾い上げると、全速力で白組の奴の背中を追っかけた。
(くっそ!こんな時に何やってんだよ!くっそ!!)
起きてしまったことを悔やんでも現状は変わらない。だからせめて、俺の前を走る白組に何としても追いつこうと必死になって脚を動かす。
(駄目だ。全く距離が縮められない・・・)
何とか一定の距離を保ちながら走るも、白組の奴がアンカーにバトンを繋いでしまった。見れば、一位と二位のアンカーは既にスタートしている。
これまでの走者と違って、アンカーの距離はトラック一周となっている。そう、アンカーは他の皆の二倍走らなければならないのだ。
(だけど、これだけ差があったら・・・)
すると、普段でかい声なんて出さない林田が俺の方を向きながら手を振っていた。
「田所!さっさと来いよ!!」
その声はどこか優しく、いつもの様に俺を待っている様だった。
(あいつ、何であんな楽しそうに俺を呼んでんだよ)
友の声援に応えようと、最後の力を振り絞って加速する。そして、林田一人残されたバトンパスエリアで、いつもの練習通りバトンを受け渡す。
「林田!すまん!」
すると、林田はにやりと笑い、こう言って駆けていった。
「なぁに、気にすんな。後は俺に任せとけ───」
一瞬だった。俺からバトンを貰った林田は、凄まじいとも思える速さで前を走る白組のアンカーを抜き去った。そのあまりの速さに、一同が言葉を失う。
「たどっち、おつかれー。いやぁ、バトン落としちゃったのは惜しかったねぇ」
先に走り終えていた富田が俺に声を掛ける。恐らく、この状況で富田だけが平静だっただろう。
「あのさ・・・、林田って、あんなに速かったの?」
「あぁ、たどっちは知らないんだっけ?ああ見えて、元基は小学生の頃に全国の大会で優勝してるんだよ?」
俺の周りにいた奴も、俺と同じように目を丸くする。それはもう、敵も味方も同じく。
「なんで、そんな奴が陸上部じゃないんだよ・・・」
「一年生の頃は陸上部でちゃんとやってたんだよ?でも、全国で優勝したことがある一年ってことで先輩から目をつけられててさ。それで、当時の三年生が引退すると、二年の先輩に酷い扱いを受ける様になってね。それが嫌で陸上部を辞めたって」
知らなかった。いつも寝癖も直さず、部活もせず、ちゃらんぽらんな奴だとばかり思っていたがそんな過去があったなんて。
「本当はね、元基は走るのが好きなんだよ。だってほら、今凄い楽しそうに走ってるじゃん?あ、青組の抜かしたから後は緑組だけだね」
本当はやりたかった陸上を、下らない妨害があったせいで辞めてしまった。きっと、林田にとっては辛いことだったのだろう。
「元基が放課後にやたら、たどっちを誘って練習してたのはさ、努力は糧になるってことを教えたかったんじゃないかな。元基の足の速さは、べつに天才的なものとかじゃなくて、練習の賜物だからさ。それを何もしてない奴らに妬まれて、追い出されて、だから元基は陸上部は辞めたって言ってるんだよ。でも、籍だけは残ってるんだけどね」
きっと、最初から何もかもが出来る人なんていない。失敗して、挫けて、それでも成し遂げたいことがあって、踏ん張って、這いつくばって、そうやって人は成長していくのだろう。それでも、その全ての過程を他人が知ることは不可能だ。だから、何も知らない人達は、やっとの思いで何かを掴んだ人を、心無い一言で突き放す。それは、とても残酷なことだ。
「赤組、速いです!青組を抜かし、遂に一位の緑組と並びました!」
気が付くと、林田は一位の緑組と並んで走っていた。
それまで余裕の表情で走っていた緑組のアンカーは、突如自分の横に現れた林田に、大層驚いた表情を見せた。そこにはもう、先程までの余裕などどこにも見られない。一方で、林田は実に楽しそうに走っている。抜かしてきた奴のことなど見えていないのか、横にいる緑組のアンカーですら視界に入っていないのか、ただ走るのが楽しいと言った表情で走っている。
「努力は必ず報われる、なんて事はこれっぽっちも思いはしないけどさ。ああやって走ってる元基を見てると、何かを全力でやるって気持ちのいいことなんだろうなって思うよね」
きっと、林田は視界の隅で遠ざかる緑色のハチマキなど見えていないのだろう。前へ、前へ、ただ前に進む為だけに脚を回す。そうやって切ったゴールテープは、彼にとってどんな意味を持っていたのだろう。
「ほら、宣言通り元基が一位だ」
「なんだ、林田が一位でゴールするって分かってたみたいに言うな」
「だって、あの元基が負けるわけないじゃん?あんなに頑張った人がさ」
この時、俺はある覚悟を決めた。それまで、何となく考えていたけれど、とてもじゃないけど勇気がないと隠していた思い。けれど、林田の勇姿を目にして、俺は決心した。
「俺さ、望月先生に告白しようと思う」
*****
初夏の空は変わらず青く、赤組が授かった優勝旗がよく映えていた。
最後まで熱気に満ちた体育祭は、赤組の優勝で幕を閉じた。それと同時に、俺達の中学最後の体育祭が終わってしまった。
終わってみて、別に寂しいとか、悲しいとか、そんな感情は思いのほか無く、寧ろ清々しい気持ちで満たされていた。普段だったらこんなに何かを必死に頑張るなんてしない俺が、クラスの仲間や、富田、林田の友人達と助け合いながら一つのことを達成したのだ。そんな日に、悔いなどない。
「これで体育祭も終わりかぁ」
「これからは、受験勉強だな」
「げっ!嫌なこと思い出させないでよ元基!」
六月の体育祭が終われば、俺達中学生に残されているのは、高校受験という一大イベントだ。きっと、休み明けからは先生達も口を酸っぱくして勉強しろと言ってくるのだろう。でも、望月先生は違うかもしれない。
(あっ・・・)
「どうした?田所?」
分かっていたことなのに、いざそう思ってしまうと、どうも苦しくて仕方ない。
「休み明けからは、望月先生いないもんね・・・」
「そうだったな・・・」
けれど、俺は決心したんだ。これまでの自分とは違う、何かに必死に頑張れる自分になるんだと。それが、途方もないことだとしても。
「大丈夫だよ。俺、この後望月先生に告白して来るから」
すると、この話を初めて聞いた林田は目を丸くして呆然としていた。
「いや!田所、おま・・・」
すると、富田は林田を止めるようにゆっくりと首を横に振った。
「ただっちはそれでいいんだよね?」
林田の言いたいことも分かる。きっと、林田が言っていることが正解なのだろう。だけど、好きだってくらいは、正直に生きていきたいんだ。だって、これが初めての恋だから。
「ああ。覚悟は決めている」
その思いを汲み取ってくれたのか、林田はゆっくりと頷いてくれた。そして、
「頑張れよ」
「頑張ってね!」
二人の友人は、俺の背中を押してくれた。
*****
放課後、片付けをしていた望月先生に声を掛けた。
「先生、俺、先生に伝えたいことがあるんです───」
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