第7話

 動物園のトリケラトプスが死んだのは、その翌日のことだった。朝、柵の真ん中で横たわっていたのを飼育員さんが見つけたらしい。十年ぶりに動物園の話題がニュースに取り上げられ、全国版の新聞にも記事が掲載された。

 授業の空きコマ、わたしはいつものように動物園を訪れた。相変わらずウサギやモルモットのコーナーが人気で、わたしはそれを横目に最奥へ向かう。途中、カメラと原稿の束を持った集団とすれ違った。トリケラトプスが死んで一週間が経っても、時々取材陣の姿を見る。昨日は地元のワイドショーで「動物園のトリケラトプス。生命倫理を問う」というテーマの特集が組まれていた。人の手が命を作り出す罪を淡々と述べ、「間違えて生まれた命だった」と言う彼らは、トリケラトプスの鳴き声を知らない。


 トリケラトプスのいた場所は、とても静かだ。


 この静けさだけは、彼がいたときから変わらなかった。人の姿はなく、わたしは柵の前に立つ。トリケラトプスの生態が記された錆びた看板に視線をやる。色あせた写真はまるで、遺影のように見えた。

 ずっと狭いと思っていた柵の中は、空っぽになれば随分広い。

 わたしはいつものようにベンチに座って、最後に目にしたトリケラトプスの姿を思い返そうとする。記憶の中で彼は空を仰ぎ、鋭いくちばしを開いて声を上げている。そんな姿を見るのは、結局あれが最初で、最後だった。あの鳴き声は、死期を悟った彼の最後の訴えだったのかもしれない。そんな風にも思う。彼は誰を呼んでいたのだろう。何を伝えたかったのだろう。

 知る由はない。

 けれど、わたしは忘れないと思う。

 永遠に大人になることができない彼の、言葉にならない声を。二年間のわたしの記憶と一緒にずっと覚えていようと思う。形には何も残っていないけれど、それだけは葬らずにいようと思う。

 ベンチを立ち、わたしはその足で標本館へと向かった。コンクリートでできた小さな建物は今日も存在感がなく、誰もがそこを素通りしていく。トリケラトプスの骨の一部が標本館に収められたことを、わたし以外誰も知らないのではないか。そんな風に思ってしまう。

 扉を開ける。薄暗い館内はいつものように、ひんやりとした空気に満ちていた。

「こんにちは」

 事務室から男性の職員が顔を出してわたしに挨拶をする。こんにちは、とわたしは小さく応えてその場を過ぎる。瓶詰めの標本たちが並ぶ廊下は、時が止まったようだ。

 トリケラトプスが死んでから、わたしが標本館の彼女に会うことはなかった。

 乳母車を押す彼女の姿を見かけることは二度となかったし、標本館にもいつの間にか違う事務員の男性が配属されていた。新しい事務員さんにそれとなく彼女のことを聞いてみたけれど、

「申し訳ありませんが存じ上げません」

 と、答えが返ってくるだけだった。

 微かに薬品の匂いがする廊下を抜け、展示室に入る。「ヒトの骨格標本以外は全て本物です。お手を触れないようご注意ください」と書かれた看板に視線をやり、わたしは様々な動物の、本物の骨格標本を見て回る。トリケラトプスの頭部は、サイの頭部の隣に並べられていた。改めて見れば、二つの標本は全く似ていない。

 そうだよなと思う。生き方によって生きる姿が似たとしても、中身は全くの別物だ。わたしはクロッキー帳を鞄から取り出して、二つの標本をスケッチする。もう、ページを破ることはしなかった。クロッキー帳は既に半分が埋まっていて、その大半はサキのために描いている絵の下絵だった。

 トリケラトプスを見上げる女性の姿が、そこにはある。

 彼女は乳母車を押して、まるで自分の子どもを見上げるように、優しい目で恐竜を見つめている。

 わたしはクロッキー帳を閉じて踵を返した。展示室の扉を開ける。

 帰ろう。わたしの家に。画材の揃ったわたしの部屋に。

 絵の続きを描かなければならないから。


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ネバーランドの標本 村谷由香里 @lucas0411

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