最終回 走狗のさだめ

 七ヶ所に傷を負いながらも、襲撃を退けた六平太は、二十石を加増されただけでなく、近習頭に抜擢された。驚く事に、民部護衛の指図役に六平太を推薦したのは、あの粂之進だった。

 最初こそ六平太の素性を怪しんでいた粂之進であるが、今回の件ですっかりと信頼したようであった。その証拠に、傷が癒えた六平太を、反石浦の謀議に招いて同志として迎え入れている。そこには磯部だけでなく、数名の羽根戸組の者も顔を並べていて、様変わりした自分に驚いていた様子だった。

 久し振りに十伊斎に呼び出されたのは、秋も深まろうとしていた頃だった。

 場所は安楽平山の中腹にある、古刹・千壽寺せんじゅじである。


「簀子、九郎様を討てるか?」


 千手観音立像が聳え立つ本堂で、十伊斎と共に待っていた和泉が、六平太の顔を見るなり言った。


「民部様ではなく、九郎様を」

「そうだ。事態が急変し、悠長な事を言ってられる場合ではなくなったのだ。九郎様を失えば、御舎弟様も担ぐ神輿を失う」

「それは……」


 六平太は十伊斎に目を向けると、皺首を一度縦にして応えられた。


「お殿様が、九郎様を養子にと言い出した」


 病弱な鎮成には、未だ子がいない。すると次期藩主は、まだ四つの慶記丸けいきまるになるはずなのだ。しかし、鎮成は九郎を選んだ。それほど、鎮成の民部に対する信頼は篤いのだろう。

 一方、和泉は慶記丸を推している。これは先日の謀議で、磯部に聞いた噂だった。何でも和泉が鎮成を病弱である事を理由に隠居させ、慶記丸を藩主の座に据えようとしているという。真偽の程はわからないが、政争の為に主君押込という強引な手を和泉ならしそうだと納得したものだ。


「病のように殺す必要がある」

「ならば毒ですか」


 背振衆には数々の薬術があり、急な病で死んだとしか思えない毒もある。


「どうした、六平太。やるかやらぬのか、返事をせぬか?」


 明確な返事をしないせいか、十伊斎が苛立った口調で急かした。


「もしやおぬし、御舎弟様に同心したのではあるまいの?」

「まさか、左様な事は」


 不服従、叛逆は処刑である。しかも、自分だけではない。抜け忍同様、妻子までも道連れにされる。


「これは我が藩の危機だ。御舎弟様は、かつて藩主の座を渇望しておられた。しかし、それが失敗に終わったが、その野望は尽きておらなんだ」


 民部は、人は失敗から学ぶと言っていた。もしや、それは自分の経験からではないのか。


「このままでは、儂は失脚するであろう。そして、お殿様は御舎弟様の傀儡となり、いずれは九郎様を次の藩主に据えられる。そうなれば、我が藩は御舎弟様の意のままぞ。藩主家の親政では、政事に過ちがあった時に責任を問えぬし、止められもせぬ」


 不思議だった。どちらも、言っている事は根本的に同じなのだ。しかし、今となればそんな主張など、どうでもよかった。そして、武士らしく生きたいという願いも。


(九郎様を討つしかない)


 茜色に染まる家路を辿りながら、六平太は決意を固めた。

 春江と、つるの顔が浮かぶ。この二人が生きている。その事に比べれば、自分の願い些末な事ではないか。

 十柳庄に辿り着いた頃は、陽がどっぷりと暮れていた。屋敷は寝静まっているのか、灯り一つ無い。


「これは」


 寝顔を拝もうと、寝間を覗いた六平太は思わず声を挙げた。

 布団の上に、置手紙があった。妻子を返して欲しければ、一人で来いと。


(こんな事があるのか……)


 その場所とは、民部が待つ十柳陣屋だった。


◆◇◆◇◆◇◆◇


「やっと来たか」


 陣屋で六平太を出迎えたのは、粂之進だった。

 粂之進は六平太を導く間は無言で、六平太も敢えて何も訊かなかった。


「殿、簀子をお連れしました」


 と、粂之進が障子を開く。

 百目蝋燭の灯りの中で、民部が一人待っていた。いつもの笑みは消え失せ、団栗のような眼は冷たく光っている。


「よく逃げずに来たな。その胆力は褒めてやろう」

「殿、春江は? つるは何処に?」

「そう焦るでない。おぬしの内儀も娘も、この陣屋でゆるりと休んでおるわ」

「ですが」

「心配は無用。内儀には何も話しておらぬわ。六平太には遠出の役目を命じたので、不在の間は陣屋で面倒を見ようと招いたのだ。腹に子がいるからの。内儀は最初固辞したが、これも主君の務めだと言うと、嬉しそうに娘を連れて自ら来よったわ」


 六平太は、それを聞くと深い溜息を吐いた。そして落ち着くと、自分がとんでもない状況にあると理解した


「お前が忍びである事など、この小河がとうに見抜いておった」


 民部の少し後ろで、粂之進がほくそ笑んでいる。


「蛇の道は蛇とは、よく言ったものだ」

「それで、私に何を……」


 ここまできて捕らえない。そして、殺さない。だとすると、何かを要求するに違いなかった。


「石浦を討て。さすれば妻子を解放し、今まで通り仕える事を許そう」


 なるほど。六平太は笑っていた。なんという事か。双方から殺せと命じられるとは。こんな皮肉な話など早々あるものではない。


「どうした? 討てと命じられた事が、そんなに面白いのか?」

「……いえ、殿。斯様な策に出ずとも、石浦は早晩失脚するはずでは?」


 一か八か、六平太は和泉が鎮成を廃して、慶記丸を藩主にしようとする企てを告げた。これが明るみになれば、和泉の失脚は間違いない。


「それを知っているのか。あれは儂が放った流言飛語よ。石浦のような小役人が、斯様な大それた事をする度胸は無い。しかし、揺さぶりぐらいにはなると思ってな」

「なれば、お殿様は九郎様を世継ぎにと言い出したと、和泉様より聞きました。暗殺という手を打たぬとも、和泉様の勝利は間違いございません」


 すると、民部は苦笑をして膝を叩いた。


「そうか。お殿様が九郎を世継ぎにと言ったのか」

「真偽はわかりませぬが、和泉様がそう言ったと」

「ふふふ。しかし、簀子よ。儂は九郎を藩主にするつもりはないぞ」

「それは」

「儂はかつて、確かに藩主の座を望んだ。しかし、それは過去の事だ。今はただ、御家の行く末を案じているのみよ」


 そう言って粂之進と笑う民部を見て、六平太は唖然とするしかなかった。大きな衝撃だった。自分は、和泉の言葉を全て信用していたのか。いや、もう何が真実で何が偽りなのか判別もつかない。確かな偽りと、胡乱とした真実が混在するのが、政事というものなのか。


「故に、石浦を許せぬ。奴は己の立場を保つ為に、老中の板倉佐渡守いたくら さどのかみに泣きつきおった。藩の公金を手土産にな。それで佐渡守は諸国巡見使を使って、九郎を世継ぎに画策している事にして、儂を弾劾するつもりらしい」


 後ろで、粂之進が頷く。どうやら、この男が公儀についても調べ上げたのだろう。


「もし公儀の介入があれば、真実はどうあれ儂の命運は尽きよう。そうなれば、石浦の天下だ。それを止める為には、石浦を討つしかないのだ。石浦さえいなくなれば、板倉も手を引く」

「……」

「討て、簀子。石浦は銭で御家を売ったのだぞ」


 どうする。妻子の為に、背振衆を裏切るのか。妻子を犠牲にして、ここから切り抜けるか。脂汗が額に滲む。どちらも、待っているのは地獄しかない。


「簀子よ。武士のあるべき姿とは何だと思う?」


 唐突に、民部が話を変えた。


「御家に尽くし、民百姓を守る事かと」


 絞り出すような声で答えると、民部はゆっくりと首を振った。


「違う。武士のあるべき姿とはな、欲しいものは奪い、邪魔な者は殺す。即ち、武士の本分は生き残る事だ。おぬしが武士たらんと欲するならば、生き残る為の選択をせよ」


 六平太は俯き、唸るしかなかった。


「もし、全てが上手く運べば、おぬしを背振衆の頭領にする事も出来ようぞ」


◆◇◆◇◆◇◆◇


 陣屋を出て、誰もいない屋敷に戻ると、黒装束の源吾が、屋根の上で待っていた。


「よう、六平太」

「何だ、源吾か」


 六平太は見上げて言うと、源吾の背後には大きな月が出ていた。


「九郎様を始末しちまったか?」

「いや、まだだ。中々隙が無くてね」


 力無く答えると、源吾は安堵の表情を浮かべて下に降りて来た。


「その役目は取り止めだってよ」

「そんな、何故急に?」

「お前と入れ違いで、公儀の密使が来やがった。幕閣に撒いた銭が効いたのか、慶記丸様を養子入れをするようにとの内示があったそうだ。お殿様が九郎様を世継ぎにと望んでも、公儀の命令には逆らえぬ。この政争は、石浦様の勝ちよ」

「そうか」


 そうは言ったものの、六平太は内心でほくそ笑んでいた。この政争の本質はそこではない。いくら世継ぎが慶記丸に定められようと、民部は揺るぎもしないだろう。


「しかし、お前もよかったな。いくら忍びでも、ガキを殺すのは目覚めが悪い」

「まぁな。本当によかった……」


 六平太がそう答えると同時に、六平太は素早く無銘を抜き払うと、源吾の喉笛を掻き切った。


「貴様」


 鮮血が舞い、それを避けるように六平太は跳び退いた。

 噴き上がる流血を止めようと、首筋に手を当てた源吾は、六平太を睨んだまま倒れた。

 この政争に和泉が勝とうが負けようが、民部の手中に春江とつるがいる事には変わりはない。ならば、やる事は一つ。


「許せよ」


 所詮は、走狗いぬ。どう足掻こうとも、それ以上にはなれない。ならば、群れの中で上に立てばいい。和泉を殺す。そして、十伊斎も殺す。その頃には民部が藩の全権を握るであろう。そこで、背振衆の頭領にしてもらえばいい。和泉と十伊斎の首は、取引材料としては十分なはずだ。


(いいだろう。やってやる)


 欲しいものは奪い、邪魔な者は殺す。それが武士のあるべき姿なのだから。

 源吾の息を確認した六平太は、城下に向かって駆け出していった。



〔了〕

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走狗(いぬ)のさだめ 筑前助広 @chikuzen

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