第五回 陪臣
「ちと、上手く行き過ぎという気もするが」
そう言って唸ったのは、石浦和泉だった。
夜。城下からほど近い
六平太は、民部からの召し抱えの話を源吾に伝えると、すぐに呼び出されたのだ。
和泉は、総白髪で渋みの効いた色黒の男だった。蛇のような顔つきは、この男が持つ冷酷さを物語っている。
「曲渕、どう思う?」
「さて。簀子の素性は秘中の秘。それを見破られているとは思いませぬが、些か話が早いのが何とも」
「おぬしもそう思うか」
「ええ。しかし、罠であろうがなかろうが、御舎弟様の家中に人を潜り込ませる好機ではありますな。それに、簀子一人が敵の手に落ちても何と言うほどもございませぬ」
「ふむ」
と、和泉は腕を組んだ。
「確かに、こやつ一人どうなろうと政局は動かぬか……。よかろう。仕官の件は許可する」
隣りの十伊斎も、同意だとばかりに頷いた。
「簀子よ、お殿様は去年の暮れにお倒れになってから、すっかり気弱になられ、私ではなく、お身内の御舎弟様の言ばかりを入れるようになった。だが、もはや藩というものは藩主家のみのものではない。そうした時代になっているのだ。お前の働きで、我が藩の行く末が決まる。その事を努々忘れるなよ」
「はっ……」
六平太は短い返事だけを返すと、十伊斎の眼の動きを察して消えた。
◆◇◆◇◆◇◆◇
それから半月の後、十柳庄での新しい生活が始まった。
六平太が、まず最初に与えられた役目は、九郎の剣術師範だった。
十三になる九郎は、あの日に見せたように肝が太く、武芸の筋もいい。そして夏になる頃には、剣術師範と兼任して、民部の近習も務めるようになった。
六平太の鬼気迫る警戒ぶりは、守られている当の民部が、やり過ぎで逆に目立つと、苦笑するほどだったが、六平太は警戒を緩めなかった。それは、暗殺を心配する粂之進から警護を怠るなと言われたからでもあるが、藩主家の人間でありながら、民百姓の事を考えられる民部を、決して殺してはいけないと考えるようになったからだ。
毎日が、充実していた。武士として生きているという実感があるのだ。九郎を助けたという経緯があるからか、家人達も尊敬を持って接してくれている。それが、六平太の自尊心を満たしてくれた。そして何より嬉しかったのが、春江の懐妊だった。
当初、城下を遠く離れた十柳庄での生活に馴染めるか心配だった。事実として春江は、
「いよいよ、又者にまで落ちるのですね」
と、陪臣になる事に難色を示していたのだ。
しかし、それは杞憂に終わった。禄高が格段に上った事と、剣によって藩主の叔父である民部に召し抱えられ、六平太を見る皆の見る目が変わった事で、十柳庄に移ってからは気持ちが悪いほど上機嫌だった。
そして、今回の懐妊である。数年振りに
しかし、充実した日々に突然の終わりを告げたのは、物見役の源吾だった。
一日の務めが終わり屋敷に帰る途中で、百姓に変装した源吾に声を掛けられた。
重臣の屋敷群が尽き、小さな武家屋敷が立ち並んでいる辻である。
山間にある十柳庄では、百姓が武家屋敷に野菜などの棒手振りとして出入りするので、武家地を歩く百姓は目立つものではなかった。
「どうだい、十柳庄は? 居心地がいいんじゃねぇのか?」
源吾は、天秤棒で担いでいた野菜を広げながら言った。
「まぁ、よくしてもらっている」
「そうだろうな。御舎弟様は中々の人たらしだ。で、
「まだだな。民部様の外出に随行する事もあるが、重要な会談に俺は選ばれん。お殿様のご機嫌伺いか、領内の巡検ぐらいだ」
「おいおい。それを探るのが、お前の役目ってもんだろうが」
「それは承知している。しかし、ここでしくじっては、全てが無駄になる。それに、用人の小河粂之進が何とも鋭い。万事に気を配っていて、下手に動けんのだ」
そう言って、六平太は大根を手に取り、源吾は手を叩いて笑った。
会話の内容と、違った動きをする。これも〔忍び語りの術〕の一つで、傍目からは野菜を吟味しながら談笑しているようにしか見えない。
「まぁいい。まずは御舎弟様と小河、この二人から信用される事だけを考えろよ」
「簡単に言うなよ」
「それを簡単にしちまうのが、我らが
と、源吾は油紙の包みを手渡した。ずっしりとした重み。中は、猪の獣肉だった。
「お前が不寝番の時を見計らって、陣屋を手の者に襲わせる。お前は、それを撃退し御舎弟様を守り抜け。そうすりゃ、信頼は得られるってもんよ」
「何? 手の者だと」
「ああ、同じ背振衆だが、手加減も同情いらねぇぜ。相手も同士討ちを了承済みで挑んでくるんだ。それに、刺客に選ばれたのは、独り身で死にぞこないの老いぼればかりだ」
「見事に討てればそれでよし。守り抜けば、それでもよしってわけか。何とも姑息な」
「姑息? 姑息と言うたか、六平太さんよ。お前、本当に武士になろうと思ってねぇか? 俺らは所詮、忍びよ。汚ねぇ真似が
「……わかっているさ」
「あと一つ、お前が襲撃に加担するという手もある」
「それも、
「いや、俺が考えた事だ。
「余計な真似をすると、俺の首が飛ぶ」
そう言うと、六平太は源吾に銭を手渡し、野菜と獣肉を抱えて立ち上がった。
「まいどあり」
◆◇◆◇◆◇◆◇
何かが近付いてくる。
そう感じたのは、不寝番として陣屋に詰めていた夜の事だった。
夜九つ。近習の控えの間で、無銘の刀を抱くようにして座していた六平太は、ゆっくりと立ち上がると、廊下に顔を出した。
暗闇。陣屋は寝静まっている。屋内で人が動いている気配は無かった。
(外か……)
今度は雨戸を少しだけ開け、庭を窺った。
影があった。石垣作りの塀を飛び越えている。その数は、見えるだけで五つ。
おそらく、自分でなければわからなかっただろう。それほど影の動きは敏捷で、見事だった。源吾は襲撃者を、老いぼればかりと言っていたが、どうやら方針を変更したらしい。
「身内すら信用出来ぬな」
そう呟き、雨戸を開け放とうとした手が、寸前で止まった。
このまま、見逃すのも手かもしれない。そうすれば民部の暗殺は成功し、結果として藩内を二分する内訌に決着がつく。
(しかし、それでいいのか)
民部は貴種でありながら、民百姓の営みにまで目を向けてくれている。また、自分を一人の武士として扱ってくれるのだ。そんな民部を死なせていいのか?
否。答えは、あっさりと出た。民部を死なせると、あの沈鬱で息苦しい生活にまた戻ってしまう。それだけは、嫌だった。今度こそ、春江に愛想をつかされてしまう。
(結局は、自分の為だ)
それでもいい。だから戦える。やはり、守ろう。そもそも民部を守り抜き、信頼を得る事が目的ではないか。
「皆の衆、曲者にござる」
六平太は雨戸を荒々しく開け放つと、腹の底から声を上げた。
二尺八分の無銘を抜き放ち、庭に飛び出した。呼応するように、影が一斉に抜刀する。闇夜に浮かび上がる、刃の光は十以上あった。
構わず駆ける。手前の男。迫る斬光を避けながら、胴を抜いた。微かな呻きと手応え。
振り返ると、手裏剣が迫っていた。無銘で弾く。更に二つ。転がりながら躱し、起き上がり様に足を凪ぎ、首筋に一刀を打ち下ろした。
血飛沫が上がり、頭から浴びた。六平太は咆哮し、敵に躍り込む。
左腕と背中に、軽い熱を感じた。薄皮を斬られたか。だが、構わず無銘を斬り上げ、跳躍して横凪ぎの一閃を放つ。その度に、血が闇夜に舞った。
やはり、この動きは老いぼれではない。迫る斬光をかいくぐりながら、六平太の脳裏には十伊斎の忌々しい顔が浮かんだ。
「何事か」
やっと、家人達が飛び出してくる。寝間着姿だが、刀や槍を手にしている。
その間、六平太は二人を斬り倒したが、息が尽きかけていた。普段ではない事だ。やはり、相手が忍びだからだろう。
六平太は、敵の腰にしがみつきながら倒れ、顔面に拳を叩き込みながらも、馬乗りになっていた。
頭巾に手を掛ける。露わになった顔は、あどけなさが残る少年だった。
「糞ったれ」
六平太は腰の脇差を抜き払い、少年の胸にゆっくりと突き刺していく。
ゆっくりと、肉に入っていく。少年の口から、泡のような血反吐が噴き出す。そして、涙。これが、同士討ちだ。その肉の感覚は、他の殺しとは同じようで、やはり違った。
呼び笛が鳴った。曲者が次々と退いていく。追おうとした六平太を止めたのは、槍を手にした民部だった。
「無事か、簀子」
六平太は、身を起こしながらも民部に顔を向けた。
「まるで狩りを終えた猟犬のようだな」
そう言って笑った民部を見て、六平太は自分が武士である事を心から実感した。
〔第五回 了〕
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