第228話 その名は -The ancient avenger-
・1・
外界を閉ざす暗雲の中、煌びやかな欲望の光を灯す船の鉄島――グランギニョル。
その一画で、ユウトとアリサは思いがけぬ邂逅を果たしていた。
「ここの紅茶は淹れ方がなっておりませんな。これではせっかくの茶葉が泣いてしまう」
「……」
初老の執事――魔人シャルバは物憂げな表情を見せながら、静かにカップをテーブルの上に置く。その肌はいつもの生気のない灰色ではなく、人と同じもの。報告にあった、彼らが人の中に紛れる際に使う何らかの偽装術だろう。
「フフ、そんなに警戒しなくてもよろしいですよ。今はまだ事を荒立てるつもりはありませんから」
そう断りを入れたシャルバは、対面に座るユウトに視線を向けた。
「フム……どうやら失った力を取り戻したのは間違いないようだ。いや、むしろ以前よりも遥かに強くなっている。内も、外も」
「何故、あなたがこんな場所に?」
見定めるような視線を跳ねのけ、ユウトは口火を切った。
「あなたがここにいるということは、ザリクもいるんですよね?」
「いえ、我が主は本島でお休みになられています。彼女にはここは少々刺激が強い。私には想像すらできませんが、あなたなら……死の
死の
普段は彼女が持つ呪封の
ユウトはバベルハイズでその力に触れ、この世のものとは思えないほどの耐え難い苦痛の一端を共感した。
「……ッ」
一瞬、あの時の感覚がフラッシュバックして彼の体は僅かに震える。
激流のように流れ込んでくる感情。そして脳を焼き尽くす溢れんばかりの瞬間的イメージ。およそ人一人が持つ全ての情報。それがどれほどのものか想像もつかないが、膨大という言葉では表しきれない情報という名の暴力が余さず自分という『個』をぐちゃぐちゃに押し潰して上書きしていくあの感覚は筆舌に尽くし難いものだった。
そして一瞬にも満たない時の中で垣間見たあのイメージは、紛れもなくザリクの過去だ。ユウトの記憶を彼女に読み取られたように、ユウトもまた彼女の記憶の一端に触れていた。
「さて、なぜ私がここにいるのか、でしたな」
ユウトの返答を待たず、シャルバは自身の目的をこう告げた。
「此度の我らの目的。それはこの地に潜む神の生き残りを殺すことだよ」
・2・
「神の、生き残り……?」
「いかにも。故に今回は君たちと敵対する必要はない。少なくとも私は、ね」
魔人が何を言っているのか、アリサは理解が追いついていない。
「待ってください。今この世界に神は存在しないはずです。だって――」
「大昔に存在した神々は全て原初の
これは以前ユウトたちが
つまり事実上、神はその概念だけを残して世界から絶滅したのだ。
「ホッホッホ、どうやらその辺りはよくご存じのようだ。察するに、伝えたのは
「……」
「まぁいい。我々もつい最近までそう考えていました。むしろ我らにとってはその方が都合がいい」
しかし、そこでシャルバの表情が険しくなる。
「ですが、どうやらそれは間違いだったようなのです」
ザリクが謳う『世界の白紙化』。
世界を
今のユウトにはその意味がよく分かる。
一切の奇蹟を許さず、魔法も魔術も、呪いさえ存在し得ないゼロの世界線。神という概念すら存在しない世界をザリクは渇望している。
だってそれが、それだけが彼女が『普通』を生きることを許される世界だから。
「絶滅を生きながらえた神が……いた」
「えぇ、たった一柱ですが存在したのです。彼の者はアベルに敗北し、権能を奪われてなお自我を失わず、朽ちず、歴史の裏に潜み続けていた」
かつて理を司り、世界の礎であった神々。その生き残り。
ザリクの計画にとってこれ以上の障害はない。
「でも、何故そんなことが……生き残りがいるなんてどうして断言できるのですか?」
「そうだ。今の今まで誰も気付かなかったはずなのに――」
「それは、私が彼らに宣戦布告したからだ」
その時、ユウトの隣――誰も座っていなかったはずの席から声が聞こえてきた。
「「ッ!?」」
そこには白い髭を貯えた白髪の老人が鎮座していた。
老人といっても、決して弱弱しい感じはしない。むしろその存在に気付いた今、彼の存在感はこの場の誰よりも強い。あのシャルバさえも霞むほどに。指先一つの動きで全て崩壊しかねないほど濃密で、恐ろしい。
「そう驚く必要はない。まだ何も始まってすらいないのだから」
言葉の意味を脳が理解するよりも前に、その言葉に体が縛られる。
指の一本でさえ、満足に言うことを聞いてくれなかった。
ただ一人、シャルバを除いて。
「ホッホッホ、1000年ぶりの再会ですかな? 随分と老けたな、インドラよ」
「インドラ、だと……ッ!?」
金縛りを強引に振りほどき、ユウトは何とか席を立ち上がる。そして未だ動けないアリサを庇うように彼女を背にした。
「フッ、その名はとうに奪われている。憎きアベルの手によってな」
ほんの一瞬だけ、白髪の老人はユウトに視線を向け、かつての名を否定する。
「インドラ……確かザリクの」
間違うはずがない。
それは彼女が有する
「ほう……では今の貴様はいったい何者だ?」
なら、目の前にいるのはそのオリジナル――奪われて残ったもの。
「我が名はヴァフラーム・シリウス。この
蒼眼の魔道士(ワーロック)2 -Eyes of Moon-weiß- 神島大和 @Yamato
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