第二幕 オーダーメイデン

第五場 第三の女

 住み慣れたボロアパートの玄関ドアを開けると、そこにはメイドが立っていた。

「お帰りなさいませ、早苗様っ!」

「え、あ……」

 玄関開けたら2秒でメイド。シャロンの存在を忘れてしまうほどの強烈な嵐が早苗の脳裏を駆け巡っていたのだから、言葉が出てこないのも無理はない。

 言葉が出てこない理由は、それだけではなかった。

「部屋が片付いてる……?」

 あんなに手強かった積年のサボりの結晶が、綺麗に片付けられてゴミ袋の中に追いやられている。足の踏み場もない玄関や廊下、シンクの恥層に散らばった髪の毛、そして缶やペットボトルの類が綺麗に片付けられていた。

「はい、片付けてみました! いけませんでしたか?」 

 小首を傾げて尋ねるシャロンは、メイド服の袖を腕まくりしている。ついさっきまで掃除をしていたのだろう、紺色のスカートに重なった白いエプロンドレスが汚れていた。

「いや、嬉しいよ? 嬉しいんだけど……」

「もしかして、何かお気に障ることでも……」

 早苗はすっかり片付いた床に正座して、慌てるシャロンと向き合った。そして勢いそのままに平伏して、頭をラグに擦りつける。ジャパニーズ土下座だ。

「助けてください。神様仏様、シャロン様!」

「ど、どういうことですか……?」

「出番です!」

「出番……?」

 なおも首を捻るシャロンに、早苗は整頓されたDVD棚から『プロデューサーズ』のケースを引っ張り出した。

「これから映画を撮るの! あなた主演で!」

 言い切ると、シャロンは固まった。そしてぷるぷると震え出したかと思うと、涙を流して早苗の手を握ってくる。どうやら感動しているらしい。

「すごいです、早苗様! 大ヒット作品を作るのですねっ!」

「大ヒットは――」

 シャロンは大いに勘違いしていた。きっと『プロデューサーズ』のパッケージを見せたがために、これから壮大なスケールの商業映画を撮ると思っているに違いない。

 だけど、主演女優がこんなに目をきらきらさせて喜んでいるのだ。それに水を差すようでは監督失格だ。

「――いや、大ヒットさせよう! シャロンの名前を日本……いや、世界に轟かせよう!」

「はい! 早苗様のお名前もですっ!」

 シャロンは屈託のない笑顔を見せた。記憶を失った不幸な少女などと微塵も感じさせないような影のない笑顔に、早苗の瞳も心も釘付けになった。

 これほど人を惹きつける人間には出逢ったことがない。扶桑大学ミスコンの準ミス程度では太刀打ちできない天性の可憐さは、神話の美の女神達がよってたかって祝福を与えたかのようだった。それはまさに――

「神様のオーダーメードだ……」

「ふふっ」

 シャロンはくすりと笑った。笑われるようなことを言った自覚のない早苗に、シャロンは続ける。

「すみません、ダジャレだと思ったら、おかしくて」

「……ああ、オーダーメードとメイドってこと」

 言いかけて、早苗の頭の中ですべてが繋がった。創作者なら一度は経験のあるあの感覚だ。プロットを見つめ共感を詰め込み、伏線を張り巡らせシーン構成を組み立てている時、ふいに訪れるすべてが瞬時に解決する瞬間の全身をシビれさせるような心地よさ。

 物語はいつも、ほんの些細なきっかけから生まれるのだ。

「『オーダーメイデン』……」

「それはなんでしょう?」

 早苗の脳裏に広がるぐちゃぐちゃした思考のスパゲティは、ひらめいのフォークで巻き取られて、一口サイズのオイしいショートフィルムになる。

「そうだよ。この状況だよ!」

「きゃっ!?」

 早苗はシャロンの肩を掴んだ。途端、二人はバランスを崩して、掃除を終えたばかりのシングルベッドの上に倒れ込んだ。

 早苗は、メイドのシャロンを押さえ込む格好になる。真正面から見下ろしたシャロンの驚いた顔は、早苗の脳裏で弾けたアイディアの火花をより巨大に燃え上がらせた。

「早苗様……?」

「プロットを組み替えるの! 関係性だけはそのままにして!」

「あ、あの……よく分かりません……」

「分かんない? なんで!? 簡単なことなのに!」

 自分の真下でシャロンが頬を染めていることなど気にも留めず、早苗は脳裏でプロットを組み替えていく。


 『動機不純異性交遊(仮)』。

 正式タイトル、『オーダーメイデン』。

 主人公のオトナになりたいセックスがしたい高二の少女はメイドに、

主人公にプラトニックな恋をした男性は、社会人の女性に変更する。

 オトナになるためにメイドは言うのだ、「私をオトナの女にしてください」と。それを受けた社会人の女性は、彼女を――性的な意味で――オトナにするのではなく、自分の理想とするオトナの女性に近づけようとしていく。メイドはそれが自分の望みとズレていることに気づきつつも従う中で、二人は互いを知り合っていく。

 相反する目的を持つ二人が、時に共感し、時に衝突して最終的に認め合う。見ている人の共感を得やすい、バディものの王道ベタだ。


「絶対おもしろいよ! これなら織田華にも勝てるかも!」

「早苗様……?」

「ありがとう! 私のかわいいメイドさん!」

 早苗はシャロンを思いきり抱きしめていた。そして、新しくなったプロットにどんな肉付けをしていくか考え始める。創作者・躁クリエイターズ・ハイとも呼べる状態だ。シャロンが頬を赤らめて戸惑っている様子などまったく意にも介さず、ベッドの上を転がる。シャロンを抱きしめて転がっているだけでアイディアが無限に湧いてくるような、そんな気がした。

 その時だった。

「あれえ、来る家間違っちゃったかなあ……」

「え!?」

 聞き覚えのあるふわふわした声に顔を上げると、ワンルームの玄関に見知った女性の姿が見えた。

「つ、築島さん!?」

「えへへぇ~。来ちゃった♡」

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三戸シャルロットはもう居ない パラダイス農家 @paradice_nouka

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