第四場 嵐が丘

「春休みだねえ、内古閑さん」

「そうだね」

 扶桑大学芸術学部江古田キャンパス。二年後期最後の講義が終わって、長机の隣に座った恵那は「つかれたぁ」と呟いて机に伏した。その姿だけ見ればまるで真剣に講義に向き合っていたようだが、彼女は九十分の講義中、半分くらい船を漕いでいたし、残りの半分は諦めて眠っていた。いつものことだ。

「プロットできた?」

 そういう早苗も、脚本についての講義など聞き流してプロットをこねくり回していたのだから恵那のことは言えない。

「一応は形にはなったよ」

「見せてえ」

 恵那は上体を起こして、早苗の手元にあるA4用紙を覗き込んだ。横書きのA4用紙に書き殴ったプロットは、文字と記号と矢印で滅茶苦茶になっていた。早苗以外には解読することすらできない、一種の暗号だ。

「う~ん……分からない……。教えて~?」

「まだふわっとしか考えられてないんだけどね」

 早苗は、概略だけざっと説明することにした。

 

 作品名『動機不純異性交遊(仮)』。

 早くオトナの女になりたくてセックスがしたい高校二年生の少女が、出会い系サイトでとある年上の男性と出会う。だがその男性は少女に一目惚れしてしまい、プラトニックな関係を築きたいと言い出してきてさあ大変。手っ取り早く処女喪失したい少女と純愛を求める男性は逢瀬を重ねるうちに次第に惹かれあっていくが、ある日交際関係が親バレして破局の危機を迎える。はたして二人は、互いの目標を達成することができるのか。


「……って感じ」

「年の差恋愛っていいよねえ~」

 うっとりした顔で笑う恵那の評価を聞いて、早苗は少し安心した。あらすじをきちんと説明できたということは、物語の重要なポイントが早苗の体幹にということだ。

「ということは、主演女優は高二の女の子なんだねえ。演劇コースの人?」

「ううん、外部の人」

「どんな人~? 見たい見たい~」

 恵那になら話してもいいかと思った早苗は、今朝玄関で撮ったシャロンの写真を出そうとスマホを操作した。シャロンは、そこそこ映画を見ている早苗ですら驚くほどの美貌の持ち主だ。白い肌にふわふわした金髪メイドの姿を見れば、恵那も納得するだろう。そして、このおざなりなプロットでも映画として充分通用するはずだ。

 早苗が恵那にスマホを突き出したその時、教室の扉が勢いよく空けられた。早苗や恵那をはじめ教室中の生徒が振り向いた先には、早苗も見覚えのある女子生徒――宮下綾奈の姿があった。

「あれ、宮下さん? どうしたんだろうねえ」

 気の抜けた恵那の言葉の後、宮下綾奈は大きく息を吸い込んだ。そして――

「オダハナアアアアアアアアァーッ!!!」

 教室中の生徒に聞こえるように叫んだ。織田華オダハナ。綾奈は確かにそう言った。途端、教室にたむろしていた生徒達と教授の視線がMacBookを叩いている織田華へと注がれる。織田華本人はイヤホンを付けているから、あの金切り声が聞こえていないのだろう。

「そこに居たか織田華ァ!」

 生徒達の視線を辿って織田華を見つけたのか、綾奈はまたしても叫んだ。

 宮下綾奈。映画学科の演劇コースに在籍する二年生。扶桑大全体のミスコンで準ミスの座を射止めるほどの美貌を持つ、将来を嘱望された女優の卵だ。そんな綾奈が、普段の男ウケするメイクも、撮影用のウィッグかと見紛うほどの艶やかな黒髪も、ミステリアスを気取っていたクールなイメージの一切もかなぐり捨てて、ドシドシと音を立てんばかりの迫力で織田華に迫る。

「ゴジラだ……」

「キングコングかも~」

 早苗達のつぶやきなど耳にも入らない、それどころか織田華以外は眼中にないとばかりに生徒達を突き飛ばして、綾奈は織田華のMacBookを強引に閉じてイヤホンを引きちぎって耳元でまた叫ぶ。

「織田華ァ!」

「あんだよもう、もうすぐ書き上がるトコだっつーのに」

「どういうつもりか説明しろやァ!」

 綾奈はまさに、鬼の形相という言葉が相応しいくらいに気色ばんでいた。織田華が着ているよれよれのネルシャツの首元を掴み、激しく揺さぶり始める。その姿は一昔前の暴走族レディースのカツアゲだ。

「内古閑さん、止めた方がいいかなあ?」

 周りは男子生徒がほとんどで、教授も男性。近くに居る女子生徒は早苗達だけということもあって、監督コースでも生徒達の視線が早苗達に向けられていた。

 相手があの織田華とは言え、彼女も一応同級生だ。早苗は重い腰を上げて、牛歩で歩みを進めるが、その間も綾奈はひたすら叫び続ける。

「私はってどういうつもりだ、織田華!」

「要らないモンは要らないっつってんだろが!」

 早苗が止める間もなく、織田華は綾奈の手を振り払った。余程激しく揺さぶられたのだろう、織田華のネルシャツのボタンはひとつ取れていた。

「あのさ、なんかあったの?」

 とりあえず、ケンカに水を差すことで冷静になってくれるかもしれない。そう期待して早苗が尋ねると、憮然とした態度で織田華が告げた。

「アタシの映画にこいつは要らないんだよ!」

「ふざけんじゃねえ!」

 綾奈は見事なまでの鬼の形相だった。さすがは演劇コースでもトップクラスの実力を持つだけのことはある――などと感心している場合ではなかった。どうやら早苗は、水を差すどころか油を注いでしまったらしい。

「私の何が気に入らないのか言ってみろ、織田華ァ!」

「その面倒臭え、女が腐ったみたいなとこだよ! 織田華織田華うっせえぞブス!」

「ああァ!?」

 またしても取っ組み合いのケンカになりそうだったので、早苗は迷ったが二人の間に飛び込んだ。迷ったというよりは血迷ったの方が正しい。

「じ、事態が飲み込めないから説明して!」

「そこのバカが、私のオファーを蹴ったんだよ!」

 綾奈の口から出た言葉に早苗は唖然としたが、織田華ならあり得ると即座に考えを改めた。

 織田華は、早苗や恵那と同じゼミに在籍する監督コースの二年生。早苗の作品をゲロと宣った彼女のあだ名は織田華オダハナ先生だが、それは内古閑クオリティのように彼女の才能を揶揄する言葉ではない。

 織田華は、扶桑大学が主催する映画祭で、一年生にして最優秀賞を獲得した鬼才だ。大学映画祭を皮切りに、趣味で作ったショートフィルムが地方の映画祭で受賞作品になったり、すでにプロから監督のオファーを貰っているなど、将来を嘱望どころか既に進路が決まっている才能の塊だ。早苗とはまるで違っている。

「ああ、そう言えば三年次制作があるもんねえ」

 いつの間にか隣に居た恵那がのんびりしたペースで割り込んできた。扶桑大の芸術学部では、三年次前期、後期で二本のショートフィルムを撮るカリキュラムになっている。うかうかしていると優秀な演者や技術者は他の監督に獲られてしまう。

「だから言ったろ、アタシの脚本はもう出来てんの! オメーがやれる役は通行人くらいしかねーの!」

「あんた人を見る目ゼロなワケ? 言っとくけど私準ミスよ? この大学で二番目に綺麗なのよ? 上から数えた方が早いのよ! 分かる!?」

「じゃあテメーの実力だけで売れてみろよ! 準ミス様が人の映画を売名に使ってんじゃねえぞ!」

「はあ? たかだか課題で売名とかマジキモ過ぎのキモなんだけど~。ちょっとチヤホヤされてるからって調子乗んないでくださ~い」

「たかだか準ミスなんかのために何人と寝たんですか~? 教えてくださいよ~、メンヘラヤリマンブスビッチ」

「あんだとオダハ――」

 あまりにもしつこいので、早苗は綾奈を羽交い締めにして口元を抑えた。それでも滅茶苦茶に暴れ回る綾奈を抑えておくことはできず、綾奈は次なる矛先を早苗に向けた。

「才能ないヤツが触んじゃねえよ! あんた内古閑クオリティでしょ!? ホントクッソつまんない! 辞めちまえ! 死ね!」

「えええ……」

 今言うことじゃなくない? と早苗は思ったが、才能がないことは事実なので、織田華のように反撃することはできない。映画界は、才能がなければ生きていけない世界なのだ。

「わ、私は面白いと思ってるよ? 内古閑さんの……えっと、青春のだっけ……?」

「ミステイクだろ」

 タイトルを間違えて覚えていた恵那に、そしてよりにもよって作品をゲロ扱いした織田華に古傷を抉られる。とんだとばっちりだ。

 だが、変化が起こった。あれだけ半狂乱で騒いでいた綾奈が急に静かになり、薄気味悪く笑い始めた。

「……そうよ。じゃあこうしましょう、織田華」

「あ?」

 やけに芝居がかった仕草で、綾奈は早苗の手を握って告げた。

「アンタはシコシコクッソ地味でつまんない映画を撮る、私はこの内古閑クソ監督に撮られてやる。どっちが上かで決着をつけるってのは?」

「はあ!? ちょっと待って――」

 早苗の発言など聞いちゃいないとばかりに、織田華はほくそ笑んだ。

「いいな、ハンデにゃちょうどいい。後悔すんなよ準ブス!」

「準ブスじゃねえ! 準ミス!」

「うっせー準ブス! ブースブースー!」

 高崎山のサルのように金切り声を上げると、綾奈は来た時と同じような大股で教室を出て行った。嵐が去った後の教室には何とも言えない沈黙が流れていた。

「困ったことになったねえ……」

「ホントにな」

 完全に他人事の恵那と、当事者の織田華はまったく同じようなテンションでやれやれと肩を落とした。一方、肩を落としたどころで済まないのは早苗の方だ。頭の中にあるのは区の学生映画フェスティバルに応募する作品のプロットだ。話はもう出来ているし、主演女優は決まっている。今さら綾奈を出すことなんてできるはずもない。

「なんか悪いな、内古閑。あたしのせいで面倒に巻き込んじゃって」

 織田華はカラッと笑って謝ってきた。織田華レベルに名前が売れるとこういうこともあるのだろう。

「だ、だよね~。勝負なんてしないよね~」

 きっと、その場の流れで引っ込みがつかなくなったに違いない。そもそも織田華と早苗では勝負にすらならないのだ。大人しく負けを認め、敗北宣言をして逃げだそう。

 だが、織田華は事もなげに言った。

「勝負はするぞ。準ブスに伝えとけ、アタシが勝ったらお前主演でAV撮るってな」

「なに言ってんの!?」

「じゃあ、内古閑さんが勝ったらどうする~?」

「そん時は内古閑がAV撮れ、アタシ主演でな。負けた方は脱いで素肌をカメラに晒す! 罰ゲームは分かりやすい方がいいだろ」

「よ、よくないって、倫理的に!」

「倫理なんて気にしてモノが創れるかよ!」

 織田華は力強く言い切って、早苗にとあるチラシを見せた。見覚えのあるチープなフォントで『第一回 学生映画フェスティバル』と書いてある。ラーメン屋のおじさんに貰ったのと同じものだ。

「こいつで勝負するぞ、内古閑。たかが15分尺の映画だ、月末までありゃなんとかできんだろ」

「うわあ、すごい偶然だねえ。映画みたい!」

「築島さん!?」

 恵那の言葉に勘づいたのか、織田華はニヤリと笑った。

「そっちも動いてたってことか、ちょうどいい」

 織田華はMacBookを年季の入ったリュックサックの中に片付けると、早苗へ向けて宣言する。

「勝負だ、内古閑。アンタとアタシ、どっちの作品が上か、映画祭の観客に決めてもらうぞ」

「いや、待ってよ!? そもそもあたしはやるなんて一言も――」

 早苗の拒否など受け付けないとばかりに首を横に振って、織田華は立ち上がった。そして、隣に居る恵那に尋ねる。

「なあ、今やってる映画でオススメは?」

「『ラーメン食いてぇ!』だよ! ラーメン食べたくなるオススメだよ!」

「ラーメンは嫌いなんだよな……」

 織田華は露骨に嫌そうな顔をして、荷物を持って教室を後にした。ようやく静かになったというのに、早苗の耳元では織田華の宣戦布告だけがぐわんぐわんと鳴り響いていた。


「内古閑さん、びっくりしたねえ……」

「うん……」

 呆けて立ち尽くしている早苗の隣で、恵那が目を白黒させてつぶやいた。『妖怪大戦争』ばりに魑魅魍魎の類を百鬼夜行のごとく連れてきた綾奈のせいで、天と地ほどの才能差がある相手と戦わなければならなくなってしまったのだから無理もない。

 織田華監督作品 VS 内古閑早苗作品 主演 宮下綾奈

 早苗には、まるで勝つ想像ができなかった。それは傍らに居る恵那も同じなようで、視線を合わせて頷き合う。

「ラーメン嫌いな人って居るんだね……」

「そっち!?」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る